1046. のらりくらり
間違っても、シルヴィアの対応は破れかぶれのソレではなかった。確かに遅れはしたが、シュートコースはしっかり蓋をしている。
ワントラップで外されても対応出来るよう、滑らず重心は残していた。兵藤に戻させれば俺もブロックに入れる。
要するに『外へ逃がす』ための、セオリー通りの正しい守備だった。
だが奴は、そんな思惑を読み切ったかのように。
「――
悠然と内側を進んだ。
二つのタッチはどちらも足裏。
右でピタリと止め、すかさず左で反転。
身体はギリギリまで外を向いていて、それ自体がブラインドになっている。シルヴィアは一度ボールを見失ってしまった。
もはや冷静ではいられない。不要な方向転換を余儀なくされ、その分コースは空いてしまう。例え一瞬の隙でも、奴が見逃すことは無い。
「真琴ッ、ブロッ……」
叫んだ次の瞬間には、もう終わっていた。
足裏を駆使した、鋭くも滑らかな曲線的フェイク。その姿はカッターナイフで画用紙を切り刻むような、ある種の爽快感すら覚えるほど。
あっという間に目前まで迫られ、琴音に出来ることはほとんど無かった。
投入から僅か三秒。
ゴールネットが、軽やかに揺れる。
声が出ない。
あらゆる思考と感情が無に還るよう。
いや、でも。なんとなく。
薄っすらと、そんな予感はしていた。
これさえもまだ、悪夢の始まりに過ぎないと。
【前半09分43秒 栗宮胡桃
山嵜高校1-2町田南高校】
アウェーゴール裏に設置されたオーロラビジョンでは、先のリプレイが何度も流れていた。
シルヴィア、真琴と立て続けに翻弄する圧巻のドリブル突破に、スタンドからは歓声と共に拍手が沸き起こるほど。
すると間もなく、似たようなどよめきがアリーナを取り囲んだ。再開直後、またも胡桃がサイドを突破したからだ。
対峙するノノをボディーフェイントで軽快に振り切り、兵藤とのワンツー。
いとも簡単に数的優位を生み出してみせる。陽翔が懸命に追い縋り、シュートこそ防いでみせたが。
「うわっ、なに今の……! エッグぅぅ~」
「一人で流れ持ってったな……」
拵えたドリンクの中身は、試合開始前からほとんど減っていない。息詰まる接戦に没頭していた藤村、堀の二人も、あまりに唐突な風向きの変化に、ため息を溢すばかりであった。
「あー……やっぱり残ったか」
「まぁ、流石にこの状況じゃ代えられねえだろ」
「後半どうするんかね~」
キックインが流れ、その間に山嵜は愛莉、瑞希を再投入。苦渋の面持ちでベンチへ引き下がるノノとシルヴィア。
本来この時間帯は陽翔を下げ、ファーストセットとノノの組み合わせで乗り切る予定だった。
だが栗宮胡桃がコートに留まる以上、それ相応の対策は施さなけばならない。真琴を残したのがその証左。
とは言え、後手後手の対応になってしまった感は否めない。ここで陽翔を引き延ばすと、後半は五分しかプレータイムが残っていないわけで……。
「采配ミスだな、これ」
「ん~。なんとも言えないとこじゃない? トーソンも前半から出て来るとは思ってなかったっしょ?」
「けど、ここで廣瀬のプレータイムを消化する方が愚策だろ。守り切るだけで終わっちまうぞ」
「まぁね~……。同点後にスコア動かせれば良かったけど、上手いこと浪費させられちゃったし」
町田南も砂川以外のファーストセットへ交代。タオルと共に指揮官の固い握手で出迎えられた、7番兵藤の活躍ぶりに二人も目を細める。
「これを狙ってたってわけか……」
「だろーね。アニキがいる間は、イコール山嵜にとって仕掛ける時間帯。点が入らなくても、最悪でも流れくらいは引き寄せたかった」
「一応攻めてはいたけどな」
「7番だよ、やっぱ。取りに行けそうで行けない、ギリギリのラインで試合をコントロールして、アニキの自由を奪ったんだ。のらりくらり、とね」
ノノを中央に据える戦略は、町田南のポゼッションを度々破壊した一方、ショートカウンター以外の攻め手を自ら手放す形となった。
同点ゴールまでは良かったが、次第に勢いを失いつつあることに、誰も気付けなかったのだ。
百戦錬磨の陽翔でさえ、戦術がハマっているという『事実』を過信し、残り時間のリスクヘッジが出来なかった。
尤もそれは、攻められても逆転までは許さないという、町田南の確固たる自信があってこそ成り立つモノ。
ロースコアの展開を意図的に作り出されたと、陽翔と峯岸が気付いた頃には、あらゆる準備が整ってしまった。
「ゴールは凄かったけど、それだけじゃない。あのコーナーの守備で、山嵜は明らかにカウンターを狙っていた。矢印が自分たちのゴールに向いてなかったんだよ。そこで栗宮を出して来た」
「アップしてなかったよな?」
「いや、一分くらい前から軽く動いてた。向こうの監督が上手いよ。あの栗宮がまだ控えてるって、山嵜が分かってない筈無いのに……完全に存在を消していた。僕たちだって忘れてたくらいなんだから」
目下ではワンサイドゲームの様相を呈してきた。胡桃が低い位置へ下がり、鳥居塚、まゆとのシンプルなパス交換でポゼッションを譲らない。
ジュリーが最前線に残ることで、陽翔は前に出られずにいる。真琴も守備位置を放棄するわけにもいかず、胡桃の徹底マークという本来の役割が果たせずにいた。まったくボールに触れない山嵜。
「で、残り五分をどう対処するかだな……これで三点目でも入ろうものなら」
「終戦だね、間違いなく……にしても、相模さんか。パンフ載ってたけど、セレゾンの出身らしいね。年齢的に財部さんの同期じゃない?」
「ぽいな。詳しくないけど」
「こんなところにもセレゾン関係者がいるんだね、しかも監督。これ、全部計算ずくだったとしたら、相当キレる人だよ」
「層の厚さだけじゃねえってわけか……」
サングラスの似合う知将を見下ろす。当時から熱烈なサポーターだった二人は、幼少期の頼りない記憶を紐解いた。
財部の他にユースから昇格した選手は何人かいた。そのうちの一人が相模なのだろう。ただ、まったく覚えていない。
無理もない。財部のようにトップチームで一定期間活躍したわけでもなく、相模は僅か二年で契約満了、クラブを去っている。カップ戦に数試合出ただけで、ほとんど戦力にならなかった。
(クビになってすぐ指導者に転向したのかな……? こんなに良いチーム作る人なら、財部さんから話くらい聞いてても良い気がするんだけど……)
なんせ今日の今まで、彼がセレゾンの出身であると知らなかったほどだ。
高校フットサル界の盟主、町田南を率いる名将ともなれば、もっと自分たちの間で話題になっても良いのに。堀は訝しげに首を捻った。
ユース出身者というだけで歓迎されがちなのは世界共通。セレゾン大阪も例外ではなく、指導者やスタッフとしてクラブに戻ってくるケースは多い。
財部も引退後、すぐにスクールコーチとして招聘されているわけで。
これほどの実績がある指導者なら、成績の乱高下に定評があり、しょっちゅう監督の代わるトップチームからお呼びが掛かっても不思議ではない筈。
(財部さんの代って活躍した人、結構多かったような……? こうも記憶に無いってことあるのかな……なんか不祥事起こしたとか?)
終わったら財部に聞いてみるとしよう。渦巻く違和感を一旦取り下げ、堀は慌ただしい目下の攻防へと関心を移した。
この時彼らも、コートで戦う陽翔も。そして町田南のほとんどの選手たちでさえも、まだ知らなかった。相模淳史がいかなる遍歴と思惑を経て、町田南フットサル部へとやって来たのか。
無論、彼がセレゾン大阪。延いては日本サッカーそのものに対して、恐るべき執着と雪辱を抱え、今こうしてテクニカルエリアに立っていることも。
サングラス越しに見る陽翔の姿に、かつて舞洲のグラウンドで共に汗を流し、世界を夢見た戦友の影を重ねていることも、やはり知る由も無い。
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