M.-6; 百合

    †  †


「……こんばんは」


 月明かりに照らされて青白い空気を満たす夜の病室に、白い彼女が密やかに入ってくる。

 ベッドボードに凭れ読書灯を点けて読めもしない医学書に視線を落としていたあたしは、ぱたんとそれを閉じてサイドテーブルに置き、彼女の到着を待った。

 ヱミは後ろ手で静かにドアを閉めると、小首を傾げてにたりと微笑む。相変わらず意地の悪い表情だ。こんな日に限って、あたしをじらす算段らしい。


「早く来てよ」


 仏頂面でそう告げると、彼女は微笑みを深めてぱたぱたと駆け寄った。

 そしてベッドに腰掛けるどころか、そのままあたしを横に押し遣って毛布の隣に入り込んでくる。


「会いたかったよ」


 同じ様にベッドボードに凭れながら、そして耳元で囁くようにそんな言葉を掛けてきた。

 あたしは何故かむせてしまい、気道に入った唾を出そうと喉が激しく咳込んだ。


「って言うか、エミに変なこと吹き込んだの、あんたでしょ」


 ヱミはけらけらと笑っている。どうやらあたしが咳込んだのが余程おかしかったらしい。


「ごめんごめん。つい、面白くて――でも君もいけないんだよ?会いに来たって言うのに、会ってくれないから」

「それは本当に、ごめんなさい」


 それはくつがえせない事実なので、素直にあたしは謝る。もともと、彼女が来た暁にはこうして謝るつもりではいたんだ。


「謝罪の言葉だけで許せるほど軽い女じゃ無いんですけど?」

「だから、ごめんって。本当、ごめんなさい。どうかしてた」

「んー、どうしよっかなぁー……」


 そうして彼女は、顎に手を当てる仕草をしながらあたしを横目で見る。

 月明かりに照らされた横顔は、もともと彼女が有する神秘性を格段に跳ね上げて、あたしは本当に綺麗だと見惚れてしまう。

 そんなあたしの視線を受けて、ヱミはその蠱惑的な表情を意地悪く歪めた。


「じゃあ、ちゅーして」

「はっ?」


 今、ちゅーって言った?

 ちゅーって、キスのこと?


「え、ちゅーって?」

「ちゅーだよ。ちゅー、知らないの?キ、ス」

「キス……っ?」


 思わず、その薄く尖った淡い唇に視線を落とした。

 桜色に染まるその艶やかな唇を、俄かに舌が這って舐めずる。その妖艶で蠱惑的な仕草に、あたしは顔を赤らめてしまっただろう。顔がやけに熱くて、そして心臓が痛い。


「してよ、キス」


 移り変わって、強請ねだるような、それでいて真面目な表情で迫る、小さく端整な顔。

 その細い身体が毛布から翻り、あたしに馬乗りになった彼女はその両手であたしの頬を捕まえた。


 驚いて声を上げることも、目を泳がせることすらも出来ない。

 ゆっくりと、彼女の唇が迫り、徐々に肉薄し――


「痛っ!」


 思わず目を瞑ったあたしのひたいを、彼女は指で弾いた。

 そして何も言えないあたしの表情を見てはけらけらと笑い転げ、本当にベッドから落ちてしまったのだ。


「だ、大丈夫?」

「あは、あははははっ――はぁ、最高っ」


 うっとりとした彼女の表情を見て、あたしは差し出した手を引っ込めた。


「今日のところは、その表情で許してあげる」

「煩いっ、早く帰れっ!」

「そんなこと言わないでよ。もっとお話しよっ」

「……っ」


 心臓の痛みは消えないままだ。でもこの痛みは、きっと孔の開いた痛みじゃないことは知っている。

 こんなにも身体が熱くて、鼓動が早いのは、どういうことなんだろうか。――知らない振りを、あたしは決め込んだままで頷いた。


「じゃあ、この前の続きね。っと、この前は何の星の話してたんだっけ?」

「えっと、……デネボラ?」

「天の川銀河だよ。じゃあ今日は――」


 あたしはもう一つ、決め込んだことがある。

 あのゲームブックが完成したら、あたしは自分の過去を知ることにしよう。

 そしてエミとヱミに、それを話そう。

 エミとヱミが話してくれなくてもいい。

 あたしは、あたしのことを知りたくて、そして知って欲しいと、そう思うから。


    †  †


 夢の中で、あたしはやはり殺された。今度は頭を思い切り掴まれて、水の入ったバケツに押し付けられた。

 影は完全に拭い去られていないけれど、影のように何処までも黒い髪の毛を視認した。


 やっぱりだ。

 やっぱりあたしはあたしを、一番×していた。


    †  †


 君の住まう村で、君はきこりをして生計を立てていた。

 君はまだ若かったが、幼い頃に将来を誓い合った娘がいて、仲睦なかむつまじく――


むつまじく、ってどういうこと?」

「仲良く、ってこと。続き読むよ?」


 仲睦まじく暮らしていた。ただあまりにも二人は若かったため、約束された将来はもう少しだけ先のことだった。


「どういうこと?」

「結婚するにはまだ早い、ってこと。たぶん成人してないんじゃないかな」

「ああ、なるほど」

「読むよ」


 君は気性こそ穏やかで、嵐の夜の雷に怯えるほど気弱だったけれど、友達に恵まれ、また森の動物とも悪い仲じゃなかった。

 逆に無邪気で快活な娘は、時折薬草ハーブを採りに山の遠くに踏み入ってしまい、君をひどく心配させた。

 けれど森の仲間たちは君を先導し、いつだって彼女を見つけるのは君の役目だった。


「この子、わたしのこと?」

「あくまでモデル」

「えへへ、嬉しい」

「読むよ」


 しかし国の掟で、よわい15になる娘を国を統治する白い魔女に差し出さなければならなかった。

 今年は、君の許嫁いいなずけが選ばれてしまった。


「この白い魔女ってヱミちゃんでしょ?」

「あくまでモデルね。読むよ」


 白い魔女はその美と魔力を永遠のものとするため、年に一度その国から一人の処女を生贄に差し出すことを要求した。しかしそれさえ守れば、その国は他の国から攻め込まれず、また魔女の魔法によって国は終わらない栄華を得られた。農作物は枯れず、牧畜や文化・文明に限りは無かった。


「おお、すごいね。何か、壮大なファンタジー、って感じ」

「本当?」

「うん。挿絵があったら、ここに栄華を極めた国の様子とか入れたら面白そう」

「あー、絵は苦手だからなぁ……」

「えへへ。エミも」

「じゃあ続き読むよ」

「うんっ」


 君と娘は抵抗した。そして君は娘と一緒に、森の奥へと逃げた。

 さぁ、君の目の前には鬱蒼と茂る森が拡がっている。

 森は真っ直ぐ開けており、そして右には鹿だろうか、獣道が続いている。

 道は無いけれど、左の茂みは身を隠しながら進めそうだ。

 行先を選べ。

 →開けた真っ直ぐの道を進むなら、〇ページへ。

 →右の獣道へと進むなら、〇ページへ。

 →左の茂みを身を隠しながら進むなら、〇ページへ。


「おお、早くもゲームブックスタートだね」

「うん。まずは森を逃げるの。ここは単純なループにしようと思っていて、三回くらい正解の道を選んだら次に進むって感じ」

「そうだね、いきなり間違えてゲームオーバーだったら吃驚びっくりするもんねぇ。でも、二回連続で正解、くらいがちょうどいいと思うよ」

「そうかなぁ?じゃあ、そうしよう」

「うんうん。それで、続きはどうなるの?」

「待って。……じゃあ、読むよ」


 ――そして君の目の前に白い魔女が降り立つ。

 魔女は『娘はもらう』とだけを告げ、君に向かって杖を振り下ろし、その先から稲妻がほとばしった。

 さぁ娘を守るため、魔女と戦え。

 →負けたなら、〇ページへ。


「え、負けしかないよ?」

「一応、負けイベントだから負けた場合のしか無いんだけど……」

「でも、サイコロの目に恵まれ続けたら勝つことだってあるよ?」

「えー、そうかなぁ?一発もらったらHPヒット・ポイント半分削れちゃうんだけど……え、勝てる?」

「じゃあ、勝った場合でも、実は魔女の分身で、結局負けちゃう、ってイベントにしたらどうかな?」

「エミすごい!そのアイデアもらうね」

「えへへ」


 絶望と恐怖に打ち勝て。しかしこれは君の心との戦いだ。HPヒット・ポイントを最大値まで回復させてよい。

 →勝ったなら、〇ページへ。

 →負けたなら、〇ページへ。


「バトルが続くね」

「うん。もうちょっと心の葛藤を描きたいんだけど……」

「うん、そうだね。こう、娘さんとの思い出とか、魔女への恐怖とか、地の文で盛ったらすごく良くなると思う」

「わかった。じゃあここはもう少し考えるね」


 勇気を振り絞って立ち上がった君に、賛同する者が現れる。

 戦士と魔法使いの二人だ。二人は、君と同じ様に白い魔女に大切な人を奪われたのだ。君たちは志をともにし、旅する仲間となった。


「仲間の描写をもうちょっと書いてもいいかな、って思う」

「描写って?」

「どういう姿をしてる、とか、年齢とか男とか女とか。あと、もうちょっとページ使って、背景を詳しく書いたら面白いと思う」

「じゃあそれも考える」

「わたし考える?」

「えーっと……じゃあ、お願い」

「うん。明日持ってくるね」

「ありがと」

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