1073. 大いなる野望


【in/out 山嵜

     長瀬真琴→倉畑比奈

     市川ノノ→廣瀬陽翔

     シルヴィア→金澤瑞希

     世良文香→長瀬愛莉


     市原臨海

     山岸紗南→茨田奈都姫

     戸島芽衣→水野真帆】



(和製ロベルト・バッジョ、ハルトヒロセ……まさか彼と同じコートに立つ日が来るとは。そして全国ではクルミクリミヤ、リクハセガワが待ち構えていると……険しい道のりですね、お嬢様)


 市原臨海のゴールクリアランスから再開。マーガレットは額の汗を拭い、相手ベンチから現れたファーストセット四人を改めて注視した。


 開始五分、ここまでは狙い通りの展開。守って守って守り抜いて、敬愛する主人へすべてを託す。

 準決勝ではリアクションスタイルで臨んだ川崎英稜に苦杯を舐めたが、主導権を握りたがる山嵜なら相性も良かった。


 尤も、陽翔を中心とした分厚い攻撃を前に、同じような展開が続くかどうか。

 男性選手がゴレイロの内山しかいない市原臨海、彼女とエカチェリーナを除きフィジカル面の不安も見逃せない。



「集中しましょう、ウチヤマさん」

「ミス・マーガレット、可能な限りインプレーで時間を使ってください。廣瀬陽翔が相手ともなれば、俺もカウンターまで意識が向かないので……」

「了解です。頼りにしていますよ」

「ふへへへへっ……!」

(何故私にまで敬語を……年上なのに)


 言葉だけなら真っ当な紳士たるゴレイロ内山だが、果たして頼り甲斐があるかは微妙なところ。マーガレットは小さくため息を吐いた。


 助っ人である彼はやや例外としても、似たような態度のチームメイトは多い。

 この歪な環境を自ら望んだと言うのだから、幼少より仕える主人の将来が本気で心配なマーガレットであった。



「さあっ、可愛い子羊ちゃん! わたくしのために走り、耐え抜き、そして戦いなさいっ! 期待しているわよ!」

「「はいっ! アリエフ様!!」」


(試合中くらい控えていただけないものでしょうか……)


 内山のスローイングで再開。山なりのハイボールが供給され、早速エカチェリーナと陽翔が競り合う。


 女性にしては高身長の彼女だが、流石にここは陽翔の貫録勝ち。冷静な胸トラップでマイボールにしてみせた。早くも主導権は山嵜へ。



(せめて彼のようなスペシャルワン、優れた男性プレーヤーが一人でもいれば……いえ、あり得ない妄想ですね。お嬢様がお認めになる筈がない)


 市原臨海高校。


 女子サッカー部を中心に、男子部のゴールキーパー内山を加えた即席チーム。フットサルでの実績は皆無に等しい。


 他の男性プレーヤーは、エカチェリーナが加入を認めなかった。内山にしても『一応は混合大会だから』という理由での選出である。


 男女共に全国レベルの強豪であり、本来なら未知数のフットサル大会に参加するような立場ではなかった。

 加えてエカチェリーナは、昨年秋に母国から編入。途中参加の余所者が強権を揮えるような温い環境でもない。



「潰しなさいッ!」


 甲高い声が特徴的な主の指令に、マーガレットは考え無しで飛び付いた。持ち上がる瑞希の前に立ち塞がりスペースを埋める。


 投入されたフレッシュな二人も愛莉、比奈へ徹底マーク。パスを受けた陽翔はエカチェリーナの守備を往なしつつ、出し処に悩んでいるようにも見えた。



(さぞ快適なことでしょう、お嬢様。鶴の一声で、誰もが貴女の思い通りに動くのですから……私が言えた口ではありませんが)


 日本から遠く離れた異国、カザフスタンから来訪した美し過ぎる少女。エカチェリーナ・アリエフ。僅か一年で市原臨海女子サッカー部は、彼女にすべてを掌握された。否、そうなる運命だった。


 長い歴史と伝統を持つ強豪といえ、一介の市立校。学校としてもサッカー部だけに注力するわけにはいかない。

 年々巨大化と資金注入が進む育成年代のチーム事情において、市原臨海は不利な立ち位置にあった。


 そんな状況で『半国営企業がスポンサーに』などと甘過ぎる誘いが舞い込んだのだから、飛び付かない筈がない。

 エカチェリーナ側の入念な調査と大いなる野望によって留学先に選ばれたわけだが、学校にとっては些細な問題だ。


 施設、資金面で多大なバックアップを受け、男子と比べ不遇を託っていた女子チームの環境は劇的に改善された。

 その時点でも既に、選手たちのエカチェリーナに対する評価は天井に達したと言って良い。


 ところが、エカチェリーナの暗躍はそれで終わらなかった。類稀なフットボールスキルだけではない。尊大な態度を補って余り得るほどの、圧倒的なカリスマ性。これこそ彼女の本懐である。



「おい山嵜ッ、攻めてんじゃねえよ!」

「カーチャにボール渡せ!」

「こっち見てくださああああアアい!!」


 エカチェリーナ目当ての観衆が業を煮やし、あろうことに山嵜へヤジを飛ばしていた。試合などどうでも良く、彼女にしか興味が無いのか。鉄仮面のマーガレットと言えど、こればかりは顔を歪める。



(まったく、実にですね……ッ)


 母国で学んだ帝王学と生まれ持った天性の人心掌握術が、周囲の人間を虜にするまで時間は掛からなかった。


 殊更に厄介なのが『小柄で可愛らしい女性が好み』という、少々偏った性癖の持ち主であること。

 マーガレット自身も対象だったように、目を付けたチームメイトへ片っ端から手を出す有り様。


 今や女子サッカー部のほとんどが、彼女の毒刃に掛かっていた。粗暴な言動の割に結構な世話焼きでフォローも欠かさない。

 気付けばチームのみならず、市原臨海そのものがエカチェリーナの言いなりとなっている。


 こうして『大企業の令嬢として、国威発揚に貢献する』『性癖ドンピシャな憧れの国で、欲望の限りを尽くす』という二つのミッションは早々に達成された。


 残す野望は本業のフットサルプレーヤーとして、確固たる地位を築くのみ。新設の混合大会への参加も、彼女の意志通り事が進んだ。


 ところが……。



「ヒロッ! ジブンでイケヨ!!」

「廣瀬きゅううううぅぅーーん!!」

「おらぁ廣瀬ェェ!! ここで負けたら二度とタダで施術してやらねえからなァ! 慧に出番やれるくらい、ガンガン決めまくれ!!」


 山嵜側のスタンドから一際喧しい声援が飛び交う。比奈のキックインを受け、自陣からドリブルで一気に侵入。


 フィールドプレーヤーに男性選手を置かない市原臨海は、彼の個人技に対抗し得る術を持っていない。途中投入の茨田、水野はアッサリと往なされてしまい、残す守備者はマーガレットのみ。



「おっと」

「ここまでです……っ!」


 シュートコースだけでも塞ごうと、マーガレットは腰を低く落とし眼を鋭く尖らせた。陽翔は感心したように吐息を漏らし、左へ大きく展開。


 受け取った瑞希がすかさずカットイン。エカチェリーナの守備を振り切り、エリアやや手前からシュートを放つ。



「だぁぁ! コース無さすぎっ!」


 ここは内山の好セーブ。

 マーガレットはホッと胸を撫で下ろした。



(町田南だけでも大問題だというのに、このチームと来たら……背番号7番、ミズキカナザワ。彼女も中々の……お嬢様が意識するのも頷けます)


 明確なレベル差のあるサッカーとは異なり、フットサルに掛けては日本のやや上を行くカザフスタン共和国。

 男子に至っては、自国のクラブチームは国際大会での優勝経験もあるほど。ワールドカップでの実績も日本を上回る。


 要するに、都合の良い国だったのだ。


 今だマイナー競技の域を出ない日本フットサル界において、エカチェリーナ以上に目立つ存在は現れないと、来日前はマーガレットも信じていた。


 と思っていたら、サッカー界の将来を担う天才、廣瀬陽翔。そして未来の女子バランドーラーと目される栗宮胡桃が、突然の参入。


 更にフットサルから足を洗った筈の、新進気鋭のストライカー羽瀬川理久まで大会に参戦。不動の注目度ナンバーワンだったエカチェリーナの存在感は、あっという間に薄まってしまった。



「お嬢様、せめて壁役くらいお願いします!」

「なあに!? わたくしに指図する気!?」

「戯言が通用する相手ではございません!!」


 山嵜のコーナーキック。マーガレットは声を荒げる。珍しく強気な物言いに、エカチェリーナは少し驚いるようだった。


 無理も無い。マーガレットも思うところはあった。ただでさえ他人を振り回す立場だというのに、このところ横暴な態度が更に肥大している。


 現実が見えていない、とさえ思う。


 良いところ無く敗れた準決勝が良い例だ。一度くらいの敗北ならまだしも、全国へストレートイン出来なければ、どんなが起きるか分かったものではない。


 この国とチームで築き上げて来た、あらゆるモノが。彼らの手によって、跡形も無く消え去ってしまうのではないか。

 すべては心から、主の行く末を案じているからこそ。人知れずマーガレットは、人生を賭けた決断を迫られていた。



(お気持ちお察しします。ただ、私は心配なのです……どうか身勝手をお赦しください。その時が来たのです。私は臣下でなく同志として、貴女の力になりたい……ッ!)


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