1092. 恋をしたような瞳で


『これより優勝した町田南高校の栄誉を称え、表彰式を執り行います。準備が整うまで今暫くお待ちください――――』


 熱狂からおよそ三時間。全国へ滑り込みを決めた我らが山嵜のことなど、アリーナの観衆はもう忘れてしまったようだった。


 それもその筈。観客のほとんどが入れ替わり、山嵜の関係者はほぼほぼ残っていない。決勝戦を観戦した俺たちくらいか。


 ゲームの映像は聖来が収めてくれたし、みんなも二校の戦いをしっかり目に焼き付けた。

 メダルが授与されるのは町田南だけで、表彰式に用は無い。そろそろアリーナを離れよう。



「……強いわね。やっぱり」

「前半はよう耐えとったけどな」


 整列もままならずコートに崩れ落ちる川崎英稜の面々。そんな彼らをスタンドから見下ろし、愛莉は何とも言えない表情で呟く。


 ファイナルスコア、11-1。

 町田南の優勝で、関東予選は幕を閉じた。


 点差ほど実力差があったとは思わない。前半は3-1で、むしろ粘り強く戦ったくらいだ。弘毅のゴールで一点も返したし。


 ただ、それ以上に町田南が老獪だった。

 前掛かりになる川崎英稜をのらりくらりと躱し、効率的なカウンターでひっくり返してしまう。最後の4点はパワープレー返しによるもの。


 MOMはジュリーで決まりだ。この試合もダブルハットトリックの大活躍。男子の得点王はアイツに持って行かれてしまった。



「たった七試合で、累計124ゴールか……初戦の大量得点もあったとは言え、ちょっと抜け過ぎだな」

「二桁行かへんかったん、ウチらだけやねんな」

「9失点じゃ似たようなものさね」


 前を歩く文香と峯岸が話している。

 予選であまり出番の無かった栗宮胡桃が本領を発揮すれば、全国でもその得点力は遺憾なく発揮されるだろう。


 準決勝である程度は互角にやり合えた俺たちだが、改善すべき点は多い。全国大会まで二週間弱、どこまで差を詰められるか。



「まっ、キラクにいこーよ。また当たるかも分かんないんだしさ。もしかしたらウチとやる前に負けるかもだし?」

「へへへ……どうじゃろうなあ」


 苦笑いで流す聖来。分析担当の彼女は軽率に頷けないのだろうが、でも瑞希の言うことも一理ある。彼らだって同じ高校生なのだから。


 どこかに穴はある筈。それに予選はあくまで予選、前哨戦だ。全国とはまったく違う戦いが待っている……油断出来ないのはウチも一緒だけどな。



「そうそうっ。今日は今日でちゃんとお祝いしなきゃ。昨日はちょっと疲れてたから、しっかり堪能出来なかったんだよねえ~。ホテルビュッフェ」

「比奈。食べ過ぎないようにしてくださいね」

「え~? 琴音ちゃんが言うの~?」


 というわけで、この日も自宅ではなく昨日泊まったホテルへ帰る予定になっている。


 全国出場を祝うだけでなく、優勝パーティーも目論んでいたシルヴィアの素晴らしき英断だ。一つは残念ながら叶わなかったが。


 切り替えの早い比奈に倣って、この後はゆっくり過ごすとしよう。ところで、二つの意味で立役者な彼女はどこへ消えたのか。



「シルヴィアは?」

「試合終わる前におトイレ行ったっスよ」

「俺も寄るわ。ついでに迎え行って来る」

「じゃあみんなに言っとくッス。んっ、あ、先輩ストップ! お迎えならさっきイチカワ先輩が……」


 慧ちゃんが何やら付け加えていたような気がしたが、ギリギリで耳に届かなかった。階段を降り一階の広いロビーへ。


 決勝戦はほぼ満員になったらしい。人も多いし、日本語の読み取りが不十分なシルヴィアでは迷ってしまうかも。


 さっさと済ませて手洗いの前で待っていよう。ハーフタイムの間も混んでて行けなかった……みんな栗宮胡桃を見に来たんだろうな。



「あ、どうも」

「おっと!?」


 後ろの個室から誰か出て来たと思ったら、市原臨海のゴレイロ内山だ。片手には随分と大きなキャリーケース。エライ冷や汗掻いてどうした。


 って、なんだその荷物。チームの備品や全員分のユニフォームでも詰め込んでいるのか。男子の内山に任せる仕事じゃないだろ。


 ……そう言えばコイツ試合中、エカチェリーナに『下僕』とか呼ばれていたような。うん、余計な口は挟まんとこう。察した。



「おぉ、ちょうど良かった! アリーナで会えなかったらどうしようかと! いくらホテルが一緒と言え、流石にそこまで缶詰は……」

「え?」

「必ず試合後に手洗いへ寄る筈だと仰っていたものですから、まぁ賭けが当たったと言いましょうか、ハハハハっ……では、どうぞ!」

「はい?」


 どういうつもりか、その馬鹿デカいキャリーケースを渡される。そして内山は小走りで手洗いから出て行った。


 いや、急にこんな荷物押し付けないでよ。むっちゃ困るんだけど…………ん、取っ手に紙が挟まっている。何か書いてあるぞ。



(誰もいないところで開けろ……これは、名前か? 読めへんな……あぁでも、キリル文字ってこんなんやったような)


 全国出場を決めた俺たちへの手土産、みたいな? で、エカチェリーナが用意して内山に渡させたと? だとしても謎過ぎる行動だけど……誰もいないところで、の意味も分からん。


 まぁいいや。ロクな物じゃないのは確定だし、トイレの個室でさっさと開けてしまおう。一応誰もいないところではあるし。



「重っも……!」


 ケースを引いて個室へ。鍵を閉める。


 内山、よくこれを当たり前のように引いて出て来たな。人が入っていると言われても納得の重量。


 しかし本当に謎だ。本当にプレゼントだとして、あれだけシルヴィアを嫌っていたエカチェリーナがわざわざ全国を賭け戦った俺たちに、気の利いた品を贈るとは思えないのだが……。



「――――わたくしがプレゼントですわ!」

「ヴぇ嗚呼ああアアアア゛アアアアァ゛ァアアァァーーー゛ーッッ゛!?」

「あらっ、可愛い悲鳴♪」


 衝撃のあまり便器に飛び乗ってしまう。ジッパーを引いた先から現れたのは、まさにその張本人。エカチェリーナ・アリエフ。


 キャリーケースからズボッと顔を出すと、そのまま器用に身体を捻り脱出。ライトブルーのピステを纏い、美しい銀髪を優雅に揺らし微笑む。


 いやもう、頼むからこの期に及んで美少女面しないで欲しい。怖い。ただひたすらに怖い。なんなんだ、何が目的だッ!?



「どうしてそんなに驚いておりますの? わたくし、約束を守っただけですわ」

「や、約束……?」

「まあ! 忘れてしまいましたの? カディアの反対を押し切ってわたくし、下僕にここまで連れて来て貰ったのに!」


 恐らく試合前に交わした『負けたら好き放題されろ』という話のことだと思う。


 だとしてもだ。そもそも賭けたのはノノとシルヴィアであって俺じゃない。巻き込まれただけだよ。無関係も良いところだって。



「ねえヒロセハルト。わたくしどうやら、おかしくなってしまいましたわ」

「そのようだな……ッ!」

「最後に決めたゴールとそのお顔が、ずっと脳裏から離れてくれませんの。左胸がぽかぽかと暖かくなって、まるでカディアと過ごした幼少期の頃を思い出すようですわ……っ!」

「やめろッ! 恋をしたような瞳で!?」


 うっとりと目を細め頬を抑えるエカチェリーナ。不味い。閉じた便器に座っているという状況込み込みで非常に不味い。逃げ場が無い。


 するとエカチェリーナ。ほぼ無意識で発した語気の強いツッコミに対し、反論するどころか、ハッと口を小さく開け……。



「恋…………恋っ!? まあっ、なんてこと! わたくしったら、どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら!?」

「……はっ?」

「この穏やかにも燃え上がるような熱い想い。まさにカディアや皆さんへ抱いているものと、まったく一緒ですわ! わたくし、貴方に恋をしてしまったのね……! 信じられませんわ、あんなに雄を毛嫌いしていたわたくしが……っ!!」


 求めていた答えが見つかった、と言わんばかりの煌びやかな瞳。すっかり興奮しているようで、力任せに肩をガッチリ掴んで来る。


 いやおかしい。偶々今日試合をして、ちょっと因縁があったってだけの、それだけの関係でしょ。


 そうはならんよ。ねえ、どうしてそうなっちゃうの? なんで納得しちゃうの? ねえ。



「不思議ですわっ……まるで猿のように見えていた雄が、こんなにも可愛く映るだなんて……!」

「や、やめろ、近付くな……ッ!?」

「嗚呼、こんな気持ち初めてっ! 貴方を屈服させたい。でも同時に、貴方に平伏し服従したい。二つの気持ちが絡まり合って、身体が熱くなって……! ぁぁああああっ!!」

「ヒィィ!?」

「決めましたわっ! わたくしの婚約者になって! もう興味の無い見合い話はウンザリ! 卒業したら……いえっ、そんなの待っていられませんわ!!」

「ファッ!?」

「貴方ほど有名なお方と、カザフスタンを代表するわたくしが婚約すれば、これほどのビッグニュースはございませんわ! お国の為、企業の為。そして何より、わたくしの素晴らしい人生の為! まさに完璧なシナリオ……っ!」


 世にも恐ろしいことを口走る。


 バッキバキに血走った目がどことなく発情した愛莉に似ていて、色んな意味でもっと怖かった。よ、よだれが……。



「悪い思いはさせませんわ。こう見えてわたくし、夜の方にも自信がありますの! カディアもいつも喜んでくれますのよっ♪」

「やだぁ聞きたくないよぉ……!!」

「どうしてもと言うのなら、シルヴィア・トラショーラスを連れて来ても構いませんわ。そうすればあの子たちも、全員わたくしのモノ……!!」


 細い指がジリジリと股間へ伸びていく。


 駄目だ。恐怖で身体が上手く動かない。

 誰か、誰かァァ……!!



「――――ヒロ!!」

「センパァァァァァァァァイ!!」

「シルヴィア! ノノ!?」


 扉の上からぴょこっと顔を出した救世主。

 手洗いに向かった二人だ!


 って、普通に入って来るなよ!男子トイレだぞ! いやめちゃくちゃ嬉しいけど!! 助けて!!



「トラショーラス!? どうしてここに!!」

『悲鳴が外まで聞こえたのよっ! わたしのcariñoに手を出そうったって、そうはいかないわ!!』

「いま助けますからねセンパイっ! とうっ!」

「むがががががががが゛っ!?」


 そのままノノが個室側へ飛び降りて、素早くエカチェリーナを捕獲。両者が格闘する間に、俺はどうにか立ち上がり鍵を開け、外へ脱出。


 シルヴィアに手を引かれ、騒然とするロビーを無我夢中で駆け抜ける……。


 

『もうっ、いったいなにがどうなって……!』

「俺が聞きたいよぉぉしるゔぃあぁぁぁぁッ!」

「ナクナ、ヒロ!! ハシレッッ!!」


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