第7話 ただいま戻りました
魔法陣から巻き起こっていた風がぴたりと止まり、目を開けるとそこは見慣れた我が家の一室。
濃茶色の床には、いつだったか陶器を落としたときについた凹みがある。
そこは、いつも冥界と行き来している転移魔法陣がある部屋だった。
「ふぅ……」
住み慣れた我が家に気が緩む。
どっと疲れを感じ、左腕の重みに気づく。ウィル様の肉体を抱えているからだ。十歳の細腕で、成人男性を支えるのはつらい。
戦闘時は魔力を纏って身体強化をしているけれど、今日は魔力に余裕がなかったから腕が痛む。
今、ウィル様の魂はここにいない。こちらの世界についた途端、肉体へと吸い込まれていった。
「ウィル様」
そっと床に寝かせると、紺色の髪がさらりと流れる。
「きれいな顔……」
どういうわけか、常識離れした美男子ができあがっている。
「この顔って」
理由はなんとなくわかった。魔力を注いだとき、私の中にあったウィル様への過剰なキラキライメージが反映されたのだろう。思い出は美化されるというけれど、さすがにこの美男子はやりすぎたのではないだろうか。
でも、幼い頃のウィル様にちょっと似ている。本人が鏡を見たらどう思うだろう。似てるのかな、以前の顔つきと。
まだしばらくウィル様は起きそうにない。魂が肉体に馴染むまでは、眠ったままになるだろう。私もちょっと休憩しなければ。
眠るウィル様の隣に座り込んでいると、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
――バタンッ!
勝手に開くはずの扉を手で押し開けたのは、相棒のハクだった。壊れはしないけれど、扉がカクカク微妙な動きをしている。
「ユズ!無事だったんだね……って、うわ!」
床に仰向けに倒れ、死んだように眠っているウィル様を見てハクが驚きの声を上げた。
気持ちはわかるけれど、お化けを見たみたいなリアクションしなくても……
そしてハクは私とウィル様を見比べて、おそるおそる尋ねた。
「え、誘拐してきたの?」
失礼な。私は半眼でハクを見上げる。
「ちゃんと本人と冥王様の許可を取ってきた。誘拐なんてしないよ」
「え?冥王様?」
私はハクに、ウィル様と再会したときのことを話した。ハクの口元が引き攣っているのは気のせいじゃない。
「よく連れ帰ってこられたね」
獣人のハクは力持ちだ。ウィル様をさっと抱き上げると、隣の部屋のベッドに運んでくれた。私は毛布を持ってきて、彼にそれをかける。
「私が魔法陣で飛んでから、どれくらい時間が経ってる?」
こっちと冥界では時間の流れが違う。
「十五分くらいかな」
いつもは一~二分で帰ってくるから、今回はかなり長居したことになる。ウィル様はこっちの時間で二年間冥界にいたんだから、実際にはもっともっと長い時間に思えただろう。
「向こうでは、八時間くらいだった」
私がそういうと、ハクはぎょっと目を瞠った。
なぜなら、普通の人間が冥界で過ごすとそれだけで大量の魔力を消費してしまうからだ。
「大丈夫なのか!?」
あぁ、目がかすむ。私は答える元気もなく、ふらふらとベッドに腰かけると、そのままウィル様の隣に倒れ込んだ。
「ちょっと寝させて……!もう限界」
「ユズ、せめて自分の部屋で寝ようよ。ねぇ、ユズってば」
だんだんとハクの声が遠くなる。私はウィル様の肩を枕にして、すぐに眠りに落ちていった。
◆◆◆
明るい光、誰かの喋り声。
うっすらと瞼を開けると、天井が目に入ったがすぐにまた眠りそうになる。
「では、ユズリハは君と二人でここに住んでいたのか?」
「そう。二年前かな、ベルガモット様が世界を放浪するって言って出て行ったのは」
ハクの声はすぐにわかった。ベルガモットは祖母の名前だ。
もう一人は誰だろう。男の人の低い声。私が眠っているすぐ隣に座っているのかな。
私は目を閉じたまま、うつらうつらして二人の会話を聞いていた。
「調子はどう?新しい身体、人族にしては丈夫そうだね」
「あぁ、ユズリハがそうしてくれたんだ」
「そっか。二年も経ってたら、前の身体にはどうやったって戻れないからね。早く新しい身体がなじむように、五日後から訓練を始めようね」
「……戻れなかったのか?ユズリハは、選べるようなことを言っていたが」
あぁ、ウィル様かこの声。ようやくこの時点で意識がはっきりしてきて、二人の会話を理解できてきた。
「ユズ、そんな風に言ったの?」
「あぁ」
「死んでからせめて二十四時間かな、前の身体に戻れるのは。それも、その身体が焼かれていないことが前提だね。ユズは多分、君が前の身体じゃないと嫌だって言ったら禁忌を犯してでも身体を再生したと思うけれど」
ご名答。さすがはハク、私のことがよくわかってる。
「ユズは君に選択肢を持たせたかったんだと思うな。人は、選ばなかったことは後悔するから」
「なぜ、ユズリハはそこまで私のことを」
「それは本人に聞いてみたら?これからのことも含めて、話をしないといけないし」
ハクは多分、私が起きたことに気づいている。ウィル様はどうか知らないけれど、わざと話を逸らしてくれたんだって思った。
「私はユズリハにどう報いればいいのだろうか」
あ、ウィル様。そんな深刻なトーンやめてほしいな。私はただ自分のしたいようにしただけだから。今すぐ起きようかどうか迷っていると、ハクが笑いながら明るく言った。
「いいよいいよ、そんな真剣に考えなくて!魔女一家は、自分たちが好きなように生きる家系なんだ~。多分これから振り回されるから、その迷惑料だとでも思っておけば?」
ひどい言われようだ。
確かにおばあちゃんも、お母さんも自由に好きなことをして生きていたけれど……私も!?
なるべく迷惑はかけないようにしよう、そう思った。
「ねぇ、胃を慣らすためにも水だけじゃなくて軽い食事にしようか!スープとかオートミールとか、身体づくりは今日からやっていかないとね」
「世話をかける」
「いいよ、こどもが増えたみたいなものだから」
「こども」
「さ、一階に降りよう。立てる?」
「あぁ、多分大丈夫だ」
ギシッとベッドが軋む音がして、私の身体にもう一枚毛布がかけられた。
二人は部屋を出て、ゆっくりと階段を下りていく。一歩一歩足を進めるぎこちない音が耳に届く。
「ウィル様……本当にここにいるんだ」
好きな人が、私の家にいる。冥界で再会したことのインパクトが強すぎて、イマイチ実感が湧かない。
私はのろのろと起き上がり、ベッドの上に座る。
膝を立ててそこに顔を埋めると、毛布から自分以外の人の匂いがした。
そして、驚きの変化に気がついた。
「手が大きい……」
自分の手が、子供の手ではなくなっていた。
手足もすらりと伸びている。慌てて立ち上がると目線が高くて、バランスが取れずに転びそうになった。
鏡を探して部屋の隅に走ると、棚の上に置いてあった十センチほどの丸い鏡をのぞいてはっと息を呑んだ。
「うわぁ」
母にそっくりだった。銀色の髪は肩甲骨の下まであり、それは変わっていないけれど、身長が伸びていて顎は大人のシャープなものになっていた。大きい目が際立つ、スッキリとした顔立ち。
どこからどう見ても、十七歳で違和感なし。
魔力が尽きかけたことで私の中に施されていた術が解けたのだろうか。それとも時期?わからないけれど、とにかく私は年相応の姿になっていた。
あれ、さっきウィル様もハクもここにいたよね。
二人はどう思っただろう?
早く二人に会いたいような、そうでないような。
寝間着はすでに着替えさせられていたから、きっとハクがやってくれたんだと思う。
私は自分の部屋に向かい、これまでずっと眠っていた大人サイズの服に着替えることにした。
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