M.-5; 熱情
† †
どうしても声のトーンを落とすことの出来ないあたしたちは、談義の場を中庭へと移して欅の樹の下のベンチで大いに盛り上がる。
「へぇ、ケンタウロスの王様との戦いは出会ったばかりの賢者と二人でやるんだね」
「うん。ちょっと戦闘がやっぱマンネリになっちゃうじゃんさぁ、」
「うんうん。でもバランスが難しいね。ちょっとダレちゃうかもしれないなぁ……そしたら、ケンタウロスの王様に10点のダメージを与えたら、って矢印作って、イベントページ作ったら?」
「どういうイベント?」
「うーんとね、細かい描写は置いといて、たとえば……防御力が落ちるやつとか」
「鎧脱ぎ出すとか?」
「それいいね。あ、賢者は勇者の実力を遠くから見ていて、これじゃダメだー、って手助けする、っていうのは?」
「ああー……そしたら最初は一人で戦ってて、攻撃を一度でも当てたら、全然効かないってなって、賢者が手助けして魔法かけて、ケンタウロスの防御力が激減する的な?」
「うんうん。そしたら戦闘にメリハリもつくし、物語っぽいんじゃない?」
「わかった。じゃあケンタウロス戦はそんな感じにしよう」
こうしてゲームブック制作にのめり込んでいると、やっぱりエミは子供っぽいながらにちゃんと17歳の女の子なんだな、と思い知らされる。
あどけない物言いと眼差しをしているけれど、ゲームブックの制作についてあたしの拙いところを見抜いて的確に指摘してくれるし、あたしが思いつかない絶妙なアイデアを出してくれたりする。
もしかしてエミは、好きなことに関してはとても大人の目線を持っているんじゃないか。
「次は、合流した戦士と魔法使いと一緒に、賢者のところで修行ね」
「うん。ケンタウロス戦で実力不足を実感した勇者が、賢者に頼んでレベルアップを図るの」
「そしたら、ここはイベントをいくつも重ねるんじゃなくて、計算問題とかに変換して
共同製作者のはずがいつの間にか作者と編集者に成り代わってしまっている。
それでも、エミが目をきらきらと輝かせながら
「メイちゃん、どうしたの?」
「ううん、嬉しくなったら泣きそうになった」
あたしはずずっと鼻を
そんなあたしを見てエミは、にへへと笑う。
「次の
「派手、って?」
「巨人対四人じゃなくて、どうせなら四対四にして、巨人の手下として少し小さい三体の巨人を追加しちゃおう」
「うんうん」
「巨人については……あ、ヱミが詳しいよ。今夜にでも聞いてみて」
「わかった」
「次の
「うんうん」
もはや主導権を握っているのさえエミの方だった。ただあたしは、流れるように出てくるそのアイデアの宝庫を、零して損ねないように必死にノートに文字を書き殴る。
4月も半ばとなった午前10時の青空の下、真夏めいた太陽の日差しを真っ向から浴びながら、玉のような汗も気にせずにあたしたちは議論に熱中した。
ふと、どうしてあたしは笑えないんだろう、なんて気になることもあるけれど。
そんな時は、あたしの代わりにエミが笑ってくれるからいいんだ、と思うことにしている。
エミは誰かさんの入れ知恵によって、あたしが笑えないのはエミがあたしの分まで笑ってしまっているからだ、なんて言ったけれど。
考えようによっては、それってすごく素晴らしいことなんだ、って思う。
そして夜が来て、星の話を切り捨ててあたしは
ヱミは呆れたような顔をしながら、それでも揚々と
あたしはその話から大ボスである
エミの助言によって採用することにした、大ボスの巨人よりも一回り小さい巨人については、ギリシャ神話のキュクロプス三兄弟を採用することにした。
「それにしてもあんたってさ、すごく物知りだよね。何か記憶術とかやってるの?」
あたしは読書灯の下でノートにペンを走らせながら、以前から感嘆していたその知識量の秘密を訊く。
「何かしてるも何も、わたし今まで見聞きしたこと全部覚えてるよ?」
「え?」
あっけらかんとそう告げたヱミに、あたしは驚嘆して文字の羅列を止めてしまう。
「わたしって元々、生まれついた頃から記憶力が良くてさ。今まで見聞きしたことは全部覚えてるの。だから本とか一回読んだら、どこに何が書いてあるか全部思い出せるし、それこそ一語一句間違えずに暗唱できるよ」
いきなり明かされる、友人の秘密能力にあたしはあんぐりと開けた口を閉ざせない。
「それってさ、……嫌なことも全部覚えてるってこと?」
「まぁ、そうだね。蓋はしてるけど、匂ってくるよね。だからさ、それに耐え切れなくなって、エミを守るためにエミとわたしに分裂したの。ほら、わたしって意地悪いでしょ?エミって人物のいい部分をエミが、悪い部分をわたしが担当するようにしたの」
最近読んだ発達心理学の本に書いてあったことを思い出す。
子供は誰だって、叱られた時、怒られた時、嫌なことがあった時――それを押し付けるための“もう一人の自分”を作り出す。多くの子供はそれを意識しないけれど、それが異なる“人格”として現れる場合がある。
勿論、そうじゃない全然別の人格が現れることもあるのが解離性同一性障害――多重人格だけれど、でも基本的にあたしたちは、あたしたちが許せない・抗いがたい怒りの捌け口としての自分自身をいつか作り上げている。
捌け口としてのあたしは。
どんなことを思って、過ごしてきたんだろうか。
目の前のヱミは。
どんなことに傷ついて、どんな言葉に泣いただろうか。
「あんたさ……」
思考が纏まらないまま、脊髄反射で声をかけたあたしは、何でもない微笑みを向ける白い少女の影に、続く言葉を必死で探した。
「辛く、ない?」
でも結局は、慰めたり、勞ったりの言葉なんて出てこなくて。どうしても出てきてくれなくて。
自分の語彙力を呪ったのは、そんな他愛のない質問を口にした直後だった。
「辛くないよ――だってエミが笑ってくれるから」
そんな問いに即答する、けらけらと笑うヱミ。
あたしは胸の奥がズキリと痛んだ気がして、眉根を寄せて目頭に熱が込み上げてしまう。
「何?泣いてくれるの?わたしのために?」
すると弱みに付け込むように、ヱミは肉薄してあたしの泣きそうな顔を下から覗き込んでくる。
急に恥ずかしくなったあたしは何かを発そうとしたけれど、でもどうしても言葉が思い浮かばなくて困惑してしまう。
そしてヱミは、そんなあたしをいきなり抱き締めて、頭を撫でてくれた。
「可愛いなぁ、メイちゃんは」
「……
「じゃあその涙、
そして、いきなりあたしの両頬を掴み上げて顔を正面に向き合うと、あたしの左目尻に小さくキスをしたんだ。
「は――?」
「美味しかった。おかわり」
次いで、右目に唇をつけようとするヱミを押し退けて、あたしは思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てる。
顔は勿論のこと、不意のマウス・トゥ・アイのキスに、体まで熱くて堪らない。特に、キスされた左目が。
「あはははは」
転げてしまうほど笑い声を上げるヱミは、あたしの語彙力の乏しい罵詈雑言を聞き流しながら、やがて悪魔のような微笑みをあたしに向ける。
「ありがとね――」
その表情が何故かどこか寂しそうに思えて――
「あのさ、」
あたしは、つい訊ねてしまう。
「あたしが退院しても、また会ってくれる?」
そしてヱミは、水面に投じられた波紋がやがて収まるように、静かにその笑みを収めた。
「ごめんね。正直言って、無理だと思う」
「え、……あ、そっか。もしかしてあんたたちの方が、先に退院する?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ、――何で?」
口を噤み、そして再びその淡い桜色の薄い唇が上下に裂かれる。
言葉が漏れるまでの静寂は、まるで永遠のように思えるほど長い。
「まだ先だと思うけど――わたしたちはいずれ消えちゃうの」
「消える……?」
「そう。消える」
どうして、何で、消えるって何、と訊こうとしたあたしは。
だけれど、それを訊いてしまえばいつかを待たずにその時がすぐに来てしまいそうな気がして。
その儚い表情を、見送ることしか出来なかった。
「またね」
「……うん、――またね」
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