第二話 鉄橋破壊作戦
馬車の後方に座る青年は読み耽っていた本を閉じてその表紙を感慨深く見つめた。
右手にはめた白い布の手袋で本の表紙を大事そうに撫でる。青年のくすんだ茶色の癖っ毛が馬車の中を通る風でなびいていた。
風に導かれるように青年は馬車後方の景色に視線を移した。遠くの地で活躍しているはずの英雄に思いを馳せるその青い瞳は後方に佇む幻想的な景観を写していた。
後方には赤土色した広い大地が広がり、数多くの隆起したテーブル状の台地が点在している。
侵食が進んだ岩山に挟まれる形で大きくうねった河川が大地を分断するように地平線の先まで伸びている。
青年を乗せる馬車の前方には荘厳な佇まいで来訪者を迎え入れる渓谷が広がっていた。馬車が走る山道の下にはコバルトブルーの透き通った河川が流れて後方の大地へと続いている。
「ーーーシャザール、あなたっていつも同じ本ばかり読んで飽きないの?バルザック将軍に憧れるのは分かるけど。」
シャザールに対してその正面に座るエウフェミアが不思議そうに問いかける。
緑のマントとスケイルアーマーを身に纏い、腰には短剣と片手剣が携えられている。
うなじ付近で束ねた髪は艶やかな真紅の色合いを帯びていた。切れ長だが愛嬌のある目をしており、醸しだされる雰囲気はどこか高貴なものを感じさせる。
「何言ってんだよ。飽きるわけないだろ、俺のバイブルなんだから。戦闘の前にはいつもこれを読むんだよ。俺もバルザック将軍のようになるんだって気合いを入れる為にな。」
シャザールは的外れな質問に対して不満そうに返答する。
バルザック英雄伝と銘打たれた本は本の端が外側にせり上がるほど何度も読み込まれていた。シャザールは座っているキャビンの下に置いていた鞄の中にその本を大事そうに仕舞い込んだ。
「おお、奇遇だな。俺もバルザック将軍は一番尊敬する軍人なんだ。仲良くなれそうだな、宜しく。」
シャザールの話を興味深そうに聞いていた男は前方の座っていたキャビンから立ち上がると、間に座っている何人かの兵士の足を避けながらシャザールの隣のスペースに腰を下ろした。
「シャザールだ、ホルスト出身。今回の作戦に向けてブルートーとの東の前線部隊から派遣された。あんたは?」
隣に座った男の様子を少し観察しながらシャザールが手を差し出す。
「ホルスト出身ねーーー俺はユークリッドだ、生まれはボロディン。父親が傭兵だったからあまり故郷って感じはしないけどな。俺は今回が初任務で分からない事も多いから宜しく頼むわ。」
少し含みを持たせるような言い回しでシャザールの故郷を復唱すると、ユークリッドは褐色がかった少し長めの前髪からシャザールを見ながら差し出された手を握って自己紹介をする。
初めての任務で緊張しているのか、ユークリッドの目の下には隈が広がっていた。
「んで、あなたは?」
「エウフェミアよ、私はサーンス出身。ボロディンは割と近いわね、兵士になる前に何度か行った事あるわ。私もシャザールと同じ東の前線から。」
簡単に挨拶を切り上げたユークリッドはシャザールの正面にいる赤髪の女に視線を移して問い掛ける。
エウフェミアは椅子から立ち上がってユークリッドと握手をした。自己紹介の際に故郷の話をすると話が膨らむのは万国共通らしい。
「サーンスはボロディンと比べると都会だからな。何もなかったでしょ、見るものなんてーーうおっっと。」
ユークリッドはエウフェミアに自虐的に返答する。
渓谷の崖を進んでいた馬車は山道に突き出ていた大きめの石に接触し、車体を上下に揺らした。ユークリッドはキャビンの天井を支えに崩れかけそうな体勢を保持する。
「ーーーホルスト出身と聞いて同じような境遇のバルザック将軍に憧れるなんて、とか思ってるんだろ。別にその想像に間違いはねえよ、俺は併合された国の出身だって将軍のように偉大にこのアヴェルダに貢献出来るんだって証明したいだけなんだから。」
山道の石によって途切れるような形で会話が終了したのを見て、シャザールは正面を向いたまま隣に座っているユークリッドへ向けて口を開いた。
「まあそう直球に言われちゃうとそう思ってないとは言えなくなっちゃうかな、ははは。」
ユークリッドは単刀直入な言葉に笑顔を取り繕いながらバツの悪そうに後頭部を掻いた。
馬車はさらに登る傾斜を上げていき、険しい山道を進んでいく。
数時間前まで待機していた麓がかなり遠くに位置しているのが見て取れた。
「そろそろだな。」
シャザールが緊張感のある声色で告げた。
シャザールの言葉の通り、幾重にもくねった山道を進み、馬車は従来の合流地点に到着する所だった。
既にシャザール達のいる場所は地表3千メートルを超えた高度にあり、吐く息が薄っすらと白み始めていた。気温も急激に下がっているようだ。
「よし、お前達はこのまま後続部隊を待ちながら、敵状を調査している偵察部隊からの報告を待つんだ。」
先に合流地点に到着していた小隊長が馬車を静止させ、キャビンにいる兵士たちに告げる。
この合流地点からは馬車での移動が困難であり、ここから戦地へは徒歩での移動になる予定だった。
シャザール達は馬車から降りると小隊長の前で整列し、敬礼した。小隊長に促されるまま、険しい岩場に設置してある仮設テントへと向かっていく。
仮設テントでは乾燥させた野菜を近くの渓流の水で戻した簡易的なスープと干し肉をが配られ、作戦開始の前に腹ごしらえする事となった。
「しっかし、ブルートーもこんな所に鉄道なんか走らせちゃうかねー。」
ユークリッドが干し肉を奥歯で嚙み千切ることに悪戦苦闘しながら率直な感想を述べる。
食事を受け取る間にも後続部隊が合流し、周囲にいる兵士の数が徐々に増え始めていた。
「敵が思いもよらない事をして裏をかくのが軍略の基本だからな。陸上ルートが駄目だから海上を狙っていると思わせて置いて、その裏で鉄道建設を秘密裏に進めていたんだろう。」
シャザールは噛み千切った干し肉をスープで流し込む。完食し終えた容器とスプーンを片手に持ち直すと前方に座るユークリッドに向かって回答した。
「ブルートーの思惑がどうであれ、今回は互いに足場の悪い戦場での戦いになりそうね。ジョセフ殿、シモン殿がどんな戦法を設定するのか気になる所だわ。」
エウフェミアは野営地の中央にある司令部のテントに視線を移した。司令部では今回の作戦の指揮を執る軍団長のジョセフと准将のシモンが戦略の協議をしている最中であった。
エウフェミアはテントの上空の灰色の雲を見つめ、その流れを慎重に観察していた。
「偵察部隊帰還しました。」
軽装の歩兵が司令部のテントの前に整列し、テントの中のジョセフに歯切れよく報告する。執政官から手招きがあったのか、偵察兵は一礼をすると内部に歩を進めていった。
今回の敵軍となるブルートー共和国とシャザールが属するアヴェルダ大公国は、現在その中腹に陣を構える世界最高峰の山ユニコーンとその他の山々を中心に円形に構成されるペルム山脈地帯を最北端とした逆扇状に広がるメイン大陸の2大大国であった。
メイン大陸はペルム山脈のその左右にブルートー共和国を、そしてブルートー共和国に挟まれる形でアヴェルダ大公国を持ち、資源や宗教的対立から両国の国境線の多くでは激しい戦闘が繰り広げられていた。
ブルートーはメイン大陸の東側に多くの地下資源を持ち、気候の良い西側に広大な耕作地帯を有している共和制国家である。
アヴェルダは大公を君主とした絶対君主制で統治される連邦制国家であり、シャザール、ユークリッド、エウフェミアの故郷であるホルスト、ボロディン、サーンス等からなる13の州で構成されていた。
異界の者の力を使って領土の拡大を図るブルートーに対抗する為、アヴェルダはメイン大陸に点在する小さな国々を制圧・併合して国土を増やし、強力な力を持つブルートーと戦うだけの力を付けていった。
メイン大陸の南西に位置するシャザールの故郷ホルスト公国も10年前に併合された国の一つであり、緩衝地帯としてブルートーとの東側戦線となっているアヴェルダの実質自治区であるベリオールもバルザックの故郷である。
ユークリッドが含みのある発言をしたのは元々アヴェルダの連邦に含まれなかった地域出身であるシャザールが、自治区の一平民の立場から将軍の地位まで登りつめたバルザックの姿に自己投影していると思ったからであった。
偵察部隊の情報をもとに司令部が作戦を練っている間にぽつぽつと小雨が降り始めていた。
目の前に悠然と聳え立つユニコーンの山頂は既に雲で覆われており、どす黒い雨雲がこちらへと近づいてきている。
「各隊整列し、司令部前に集まれ。」
シモンが号令を掛けて野営地にいる兵士たちに集合を促す。その声に従う形で即座に隊列が組まれて各隊毎に並んだ状態となった。
司令部の隣に設営した簡易的な台の上にジョセフが立ち、整列している兵士達を見下ろしていた。
「周知の通り、我らの仇敵であるブルートーは秘密裏にペルム山脈に鉄道を敷くことで、東西間での幻緑石や穀物等の輸送を行い、アヴェルダへの侵攻を企んでいる。この鉄道が出来ればエウトリス王国と共に敷いた制海権も無意味と化す。この鉄道は我々の喉元に突き立てられたナイフだと思え。この行為をアヴェルダは絶対に放置してはならない。」
額の中心で分けたウェーブのかかったブロンドヘアが雨に濡れ、ジョセフの頬に張り付いていた。
演説の最中にも雨脚はさらに強くなっていたが、ジョセフは全く意に介さずに演述を続ける。
「これから諸君らには2隊に別れてもらい、ブルートーの軍に奇襲を仕掛けてもらう。1隊はケルビン中佐指揮のもと工兵と共に稜線を進み、建設中の鉄道を100メートル上から見下ろせる地点まで移動して貰う。もう1隊はシモン准将指揮のもと一旦谷に下りながら進み、ブルートー軍がトンネル工事を行う現場に向かって貰う。ーーー理解の通り、シモン隊は陽動だ。その陽動で敵の注意が向いている中、ヘリックス峡谷の上に建設された鉄橋を爆砕し、その後退路の絶たれた機関車を破壊する。流れの速いヘリックス川に鉄橋を建設するのは至難の技だ、ここが破壊されれば我々の監視の目が光る中でブルートーの陸上物流経路として線路を修復する事は不可能だろう。」
ジョセフは話を聞く兵士たちに力強い声で戦略を伝えた。
渓谷の中からは視界も開けており、進軍する兵士が見つけやすいが、この雨の影響もあって鉄橋から奇襲部隊の動きを事前に把握する事は難しいだろう。
谷から進軍する陽動部隊は見つけられる可能性はあるが、それでも敵の注意を引ければ十分である。また陽動部隊が発見される場所がトンネル付近であればあるほど敵に与える精神的影響は大きいと考えられた。
「敵部隊は200人弱の規模で通常兵士と工兵を中心に、数名の奏者、黄泉渡しを有している。小規模故に発見が遅くなったとも言えるが、小規模部隊しか配置していない理由は異界の者にあるだろう。まず我々としては黄泉渡しから狙って敵主力を削ぎ、その後近接戦闘にて兵士、奏者を蹂躙するのだ。メイン大陸にアヴェルダありという事を思い知らせてやれ。」
『おおっ。』
鼓舞するように手を突き出して演述を終えたジョセフに対し、兵士たちは拳を振り上げて応えた。
兵士たちの勇猛さに満足したような表情を見せたジョセフは踵を返して演壇から降りる。
その後整列していた兵士たちは小隊長の指示に従い、准将のシモン率いる陽動隊と中佐のケルビン率いる奇襲隊に分かれていった。
シャザール達は奇襲隊の前線に振り分けられ、先ほどの偵察隊に引率される形で尾根を進み始めた。偵察兵のすぐ後ろにシャザール達は列をなして付いていく。
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