魔法OF騎士(ばんがいへん)

@bravein

病院のあの独特の匂いが好きではないです。

「あれ、総司?おかえり。今日は早かったね」

 その日、まだ日も暮れる前、あたし水木早亜矢が門の前の掃除をしていると、ヨボヨボとした足取りで総司が帰ってきた。

「た、だだいま…早亜矢っゲボゲボゲボゲボ…」

 明らかに顔色が悪くて鼻声の総司は、苦しそうな咳をしながら応えた。

「ちょ…大丈夫?って、おい!」

 声をかけてる途中で倒れ込むようにあたしに寄りかかってくる総司。思わず抱き抱えるように受け止めると、触れた体が熱いことに驚く。

「ちょと!あんた熱あるでしょ⁉︎」

「だがら帰ってぎまじだ…ゲホゲホ…早亜矢、お布団まで連れてってー…」

「よし、任せて!」

「あ…いや、やっぱいいです。自分で歩きます…ゲボゲボッ…」

 あたしが親切に抱えてあげようとすれば、何故か赤い顔した総司は離れて、再びフラフラ〜っとした足取りで自分の屋敷へと帰っていく。

 風邪かな?まぁ、総司が風邪ひくのなんて別に珍しくないし、そもそもあいつには優一かかりつけ医がいるからそれ程心配もいらないだろう。そうして、あたしは再び中断していた掃除に取り掛かろうとしたが


「ばかもーーーんっ!」


 お屋敷からいつもの、いやいつも以上の怒声が響き渡った。

 声の主は言わずもがな、総司のお爺ちゃんの宗介さんなんだが、何やらひどくご立腹の様子でその後も怒号の声は続いていた。

 風邪ひいて仕事早退してきたぐらいでそんなに怒るかな?

 疑問に思ってあたしは掃除用具を置いてお屋敷に戻ってみた。ガラガラと気持ち静かに戸を開けて中の様子を伺えば、玄関でぶっ倒れてる総司とその傍らにピシッと座して怒ってる宗介さんの姿があった。

 うーん。あんまり関わり合いたくない絵図。大体、総司が怒られているところにあたしが入っていくと怒りの矛先が何故かあたしにまで向けられるというお約束展開があるのだ。うん、よし、見なかったことにしよう。

 そう決意してそっと戸を締めようとすると、

「早亜矢殿」

 静かな、だが確かな怒気がこもった口調で呼び止められて、あたしはびくっと肩を震わせた。

「………はい?」

 一瞬、聞こえなかったフリしてとんずらしようとも思ったが、あたしは引きつった笑みを浮かべつつ素直に返事をした。

 宗介さんは、ハァっと大きなため息をつくとあたしの方を見据えてから、律儀に頭を下げてこう言った。

「悪いが、総司このバカと一緒に病院に行ってもらえないか?」

「…へ?」

 

 

 白を基調とした清潔感ある民家…とはまた一見違った雰囲気の建物。あたしと、分厚い半纏にマスクとおでこには冷えピタを貼ったザ・病人な総司は、総司のお屋敷からさほど離れていない小さな診療所の前にいた。

「早亜矢…」

 相変わらず鼻声な上にゼコゼコと息が荒い総司が真剣な眼差しを向けてあたしの名を呼ぶ。あたしが隣の彼にちらっと視線を送ると、彼は精一杯のシリアスボイス(鼻声)で、

「やっぱり、帰りません?」

「帰りません」

 キッパリと答えるあたし。このやりとりだがもはや今ので数十回以上している。ジト目を向けるあたしに、総司は宝石のような青い瞳をウルウルさせると悲劇のヒロインのようにヨヨヨ…とその場に倒れ込む。どこからかスポットライトが当てられるが、ちょっと本気でやめてほしい。外だし、恥ずかしいし。

「ひどい!」

 そんなあたしの気持ちをよそに、悲痛な声をあげる総司。

「早亜矢は私が痛い目やひどい目にあったり、何日も帰れない日が続いても平気なんですか⁉︎」

「平気だね」

 間を入れずに無感情に答えると、あたしは総司の首根っこをがしっと掴んで診療所の中へ向かって行った。

「いやぁぁぁぁぁぁ…!鬼ぃぃぃぃぃ…!」

 子どもみたいに泣きじゃくる総司。

 えぇい。やかましい。

 宗介さん曰く、こいつのかかりつけ医でもある優一が仕事で出かけていて一週間程度は帰らないそうだ。そのタイミングで風邪をひいた総司。本当は昨日少し調子が悪かったようで、出かける前に優一に診てもらうように宗介さんが言ったらしいが、『優一の出す薬は苦いから』というしょうもない理由で診てもらわず結果、こじらせて今に至るというわけだ。

 そりゃあ、宗介さんも怒るわけだ。

 しかも、こいつ。病院に行けと言われて素直に病院に行った試しがないらしい。病院に行くフリをして近所の公園で野球してたり、商店街で食べ歩きしてたり、竜騎士の屯所の木の上で寝てたり、ともかく一人でまともに病院に行けた試しがないらしい。

 というわけで、総司がきちんと病院で治療を受けるよう、付き添い兼見張り役としてあたしが選ばれたわけだ。

 …正直、アホらしい。総司も立派な成人男性だから病院ぐらい一人で行けと心底思うが、まぁあたしも外掃除してるぐらいなら出歩いている方が楽しいし、弱ってる総司ってのもまた面白い。しかし、総司の嫌がり方が尋常でなくて、ここまで来るわずか数分の間にも駄々を捏ねたり、逃げようするもんだから、あたしも、もはや早々に嫌気がさしてきていた。

「さっさと診てもらって帰るわよ」

「入院になったらどーしよぉー。早亜矢、二十四時間付き添い看病してくださいね」

「アホか⁉︎絶対嫌に決まってんでしょーが」

「言っときますけど、注射とか点滴とか絶対嫌ですから!あんな!親からもらった大切な体に針さす治療なんて!私は断じて認めませんっ…ゲホゲホゲホゲホッ…!」

「…あんた、もう竜騎士なんて辞めてしまえ」

 こんな感じでツッコミもキリがない。総司が病院嫌いなのは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。この精粋帝国を護る守護神、と世間一般的に称される竜騎士団。そこの一番隊隊長がこの由梨総司である。正直、帝国一の剣士でその腕は確かである。軍師としての才能もあるみたいで、なんでも数年前の反国主義による乱戦を収めたのもこいつだとか。そんなすごい奴が今目の前で病院が嫌だの注射が嫌だの喚き散らしている様子は些か滑稽である。まだピーピー泣き喚く総司を無視して、しかし逃げ出さない様がしっとその首根っこを掴んで、あたしは診療所の中へと入っていった。

 

 カラン

 

 無機質な扉を開くと乾いた鐘の音が響く。薄暗い室内からは、つんとした病院独特の薬草の匂いが漂っていて、それとは別に、あたしはゾワっとした違和感みたいなものを感じた。

「…−」

 小さな待合室には人の姿はなく、その先の受付の札が置かれたカウンターにも人の姿はなかった。

「…誰もいませんね?もしかして休みかもしれませんね。帰りましょう、ね、ね、早亜矢ぁぁぁぁぁぁ…!」

 戯言を抜かす総司は無視してあたしは下駄箱から室内用スリッパを出すと、総司を掴んだままズカズカと奥へと入っていった。受付のカウンターからグイッと奥を覗き込んで、

「すいまっせーん!誰かいませんかー!」

 しん。とさほど広くもない室内にあたしの声が響く。やはり、先ほどから感じる違和感が拭いきれず、あたしはそのすぐ隣の『診察室』と表記された扉の把手に手をかけようとした、その時

「はいはーい!どなたですかー?」 

 至って呑気な女性の声に振り返れば、そこには、歳の頃二十歳を少し過ぎたぐらいか。黒髪をキチッと結った看護婦姿の綺麗な顔立ちの女性が、受付からひょっこりと顔を出していた。

「あら、もしかして患者さんですか?」

「はじめまして、私は由梨総司です。総ちゃんとっ…んゲボゲボゲボ…」

 目を丸くする看護婦さんに、総司がいつもの調子で言い寄っていたが、途中で咳こみ苦しみ出したのでほっとくことにした。

「はい!初診の患者さんですね!ではこちらの問診票にご記入をお願いします。あと保険証をお持ちでしたら…って、どうかされましたか?私の顔に何かついてますか?」

 総司の口説きもあっさりと流して、穏やかな口調でテキパキと話す看護婦さん。その顔をじーっと見つめるあたし。うん。彼女ではない。それは確かなようだ。しかし、そうしたらこの違和感は一体…

「先生ー!患者さんですよぉ〜!」

 悩むあたしをよそに、看護婦さんは受付の奥に向かって叫んでいた。

「ふぉ〜い」

 なんとも言えない、魔の抜けた返事と共に現れたのは…

「っ…!」

「いやぁぁああああ…!早亜矢ぁああ!お願いだから帰りましょうぅぅぅ!三百円あげるからぁぁぁぁぁ!」

「えっ⁉︎えっ⁉︎なんで⁉︎一体どうしちゃったんですか⁉︎」

 現れたのは、妖怪狸…ではなく、ちっちゃなおっさん…でもなく、もじゃもじゃ頭の年齢不詳な小太りな白衣姿の…恐らくこの病院の医者であろう人物だった。その人が姿を見せた途端に総司がガバッとあたしにしがみついてきて泣きながら懇願してきた。総司の豹変ぶりに困惑する看護婦さん。それもそのはずだ。総司のこの異常な嫌がり方、そして先ほどからあたしがずーっと感じていた違和感が、この先生と呼ばれた人物が現れたことではっきりとした。

「ん?何かな?お嬢さん?僕の顔に何かついてる?」

 先ほどの看護婦さんと似たようなことを言う先生に、あたしは確信を込めてこう言った。

「あなた、呪われてるわよ」

「え?」

 それも、素人の仕業ではない。

 呪いや呪詛といった類い。これらはほとんどの場合が気休めやインチキであることが多いのだが、魔道士による魔力を用いた本格的なものもある。その場合、呪いにかかった人物が自分が呪われていることにも気づかずにじわじわと呪い殺されるということもある。しかし、今、目の前の人物にかけられている呪いは恐らく、

 あたしの言葉に狼狽する先生の眼前に手をかざす。

「…何されてるんですか?」

 看護婦さんが覗き込んでくるが、それには答えずあたしは呪文を唱える。と、

 

 バチっ

 

『 ⁉︎ 』

 

 火花が、虚空から放たれる。まるであたしの術を弾き返すかのように。その場にいた全員が一瞬息を飲む。

 おにょれい。小癪な!

 あたしは再び呪文を、今度はより強力な、呪いを解く術を、放つ。

 

 バリィィィンンンッ…!

 

 ガラスを叩き割るような音。

 それまで、この医者っぽい人を中心に室内全体にまとわりつくように漂っていた違和感がきれいさっぱりに消えた。

「…あ、あの、今、一体、何を…?」

「んー。多分だけど、人を寄せ付けない呪いがかけられてたみたい。でも、もう大丈夫よ」

 おずおずと問いかけてくる看護婦さんに、今度は答える。

「人を寄せ付けない、呪い…?」

 先ほどの音で腰を抜かしてしまったのか、先生が困惑気味に呟く。

「それじゃあ、ここ最近患者さんが全然来なくなったり、頼んだ薬品類が届かなかったり、外を歩いている時にやけに人に避けられたり、外食した時に頼んだ物がいつまでも来なかったり、合コンで全然モテなかったりしたのは全部呪いのせいなのか⁉︎」

「…最後のは多分違うと思うけど、まぁそーゆーことでしょーね」

 ぐわっと詰め寄ってくるので、テキトーに返答して、あたしはコソコソとこの場から立ち去ろうとする総司の肩をがしっと掴んだ。

「ともかく!呪いはもう大丈夫だから、総司こいつの診察お願いしまーす!」

 

 

 

「んー。そうだねぇ。ちょっと風邪を拗らせちゃってるのと喘息の発作が出ちゃってるねぇ。まぁ、入院する程でもないけど、苦しいでしょう?吸入よりも注射しちゃった方が早く良くなると思うけどぉ〜」

「注射嫌です」

「注射でお願いします」

 総司とあたしの返答がかぶったせいで、先生はうーん、と困った様に頬をかく。

「とりあえず、苦しいでしょう?すぐに良くなるから注射しちゃいましょう。稔瀬なるせく〜ん〜準備しといて〜」

「鬼ぃぃぃぃぃ…」

「うんうん、大丈夫。僕たちも怖がられるのには慣れてるからぁ〜」

「はーい。それじゃあ由梨さーん。こちらに来て、横になってくださいねー」

 ヨヨヨと崩れ落ちる総司には目もくれず、先生と稔瀬さんと呼ばれた看護婦さんはテキパキと準備をする。

「早亜矢ぁぁぁぁ…」

 最後の悪あがきであたしにしがみついてくる総司のみぞおちに、痛恨の一撃を喰らわし昏倒させると、そのまま稔瀬さんの指示するベッドに放り投げておく。

 おー。パチパチパチ…。

 拍手を送ってくれる先生と稔瀬さん。

「いやぁ、助かりますねぇ〜。注射って嫌で暴れちゃう患者さんもいるからねぇ〜」

「ホントですね!先生!じゃあ、さっさと終わらせちゃいますんで、奥さまは待合室でお待ちくださいね!」

 をい、ちょっと待て。

「あたしは奥さまじゃ…っておい!」

 文句を言う前にあたしは診察室から追い出され、ピシャッと扉を閉められたのだ。

 

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