第14話 銀杖の魔女、迷宮へ行く

 朝、白い光が差し込む部屋で私は目を覚ました。

 銀色の髪を高い位置でひとつに纏め、ワンピースに着替えてローブを羽織る。


 ウィル様が冒険者登録してから、もう一か月。

 私と一緒に迷宮の低層で実戦経験を積んで、どんどん身体のキレがよくなってきた。順調に魂と肉体が定着していっている。


 冥界への納品に行った私は、そのときに冥王様に会い、「半年も経てば、完全に下界の人間として身体が馴染むだろう」と聞いた。焦る必要はなく、ゆっくり一緒に過ごして行けたらと思う。


 それに最近、だんだんと喜怒哀楽が出るようになってきた。

 迷宮で一緒に魔石を採ってその収獲量に喜んだり、おいしいごはんを食べて笑ったり、タマゾンさんのくだらない話に付き合ってくれたり……

 そんな普通の毎日を過ごすうちに、ウィル様の表情はくるくると変わるようになっている。


 だから毎日はとっても平穏なんだけれど、私はというと、別のことでちょっぴり悩んでいた。

 着替えを済ませてふと気づけば、机の上には一冊の手帳。これはウィル様が風魔法を暴走させたときに、天井裏から落ちてきた例の手帳だ。


『これ、読んでみたら?』


 ハクからそれを渡されて、もう十日ほど経つ。彼が封印を解除したから、中はいつでも見ることができる。

 それなのに私は、未だにそれを開くことができずにいた。


「……」


 革のカバーにそっと指で触れる。

 裏表紙の魔法陣は、筆跡を見ると描いた人物は左利きで、これまで銀杖ぎんじょうの魔女だった人で、左利きはひとりしかいない。

 私の母、アリアドネだ。


 思い出すのは、何も映していない空虚な黒い瞳。

 親子らしい会話なんてしたことはない。甘えたことも、優しくされたことも記憶にない。

 手を繋いで歩く他の親子を見たときは、びっくりしたくらいだ。


「お母さん……」


 ここに何が書かれてあるのか、気にならないわけじゃない。

 何度も開こうと思った。

 でも、怖かった。


 そして今日もそれを開くことができず、私は一階へと下りていく。

 ハクは私が手帳を見たのか聞かないでいてくれる。多分、開いていないことがわかっているんだろう。私たちが一般的な親子関係でなかったことを、ハクは知っているから。


「おはよう」


「おはよう、ハク」


 一階に降りると、朝食の準備をしているハクと目が合った。

 庭でウィル様が素振りするのが窓から見える。


 今日は畑に水を撒き、洗濯をしたら迷宮へ行く予定だ。戦っているときは心が無になるのだとウィル様は言っていたから、迷宮に潜ることで気が紛れるなら……とハクも勧めてくれた。


 ま、気にしたって仕方ないよね。もうお母さんはどこにもいないんだから。

 過ぎたことをいつまでもクヨクヨしていては、銀杖ぎんじょうの魔女の名がすたる。私は私で、これから自分を愛してくれる人と生きていけばいいんだから。


 うん、母がいずとも子は育つ、ってね。私にはハクとウィル様がいるもの。


「紅茶いれるね!」


 私は気を取り直して、ティーポットに茶葉を入れた。






「今日はよろしくお願いします!」


「うん、よろしくね」


 この日は、シェルダさんのパーティ・暁の守り火にリクア、私とウィル様で迷宮の中層階へと探索に向かう。街からも近い迷宮で、深部にしかいないはずの魔物が低層階でも見つかったらしい。


「たまたまっていうこともありますよね」


 魔物は気まぐれだ。いくら階層ごとに出てくる魔物が違うとはいえ、低層階に強い魔物が出現しないとは限らない。

 だがシェルダさんは、地下深くにある核のそばで異変があったのではと予測する。


「最近、別の迷宮が見つかっただろう?そっちに冒険者が流れて、魔物を定期的に間引く者が減ったからなんじゃないかな。今、この街にいる冒険者の多くが、BランクやCランクになっているからね」


 迷宮の規模にしては、深部まで潜れる冒険者が減っているということらしい。

 シェルダさんは正義の人だから、この街を捨てて他に移ることはない。でも金目当ての冒険者は、定期的に街を移動するから気まぐれだ。


「魔物だって空気中に漂う魔力だけじゃなく、エサを食べるから。増え過ぎたら他の魔物を獲って食べるために地下から上に上がってこようとする。現段階では、地上まで溢れることはないと思うけれど、こういう状態がずっと続くと不安材料が増えるな」


 迷宮の入り口に到着すると、地下からひんやりした風が吹き上がっていて、シェルダさんの金髪がさらさらと風になびく。


「さ、まずは十階層で肩慣らしをしてから中層階へ行くよ」


「「「はい」」」


 シェルダさんとウィル様は前衛、その後ろに私と魔導士のおじさんが続き、その後にリクアが進む。リクアは錬金術士だから基本的には道具を渡したり探知をしたりするサポート要員だけれど、魔法も使えるので後ろから敵が来たとしても対応できる。


 私は魔導士のおじさんと連携して、魔法で遠距離攻撃をするのが役割だ。

治癒士の男性は、こどもが生まれそうで妻に付き添っているから今日はいない。かといって、過剰戦力ともいえるこのメンバーなら魔導士のおじさんが回復役に回れるから、四十階までの中層階であれば大きな問題はなさそうだ。


 久々の迷宮探索。私は銀杖ぎんじょうを右手に握り、薄暗い道をみんなと一緒に移動する。

 冷たい空気がポニーテールにした銀髪を揺らし、湿気が肌にまとわりついた。


 歩きながら薬草を見つけると採取し、はぐれない程度に自由行動。これは私がよくやることなので、シェルダさんたちは特に何も言わず自由にさせてくれる。


屈んで薬草をちぎっていると、リクアが私の隣に立った。


「あいつ信用できるのか?」


視線はウィル様の方を向いている。


「もちろん。リクアよりは強いよ」


「だろうな。しゃくだけれど」


 ウィル様とリクアは、仲良くなる気配がまったくない。反抗期か、リクア。

 私は薬草を袋に入れて、また歩き始める。


「なぁ、この探索が終わったら、一緒に組まない?ユズリハがいたら、もっと深部まで行けると思うんだ」


 突然そんなことを言われ、驚いてリクアを振り返る。

 魔導士のおじさんは「諦めが悪いな」と言って笑った。


「ごめんリクア、何度も言うけれど、私はひとりしかいない銀杖ぎんじょうの魔女だから」


 いつもの断り文句を言う。でもこれは本心であり、むしろこれしか理由はない。


「跡継ぎができて、その子が立派に育って、おばちゃんになってからならそれもありかなって思うけれどね」


 私の祖母も、私が十五歳になったら聖樹の森を出て世界を回っている。

 銀杖ぎんじょうの魔女はもともと好きなことがしたい自由な気質だから、何歳になっても探求心は衰えないのだ。


 ふふっと冗談めかして笑うと、リクアは真剣な顔で頷いた。


「そっか。そうだよな」


「うん。そうなの」


――ゴォォォォ……


 話をしながら、私は前方にいた黒オオトカゲという魔物を炎で焼く。この魔物は爪が強力なんだけれど、毒を持っているから素材としては役立たない。燃やすに限るのだ。


 リクアも潜んでいる敵がいないか探知しながら、私たちの後ろをついてくる。


「俺、ウィルより強くなるからな」


 見える範囲の敵がいなくなったとき、突然リクアがそんなことを言い出した。


「腕相撲で私に勝ったこともないのに?」


「うっ、それは……」


 まぁ、身体強化は使うけれど。

 魔力を総動員して腕の力を一時的に高め、十歳児の身体のときからリクアには勝ち続けている。

 きょとんとしていると、リクアはじとっとした目で私を見た。


「身体強化なしでやったら勝てる」


「何をそんな当然のことを……」


 私と張り合わずに、リクアの師匠と張り合って欲しいものだ。彼の師匠は熊獣人で、商人ギルドで殿堂入りしている錬金術士。体力・魔力が全回復する霊薬のエリクサーを作れる、この街では唯一の人物だ。


「とにかく、ウィルより強くなって絶対にユズとパーティを組むからな」


「えええ……」


 魔女と錬金術士のパーティは、どう考えても合理的でないんだけれど。剣士がいないと、魔法が使えない罠にでもハマったら一瞬で終わる。


「シェルダさん!俺、もっと戦いたいです!」


「ちょっとリクア!」


 後衛の錬金術士が、サクサクと歩いて行ってしまった。

 私と魔導士のおじさんは顔を見合わせ、苦笑いする。リクアだってまだ低層階だからこんなことが許されるとわかっていてやっているんだろうけれど、陣形を乱すのはちょっとやめてほしいと思った。


「嬢ちゃんも大変だな、リクアの子守り」


 そんなことを言われて笑ってしまった。


「同じ年なんですが」


「あいつはなまじ優秀だからな、苦労してねぇんだよ。ウィルにボコボコにされればいい」


「えええ、おじさんはリクアの味方じゃないんですか?」


 虎が我が子を崖下に突き落とすタイプなんだろうか?親子じゃないけれど。


「味方だからだよ。もう少し大人になってもらって、早く俺をラクさせてほしいんだわ」


「なるほど」


 私たちは迷宮内に流れる小川を越え、中層階へと続く階段を下り、特に問題なく迷宮探索を続けた。

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