殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ

長月十伍

M.-17; 色彩

 世界がもしも終わるなら、きっとこんな空色だ。


 その影を色濃くさせながら東に延びる紺碧を追い遣って。

 ビルの輪郭に切り取られた西のが、灼けたあかで雲をむ。


 そんな極彩の夕焼けの真下、早咲きのテッポウユリに囲まれた少女は。

 遠く何処かに消えていきそうに、ただただ白く佇んでいた。




    †             †



殺<アイ>されたいコ と 愛<コロ>してくれコ



    †             †




 どこまでも黒い、胸元まで伸びた髪は少し傷んでいて、艶消しマットな質感を帯びている。

 殆ど無いも同然の眉に覆いかぶさって顔にかかる前髪。その真下で、目頭よりも少し高い位置に目尻のあるやや釣り上がり気味の目が、髪の毛のようにどこまでも黒い虹彩をその中心に据えている。

 確実に存在する涙袋の下に居座ったくまは重苦しい髪と相俟あいまって物憂げな雰囲気を強調し、仏頂面と形容できるその表情は人付き合いの難しさを連想させた。

 

 鏡に映るその顔は、いつだったか「ぱっと見清楚系だけど、よく見たらメンヘラっぽいよね」なんて評価を受けたことがある。

 そんな自分自身の顔のことを、あたしはあまり好きでは無かったのだろう。

 少し自己主張しがちな鼻とか、色気の無い唇とか、ギザギザに見える歯並びとか。

 でもお化粧をした後の見違える顔は、少し自信があったりもする。


 でもそのちょっとした自信は、振り返るとそこにいるあたしの親友の容姿にいつも打ち砕かれるのだ。


 まるで絹糸で織られたような乳白色の髪ミルクブロンド。そのふんわりとしたナチュラルボブの下には、仔猫を想起させる愛玩動物めいた顔が収まっている。

 薄く淡い眉とは対照的に濃くしっかりとした睫毛に縁られた大きな丸い目は、やはり大きくつぶらの、ほのかに淡い琥珀色と薔薇色とで上下に別れた比類ない虹彩を冠する。

 筋の通った小振りな鼻。薄く尖った唇は悪戯っ子のように口角を仄かに上げ、おとがいは幼童めいて存在感が無く、髪に隠れて見えづらいが頬の感じから丸顔と伺える。

 首は細く、肩幅もやや狭い。首筋と四肢の表面には薄ら蒼い静脈が浮かび上がっており、それらを包む肌の薄皮は病的なほどに真っ白で、その血の気の薄さを物語っている。


 天使が舞い降りたとしたら、きっとこんな形をしているんだと思う。

 その中身は、まるっきり天使というわけでは無く、むしろ悪魔って感じだけど。


「何見てんの?」


 親友はめつけるあたしの視線に、ふふ、と妖しく微笑んだ。

 夜の病院は昼間と違った雰囲気を漂わせている。同じ病室でも、夕暮れまでの和やかさは日の落ちた瞬間に何処かに走り去っていってしまった。

 でも、走り去ったものはそれだけじゃない。

 落陽は彼女の“人格”が変わる合図スイッチでもある。


 彼女は解離性同一性障害――掻い摘み過ぎた説明をすれば二重人格というやつだ。


「別に何でも無いよ。いつもの癖じゃん」


 あたしについ人の顔や目をじぃっと見つめてしまう癖が無かったとしても、あたしは彼女の顔や目をじぃっと見つめてしまっていただろう。


 あたしは彼女のことが好きだった。

 その白い頭髪も、上下で色の違う虹彩も、色白を通り越して青白い肌も。一見するとそれは普通じゃなく映るけど、そのどれもが彼女の愛らしさを形作る一つ一つだ。

 最初は半信半疑だったその中身も。今では、どちらの人格も愛すべきそれぞれの親友だ。


「ねぇ、メイちゃん」


 彼女があたしを呼ぶ。所謂いわゆる猫撫で声であたしを呼ぶ時は、決まっていつも同じお願い事をする。


「ちゅーしていい?」

「何でだよ」


 そうやってあたしをからかって、反応を見て楽しんでいるんだ。夜の彼女は、趣味の意地が悪い。


「でもさ、もしかしたらもうすぐコロッと死んじゃうかも知れないじゃん?ちゅーもしたこと無いのに死んじゃうなんて可哀想かぁいそ過ぎじゃない?」

「いやいや、あんたとあたし女同士じゃん」

「愛は国境も性別も越えるんだよ?」

「じゃあ死んじゃう運命も乗り越えてくれない?」


 洗面台の前で化粧水を肌に塗りこむ作業を終えたあたしはベッドに戻って毛布を被る。ベッドに腰掛けていた彼女は、あたしが足を伸ばすとベッドから降りて軽やかな足取りであたしに肉薄する。


「いいじゃん、ちゅーしようよ」


 腕と顔を近づける彼女。一応怪我しない・させない程度には抵抗するものの、その細い腕のどこにそんな力があるのか。そんなにキスがしたいと言うのか。


「ちょ、待っ――」


 その端整な顔が近づき、あたしは思わず目を瞑った。

 そして唇に訪れたのは、縦に伸びるしなやかな指の感触だった。


「ぷっ――本気にしてんなよ」


 目を開けると、あたしの口元には彼女の立てた人差し指が押し付けられ、彼女は悪魔めいた表情であたしを見つめて意地の悪い笑みを浮かべている。

 あたしは咄嗟にかぁっと頬に熱が篭ってしまい、あたしを開放してベッドに腰掛け直した彼女に拳を振り上げた。――勿論、振り下ろすつもりは全く無いけれど。


「もしかして、今夜こそはって期待してた?」

「んなわけないじゃん!馬鹿っ!」

「あははは――」


 こんな風に、彼女はあたしをからかって楽しむ。心底楽しそうに笑う。

 そしていつも、一頻ひとしきり笑った後で、俯きがちに目を伏せるのだ。

 そこに差す影の正体をあたしはまだ知らない。でもいつか知りたいと思っている。

 直接訊くのは無粋だから、話してくれる日を待とうと思っている。


 そしてそんなあたしは、彼女がさよならも言わずに消えてしまう日が来るなんてことを、ずっと知らずにい続けたんだ。

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