第293話 人間は難しい


「お待たせ~! おやつの時間だよ~!」

「「わぁ~い!」」

《 やったぁ~! 》

《 はやく~! 》


 クッキーをレティちゃんと一緒にお皿に盛り付け、ハルトたち用のホットミルクと、オリビアさんとトーマスさん用のミルクティーをカップに注いでいく。

 紅茶が苦手だから味見は出来ないけど、オリビアさんはいつも美味しそうに飲んでくれる。


「ユランくんはどっちがいい?」

「ボクも牛乳がいいな」

「わかった! はい、どうぞ。ちょっと熱いから気を付けて」

「ありがとう!」


 ユランくんのカップにホットミルクを注ぎ、僕もアレクさんの分と一緒に準備。これで皆の分は揃ったかな?

 皆はすでに席に着き、食べる準備は万端の様だ。


「では! いただきま~す!」

「「「いただきま~す!」」」



「みんな、どうぞ」

《 《 《 ありがとう~! 》 》 》


 ハルトはリュカたちが食べれる様にと、クッキーを小さく砕いて渡している。何も言わなくても自分から動いてくれて、もうすっかりお兄さんだ。

 リュカたちも美味しそうにクッキーに噛り付いている。


「ん~! 美味しいですね! 山に入ったら急な雨で足止めされちゃうんで、これ常備してたら助かるなぁ……」


 ユランくんは初めて食べるというチョコチップクッキーに感動しつつ、仕事をする時に持っておきたいと真剣に手元のクッキーを見つめている。


「だよなぁ。オレも護衛の時とか干し肉ばっか飽きるし、遠出する時に欲しいかも」

「二人もそう思うか? やっぱり甘いものがあると違うからなぁ」

「ですよね? やる気も変わってきますよね」

「クッキーだから少しは日持ちもしそうだしな~」

「ただ、食べるのを止めれるかどうかだな……」

「「あぁ~……」」


 黙って見守っていると、三人はこのクッキーが如何に役に立つのかを談義し始めた。それから話は徐々にそれ始めているけど、意外と盛り上がっているので僕は安心してクッキーを一口。

 話を聞いてると、やっぱり何日も掛かる依頼は大変なんだなぁと、この五日間の道中でしみじみ感じた。

 ブレンダさんとドリューさん達には本当に感謝だな……。


「えてぃちゃん、にこちゃん、おいちぃねぇ」

「ほんとう? よかった!」

《 うれしい~! 》


 褒められた二人は、嬉しそうに皆が食べる様子を眺めていた。

 ユウマは僕の膝に座り、ご機嫌な様子でクッキーをサクサクと食べている。それを上からぼんやり眺めていると、クッキーを噛む度にまろいほっぺが揺れているのが見えて和んでしまう。


「あ、落とさない様にね」

「ん!」


 ユウマの小さな手が伸びた先にはホットミルク。カップを落とさない様にそっと下から支えると、上唇にホットミルクで出来た白髭をつけてお礼を言ってくれる。これを見たいから牛乳を用意した訳ではないんだけどね。 


「ふふ。メフィストちゃんはぐっすりねぇ」

「起きないですねぇ」


 オリビアさんの腕の中にはお昼寝中のメフィストの姿が。

 さっきまでは頑張って起きていたのに、眠気には勝てなかったみたいだ。


「メフィストのおやつも作りたいんですけど、赤ちゃん用のおやつってどんなのがありますか?」

「赤ちゃん用ねぇ……。そう言えば、見た事はないわねぇ……」

「オレもないなぁ。あまり気にしていなかっただけかもしれないが……」


 オリビアさんもトーマスさんも、思い出そうとしてう~んと首を傾げている。


「ボクの村も、そういうのはないですね~。おやつと言うか、甘いものは蒸かしたさつまいもスイートパタータとうもろこしマイスかな~? ペルズィモーネも実ったら採ってましたけど」

「オレも赤ん坊のは見た事ねぇなぁ~。オレのいた孤児院とこでも、ミルクの次はパン粥とか蒸かした野菜だった気がする……」

「そうかぁ~……。そろそろ上の歯も生えてきそうだし、野菜を練り込んだ軟らかめなお菓子とか作ろうと思うんですけど……」


 メフィストの歯は、下は二本、上の歯も薄っすらと生えかけている。どうしてくれないの? というあの視線に耐えられなかった訳ではないんだけど……。ハルトたちのおやつの時間に、メフィストも一緒に食べれると嬉しいだろうし……。


「自分で手で掴んで食べる練習も、そろそろさせたいなぁと思って」


 僕がクッキーを食べながらそう言うと、オリビアさん達の声が一瞬だけ消え、ハルトたちのクッキーを食べる音しか聞こえない。

 ふと顔を上げると、トーマスさんもオリビアさんも、僕の顔を見て笑っている。


「ユイトは時々、成人前って事を忘れるよ」

「ホントねぇ。私がユイトくんくらいの時は、よく怒られてた気がするわ~」

「ボクもそんな事、考えた事無かったなぁ」


 しみじみと呟くオリビアさん達を見て、はたと自分の昔を思い出す。

 そう言えば僕、ハルトとユウマが手で掴んで食べ始めた頃の事、ほとんど覚えてないなぁ……。


 隣でリュカたちと楽しそうにクッキーを食べるハルト。

 僕の膝に乗り、クッキーに手を伸ばすユウマ。


 二人が美味しそうに食べるのを眺めるのが、僕の楽しみでもある。

 もしかしたらこれも、お母さんたちの影響かも……。


「ハルトもユウマも、優しいお兄ちゃんがいて幸せだな?」


 僕がそんな事を考えていると、右隣に座っているアレクさんがユウマの膨らんだ頬を指先でつついていた。


「オレもこんな兄ちゃん欲しかった……」


 そう呟くアレクさんに、二人は鼻をふんと膨らませて嬉しそうに身を乗り出す。


「おにぃちゃん、とっても、やさしいです!」

「にぃに、いっちゅもやしゃちぃの!」

「じまんの、おにぃちゃんです!」

「いぃでちょ!」


 ふんふんと鼻を膨らませ、アレクさんに自慢気に告げるハルトとユウマ。

 アレクさんもそれを見て、優しい表情を浮かべて笑っていた。






*****


「アレクさん、遅くまですみません……」

「ん? いいよ。オレも楽しかったし」


 夕食後、ハルトとユウマがアレクさんの帰りを引き留め、気が付くと辺りはもう真っ暗。門灯の灯りだけが僕たちを照らしている。

 サンプソン達をお世話してくれていた使用人さん達もすでに帰り、向かいのコールソンさんの家も灯りが消えていた。


 明日も早朝から依頼があるというのに、嫌な顔もせずハルトたちの相手をしてくれていたアレクさん。メフィストもアレクさんを気に入っていたのか、起きてからはアレクさんの服を掴んでよじ登ろうと頑張っていた。

 おかげでアレクさんの服は涎まみれになったんだけど。


「クッキーとケーキもありがとな。リーダー達も喜ぶよ」

「お口に合うといいんですけど……」


 レティちゃんとニコラちゃんと一緒に作ったチョコチップクッキーと、もう一つはガトーショコラ。

 切り分けていると皆の視線を痛い程感じたので、一口ずつ試食してもらった。こんなの食べた事ないとトーマスさんもオリビアさんも興奮し、残りを守るのに大変だったんだけど。


「あ~、あとさ」

「はい」


 門から出て、アレクさんが不意に振り返る。


「二人で出掛けるの……、楽しみにしてるな」


 明日から二日間アレクさんは依頼があり、明後日は僕が商会に向かう為、その間はすれ違い。だから三日後、トーマスさん達にお願いして二人で出掛ける事になった。


「はい……。僕も、楽しみにしてます……!」


 フッと影が掛かり、アレクさんの顔が少しずつ近付いてくる。


 ───あ、


 そっと瞼を閉じると、次の瞬間、頬に微かに触れる柔らかな感触。



「おやすみ」


「……おやすみなさい」


  

 門灯の灯りに照らされたアレクさんの顔は優し気に微笑んでいる。

 だけどその後ろ姿を見送りながら、僕は少しだけショックを受けていた。


 門扉の鍵を閉めながら、僕はふらふらと庭へ向かう。

 すると予想通り、セバスチャンが厩舎の屋根から飛んでくる。のそりと厩舎の陰からサンプソンも姿を見せた。


《 ユイト、どうした? もう遅いぞ? 》

《 ん? 元気がないな……? 》


 二人にどうしたと優しく声を掛けられ、僕は小さな声で呟いた。


「……った」


《 《 え? 》 》



「……キス、してくれなかったぁ……!」



《 《 ハァ? 》 》



 ドキドキしながら目を閉じたのに、アレクさん、キスしてくれなかった……! いや、してくれた事はしてくれたんだけど、頬に掠めるくらいのキスだった。

 唇にしてくれると思いっきり期待していた自分が恥ずかしい……!


《 それが何か問題なのか……? 》


 セバスチャンは首をクルリクルリと傾げ、僕をジッと見上げている。


《 キスとはあれだろう? 口と口を付けるやつだな? 》

「そう……」


 サンプソンは僕の傍に近付き、どしりと寝そべった。


《 人間は何故そんな事を? 》

《 あれだ。愛情表現らしい。ハワードとアンナもよくしている 》

《 毛繕いみたいなものか? 》

《 番になった相手とするみたいだな 》


 思いがけないところでハワードさんとアンナさんの夫婦仲を知ってしまい、少し申し訳ない気持ちになってしまう。


「前はしてくれたのに、何でだろう……?」


 確かにあの時は気持ちが昂っていたかもしれない。

 だけど、今朝からずっと一緒に過ごしていたのに……。


《 ……それは、アレクがしないとダメなのか? 》

「へ?」


 セバスチャンの声に、思わず変な声が漏れてしまう。


《 ユイトからすればいいんじゃないか? 》

「ぼ、僕から……?」


 サンプソンもいい考えだと尻尾をパシリと振っている。


《 番なら恥ずかしがる事でもないだろう? 》

《 アンナからもしているぞ? 》

「ハワードさんのお家事情はもういいよ……」


 そうか……。恋人なんだから、別に僕からしてもおかしくないもんな……。明日と明後日は会えないけど、次のデートの時に……。


「僕……、頑張るよ……!」


《 何か分からんが、応援しているぞ 》

《 あれだろう? 前に言っていた“ らぶらぶ”というヤツだろう? 》

「そう! それ!」


 もう恥ずかしがってても仕方ないし、会える時に会わないともったいないって決めたばっかりじゃないか……!

 そうと決まれば……!


「二人とも、聞いてくれてありがとう! おやすみ!」


《 あぁ、おやすみ 》

《 おやすみ 》





《 ユイトは気合が入ってるな 》

《 元気があっていいじゃないか 》

《 アレクに好かれているかなんて、見れば分かると思うんだが…… 》

《 人間は難しい生き物なんだよ 》






*****


「ハァ~~~……」


 月も出ていない夜空を見上げ、深く息を吐くと薄っすらと白い息が漏れる。

 仄かな門灯の灯りだけを頼りに、この薄暗い夜道を歩いて行く。

 ローブを羽織っているが、夜はもう肌寒い。


( 可愛かったぁ…… )


 久し振りに会ったユイトは、以前よりも少しだけ大人びて見えた。

 昨日は手紙を読んで焦ったけど、門の外にいたんじゃ会えるわけないもんな。

 さすがにバーベキューしてるとは思わなかったけど。


 門が開いて、ユイトの姿が見えた瞬間。本当に胸がうるさ過ぎて壊れたかと思った。

 僕も逢いたかったと腕を回された時、こんなに可愛いユイトを誰にも見せたくなかった。何人かはこっちを睨んでたからな。オレの事が気に食わない奴らかもしれない。咄嗟にローブの中に隠したけど、本当はあんな場所でユイトの名前を呼ばない方がよかったと反省した。

 だけどあの時は、気持ちが昂ってそれどころじゃなかったんだ。


 マスタードも喜んでもらえたし、まさかそれを使ってすぐに料理を作ってくれるとは思わなかったけど。


 それに、今までどんなに疲れてても気が張ってすぐ目が覚めてたのに、ソファーで寝落ちるなんて思わなかった。キッチンからはトントンと包丁の小気味よい音が響いて、微かにコトコト煮込む鍋の音も聞こえてくる。美味そうな匂いと窓からの温かい日差し。

 そこにユイトがいて、気が緩んだのかもしれない。

 まぁ、オリビアさん達が目の前にいてスッゲェ焦ったんだけど……。


 それに……、


( 押し花、気に入ってもらえて良かった……! )


 まさかユウマにバラされるなんて思わなかったんだろうなぁ。

 寝る前に眺めてユウマに怒られてるなんて。オレはそれが知れて嬉しかった。これは教えてくれたステラとエレノアに何か礼しないとな。


 ……あと、



「オレの目って、向日葵サンフラワー咲いてんのか……」



 ノアたちの叫び声が聞こえたと騒ぐハルトたちをオリビアさんに任せ、風呂場にトーマスさんと駆け付けた時、ユイトの楽しそうな声が響いてきた。何かあったんじゃないかと思ってたから安心したけど、話してるのはどうやらオレの事らしい。


“ふふ、アレクさんね、可愛いんだよ~。笑うとね、年上だけど子供みたいに幼くなるんだ~”


“あとね、目がキレイなんだ~”


“アレクさんの目ね、サンフラワーが咲いてるんだよ”


 他にも知ってる人、いるのかな~? なんて、オレも知らなかったのにいないだろうな。


 妖精の声が聞こえているというトーマスさんが、唇を噛み締めながら気まずそうにオレの肩を叩く。

 ……あれ、今思うと笑うの堪えてたのかな?

 怒ってんのかと思ってジッとしてたんだけど。



“あ、皆には内緒だよ?”


“ちょっとね、自慢聞いてほしくなっちゃったんだ!”



 それを聞いた瞬間、ユイトの本音を聞けた様で、体中が一瞬で熱くなるのが分かった。


 出会ってからは好きになってもらおうと必死だったけど、これからはユイトの事を大切にしようって誓った。

 だからユイトの十五の誕生日までは、なるべくキスはしない様に……。

 でも正直めちゃくちゃ触りたい……。だからこれがオレのけじめ……!


 ユイトが成人するまで、キスはしない……!


 だけど、頬は許してほしい……!


 ちゃんとユイトとの将来の事考えてるって、トーマスさんとオリビアさんに認めてもらえる様に頑張るな……!


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