第13話 何者であってもあなたが好き
その日の夜、ウィル様は屋根の上にいた。
東の空に大きな月が出ていて、とても美しくて吸い込まれそう。
「ウィル様」
天窓につながる
何となく心配になってウィル様の部屋を訪ねると、鍵はかかっておらず、天窓が開いていたのだ。
「ユズ、ひとりで
「もちろん」
私も屋根に上がり、ウィル様の隣に並んで座る。聖樹の森の木々が月明りに照らされてキラキラと輝き、幻想的な風景が広がっている。
「どうかしたんですか?」
森を眺めつつそう問えば、おもむろにウィル様は話し出した。
「リクアに会って、ユズにもこれまでの暮らしがあったのだなと……そんな当たり前のことを思ったんだ」
「これまでの暮らし?」
ウィル様は自分の右手を見て、淋しげな顔をする。
「俺は……やはり死んだのだな。今さらそれを実感した。誰も過去の俺を知らないし、もう存在は消えてしまったんだと思ったら、どうしようもなく叫び出しそうになった。俺は一体何者なのか、と……」
「ウィル様……」
「考えてもどうしようもないことばかりが、頭に浮かぶ。情けないだろう?」
それは、初めて聞くウィル様の弱音だった。
私は左右に首を振り、彼の目を見て訴えかける。
「情けなくなんてありません」
冥界で二年もすごし、当てのない日々を耐えてやっと生き返ったんだ。強い人じゃなきゃ、あんな孤独は耐えられない。
まったく情けなくなんてない。
動揺するのは当たり前なのだ。
「この一か月ずっと考えないようにしていたが、『本当に自分は生きているのか』と、ときおり不安に思う。俺は都合のいい夢を見ているのではと……。今この生活は全部俺が作り出した夢なんじゃないかと。目を覚ましたら、今度こそ永遠に冥界を彷徨うことになるのではと……」
菫色の瞳をじっと見つめていると、ウィル様は驚いた顔をした。
「なぜユズが泣く?」
「え?」
そのとき、指摘されて気づいた。私の頬に涙が伝っている。
慌ててそれを手で拭い、視線を落として呟くように言った。
「ウィル様が泣きそうな顔をしていたから……」
冥界から戻ったことを後悔していたらどうしよう。
やっぱりエデンに行けばよかったと、そう思っていたらどうしよう。
不安が涙へと変わってとめどなく流れる。
「私は……ウィル様に生きていて欲しい。冥界から勝手に連れ帰ったのは私の責任です。だから、嫌なことは全部私のせいにしてください」
「ユズ、俺は感謝している。こうして俺を生まれ変わらせてくれたこと」
私は泣きながら、ウィル様の手に自分の手を重ねてぎゅうっと握った。
「私が知っています。ウィル様はウィル様です。姿が変わっても、どこにいても、何をしていても」
この一か月、一緒に暮らしてみて思った。嘘をついたり取り繕ったりしないウィル様。いつだって私のことを気にかけてくれる優しさ。姿形じゃない、ウィル様らしいところは昔と同じだった。
私にウィル様の気持ちを宥めることはできないけれど、それでも泣きたいときは泣ける場所でありたい。
「生きてます。ウィル様は絶対に、生きています」
ウィル様の顔を見上げると、困ったように笑っていた。
「俺はここにいてもいいのか」
「当たり前です!ここは私とハクと、ウィル様の家です。もっと広い家がいいなら改造しますし、お城がいいならお城を建てます。
私はウィル様のために、あらゆる魔術を覚えたと言ってもいい。一緒にいる日だけを夢見てきたのだから。
必死で訴えかける私を見て、ウィル様はクスリと笑った
「今日、ユズが手を握ってくれて、やはり俺は生きているのだとそんな気がしたんだ。今も、こうしてくれていると自分がここにいることを実感できる」
ぐっと握りこまれた手は、とても温かかった。
「俺は前の生で、何も成せなかった。国を守りたいと……国を豊かにして民の幸せを守ることこそ王族の義務だと思っていた。
道半ばで毒にやられるなど、あってはならないことだ。残してきた弟たちに、本当に申し訳ない。できれば弟たちが立派に成長するところも見届けたかった」
「それで、二年も冥界で?」
ウィル様の想いが痛々しい。
「どうにもならないとわかっていても、動くことができなかった。失ったものの大きさに戸惑うだけで……。それは今も変わらないかもしれない。ただ、もう俺にできることはない。ようやくそれがわかってきたんだ。
だからこれからは、冒険者として新しい生をまっとうし、ユズとハクが笑っていられるようにこの暮らしを守りたい」
過去への自責の念。後悔。きっとウィル様の中にはいろんな感情が混ざり合っているんだろうな。
どうかウィル様が、自分自身の存在を許せる日が来ますように。
「ユズ、ありがとう」
ウィル様はほんの少しだけれど、笑っていた。
やっぱり強い人だ。
「ありがとうございます。生き返ってくれて」
ふと視界が真っ暗になり驚くと、ウィル様の逞しい腕に抱きすくめられていた。自分じゃない、男の人の匂いがする。
「ウィル様!?」
動揺で声が裏返った。後頭部には大きな手があり、髪を梳くように何度も撫でてくれる。
そういえば、母はきびしかったからこんな風にしてもらったことは一度もない。誰かに抱き締めてもらうのなんて、何年ぶりだろうか。
人の腕って、こんなに温かいんだ。
「生きてます、ウィル様。あったかいです」
「そうだな……」
そっと背に腕を回してシャツを掴むと、いつまでもこうしていたいと思ってしまった。
「どこにも行かないでくださいね」
「……あぁ、約束する」
もう絶対にウィル様を冥界になんていかせない。私はそう誓った。
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