1088. 心は熱く
「――――なああああっ!?」
鳩尾にパンチでも喰らったみたいに、エカチェリーナの瞳は驚愕の色でいっぱいに染まる。比喩でもなく、時間が止まったのだ。
「っしゃああああ! ナーーイスシルヴィア!」
「凄いっ! コース読んでたのね!」
愛莉と瑞希も抱き合って喜んでいる。
ライン上に立ち最後の防波堤となったシルヴィアは、エカチェリーナの足元に飛び込むような真似はせず……冷静にシュートを待っていた。
対するエカチェリーナ。エリア内でどフリーということもあり、落ち着いて狙うだけの猶予もあった。優れた決定力を誇り、生粋のフットサルプレーヤーである彼女ともなれば、狙う場所は一つ。
肩口だ。
頭でも脚でもクリアしにくい、守備者にとって最も難しい場所。
下手に身体を広げればハンドになる可能性が高いし、飛び込んだら飛び込んだで空きやすいコースでもある。
それをシルヴィアは読んでいた。
一歩引き身体をゴールマウスのなかに入れると、インパクトと同時に腰を屈め、前進。ヘディングで押し返したのだ。
仮にグラウンダーやニアをぶち抜くシュートであると、クリアする前にラインを割ってしまう。重心が逆だから。つまり、完全にコースを分かっていないと出来ない判断。
あの一瞬の攻防で、肩口を狙っていると読み切るとは。恐るべき冷静さ。まさにパーフェクトディフェンス……!
「こっ、この……ッ!!」
「カチューシャ!!」
ヘディングはそのままラインを割り、市原臨海のキックイン。
怒れる主を窘めマーガレットがスポットに寄るが、ここも切り替えが速かったシルヴィア。ボールの前に立ち塞がり、リスタートを止めてみせた。
主審がホイッスルと共に注意へ向かうが、シルヴィアは『あらごめんなさい』と一言、済ました顔。
おいおい、急にどうした。まるでノノのマリーシアが憑依したみたいな冷静沈着ぶりじゃないか。
「ファール、ファールよ!?」
「審判! ユニフォームを引っ張っていました!」
再開後、マーガレットはシンプルなロブパスを供給。エリア内で真琴と競り合ったエカチェリーナはバランスを崩し転倒。
二人揃って抗議しているが、主審は『無い、無い』と手を振る。ボールは逆サイドへ流れ、今度は山嵜のキックイン。今のも……。
「ひゅ~。危っぶねえ~」
峯岸も胸を撫で下ろす。ニアに構えた7番山岸を見るフリをして、エカチェリーナが動き出したタイミングで腕を掴んだ。
ゴール前が大混雑していたので、角度的に主審からは見えなかったのだろう。尤も、ベンチからは丸見えだったが。上手いことやったな。
『ルビー、ナイスプレー!』
「おいいいい! 汚たねえぞ20番!」
スタンドからは賛否両論が飛び交う。先に叫んだのが恐らくファビアンで、後者がエカチェリーナの厄介ファンだ。どちらを応援しているかで、彼女の印象はまったく違うものに映っている。
だがそれで良い。
大会のスターになる必要なんて無い。
俺たちのヒロインでさえ居てくれれば……!
「っと。残り五分か……イケるよな?」
「決まってんだろ」
このタイミングで交代。本来はセット丸ごと入れ替える予定だったが……流石は峯岸監督、よく分かっている。
まさにアクシデントってわけだ。
あんなシルヴィア、誰も見たこと無いもんな。
「頼むよ兄さん……!」
「おう、任せろ。クールダウンでもしとけば?」
「それはお断りッ!」
【in/out 長瀬真琴→廣瀬陽翔】
『あらっ、火傷は平気なの?』
セットポジションへ駆け寄ると、シルヴィアは馬鹿に余裕たっぷりな笑顔を綻ばせ、ボールを拾い投げる。
先のファインプレーと言い、いつものシルヴィアとはどうにも雰囲気が違う。
第二PKの前に慰めてやったり、ハーフタイムの間にみんなでフォローしたおかげ……と言い切るには、少々違和感があった。
『すっかり元気やな』
『かもね。今ならなんでも出来そう』
ふふんと鼻を鳴らす優雅な面持ちは、同じく異国からやって来た相手エースと似ているようで、実はまったく違う。
なるほど。施しは必要最低限。
余計な手出しは無用、と。
だったら相応の成果は出して貰おうか。
『ほな頼むわ。そろそろ勝ち越さんとな』
『……任せなさいっ!』
ボールをセットし逆サイドのノノへ。
シルヴィアは一気に縦へ走り出す。
「ヘイヘイヘイヘイ! なーーに試合中にイチャイチャしてんですかぁっ!?」
「ははっ! そう見えたか?」
「あとで混ぜてくださいねっ!」
お喋りも程々に、ノノもギアを上げ敵陣へ斜めに侵入。どうやら俺からのメッセージ、しっかり受け取ったようだな。
すぐさまエカチェリーナがチェックに向かう。
が、これ自体が証拠みたいなモノ。
俺がコートに戻ったことで、ラインがグッと下がった。奴が自陣に留まっている時点で『失点だけは避けたい』と公言しているも同然。
「おらぁ下がって受けろや世良ァァ!!」
「急にどした!?」
文香がワンタッチで落とし、ノノは逆サイドへ大きく展開。左アラに入っている彼女だが、あまりポジションは気にせず縦横無尽に動いている。まったく、そういう動き真琴のいる時間帯にもやれよな。
「トジマさん、99番を……っ!」
「ストップ! 寄り過ぎないでコースを!」
全員が流動的にポジションを取りパスを繋ぐことで、マーガレットも内山も指示出しに苦心している。足も止まり始めていた。
確かにセカンドセットはトランジションの速さ故、攻守が表裏一体になり過ぎる節もある。そこに付け込んで、幾らかチャンスを作った市原臨海。
だが見合うだけのリターン。
つまりゴールは得られなかった。
後半はずっとこのメンバーで戦っているし、チャンスを逃した後の耐える守備ともなれば、自然と足取りも重くなるわけだ。
体力、精神の両面において、本来の強度は既に失われている。
(ったく、ホンマ頼り甲斐のある後輩やな!)
失点後にスクランブルを打たず、セカンドセットを継続したのはこれが狙いだった。市原臨海の攻めっ気を引き出し、体力を削る。
がっぷり四つで戦ってくれた彼女たち、そして峯岸にも感謝せねば。タイムアウトの間、連中がコートでお喋りしているのを見て俺を交代させた。火傷していたのも本当だけど。
「ヒロ、モッカイ!」
「ほらよっ!」
「ノノコッチ! モットヨッテ!」
「ぃやっふうううゥゥゥゥーーーーッッ!!」
ノノとシルヴィア、俺の三人で距離を保ち、さながら鳥かごのようにパスを回し続ける。市原臨海の面々はテンポに着いて来れない。
辛うじて文香へのスイッチと、縦のコースだけ塞いでいるようだが……頃合いだな。
さて、仕事しますか。
ヒートアップの時間だ。
「くうっ……! これ以上はさせませんわ!」
「カーチャ、行き過ぎないで!」
パス交換を取り止め、キープしたまま自陣へ引き戻る。業を煮やしたエカチェリーナが早々に食い付いて来た。
一方的にパスを繋げられる苦しい展開で、頭に血が上った……というわけではないだろう。
チームを助けるべく前線からの激しい守備で流れを取り戻そうという、ポジティブな心構え。
でもそれ、結局同じなんだよな。
前半のチグハグな寄せと。
教えてやろう。ハリボテの女王よ。
エースたるもの、心は熱く頭はクールに。
華やかさを忘れてはならない。
「――――ッ!?」
「カチューシャ!」
自陣から脇目も振らず猛追していれば、脚も縺れるものだ。左と見せ掛け足裏で引き、右へ。
非常にシンプルなドラッグバック、からのプル。エカチェリーナは面白いように翻弄され、コートへ沈んで行った。
疲弊こそすれど、縦のラインだけはしっかり切っていた筈だ。なのに縦を抜かれたわけで、それはもう驚いた顔だった。
あの表情だけで白飯三杯はイケる。ドリブラーの特権ってやつよ。
まぁでも、今日は譲ってやろう。
勿論俺やミクルでも、瑞希でもないぜ。
「――ブッ千切れ、シルヴィア!!」
斜め前方へ、強く鋭いパス。
コート中央。半身で受けたシルヴィアはそのままスピードに乗り、対峙するマーガレットをゴリ押しで振り切った。
傍目にはカットを狙われそうな危ないパス。だがマーガレットは寄せ切れなかった。否、寄せられないスピードで出したのだ。
それを明確なスイッチと受け取ったのだろう。シルヴィアはコートを斜めに横断するよう、ぐんぐん加速し敵陣へ侵入。
あれだけ流暢にパスを繋いでいたなかで、いきなり一人がドリブルで突っ掛かって来るのだ。残る二人も突然のテンポアップに、彼女を背後から追走することしか出来なかった。
「イケるっ、イケるでルビルビ!」
「シルヴィアちゃんっ!!」
あっという間にエリア手前まで到達。14番戸島、そしてゴレイロ内山もコースを塞ぐべく身を投げ出した。
笑止。無駄な抵抗は止せ。
どうせ目にも入っていないんだから。
「――ハァァァァッ!!」
鋭く腰を捻り、インフロントで真っ直ぐ叩く。
スピードに乗り過ぎてヒットしないのでは、なんて思っていたのは、スタンドで暢気に見守っていた俺たち以外の連中だけだろう。
やっぱ血筋って凄えな。
利き足じゃないのに、しっかり枠に飛ばす。
偶に思う。お前みたいに本場で生まれ育ったら、俺もプレーヤーとしてもっと理想的なメンタリティーを育めたのにって。
なんて、ないものねだりか。
このゴールを拝めるだけ、有難く思おう。
【後半11分10秒 シルヴィア・トラショーラス
山嵜高校3-2市原臨海高校】
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