945. 当たり前のように


 寝坊した。

 割とガッツリめに。


 緊張して眠れない、というわけでもなかったのだが、何故かアラームで起きれなかったのだ。大慌てでジャージに着替え、荷物片手に家を飛び出す。


 有難いことに雨も降っていない。駅への道中スマホを取り出し確認する。

 みんなから鬼のようなメッセージと着信が入っていた。待ち合わせには完全に遅刻だ。もう電車に乗ってしまったかも。


 試合開始には余裕で間に合うが、問題はそこじゃない。肝心な大会初日に遅れて合流する申し訳なさと言ったらもう……なんたる失態だ。



(やっぱ緊張してんのかなぁ……)


 準備に抜かりは無かった。直前で財部と話が出来たのも嬉しかったし、夜にみんなでご飯を食べて、大会への決意を語らい合って……。


 恐らくアレだ。寝る直前、昨日先んじて開幕した東海予選の結果を見てしまったのが、逆に良くなかったのかもしれない。


 あぁ、本当に始まるんだなぁって、どこかフワフワした気持ちのまま寝床に着いてしまって……。



「いねえ……はぁぁぁぁだりぃ~……」


 県南住みは学校の最寄り駅で合流する予定だったが、改札前にみんなの姿は無かった。先に出てしまったか。


 この悶々とした気分のまま電車で一時間半も揺られるのか……嫌だなぁ、時間に厳しい琴音とかめっちゃ怒ってるんだろうなぁ……。



「おはよ。ハルト」


 予想だにしない声。

 背後から肩を叩かれる。


 そこには同じライトグリーンのジャージを纏った、スポーティーな装いが一層映える絶世の美女……彼女もといチームメイト、長瀬愛莉。



「愛莉っ……上大塚から向かうんじゃ?」

「わざわざ来てやったのよ。いくらドア叩いても出て来ないって、有希と文香が心配してたから。こういうときこそ部長が顔出すべきでしょ」

「そ、そうかっ……悪い、迷惑掛けて」

「良いわよ別に。定期圏内だし。怖くて逃げ出したわけじゃないって、分かったから」

「んなわけねえやろアホか……あぁいや、その、ホンマごめん。あとでみんなにも謝るわ。大事な初日やってのに……」


 必要以上にテンパる俺を、彼女はどこか冷めた目で見つめていた。やはり呆れているのだろうか。


 すると愛莉、右腕を俺の顔周りへと伸ばす。

 まさかビンタか、気合注入されるのか……!?



「…………髪」

「……えっ」

「また伸びたわね。前髪」


 暖かな吐息を溢し、優しい声色で問い掛ける。急いで出てきたせいで、髪の手入れをまったくしていなかったことを今更思い出した。


 癖っ毛を掻き分けお凸を擦る愛莉。空いた手でエナメルバッグからヘアゴムを器用に取り出し、目を細め微笑んだ。



「アンタ、本当に伸びるの早いわよね。私もそうなんだけどさ……ほら、後ろ向いて。マンバンにしてあげる」

「んっ……お、おう」

「瑞希は馬鹿にするけどさ、この髪型。私は結構気に入ってるのよね。大会中これでやりなさいよ。威圧感あって良いんじゃない?」


 ヘアゴムを巻き終え再度顔を合わせる。

 悪くないわね、と歌うように呟く愛莉。



「お揃いね」

「……せやな。似合っとるで、ポニーテール」

「よく言うわよ。もう見飽きてるでしょ? 練習中はいっつもこれなんだし」

「飽きるわけ……愛莉はいつでも綺麗だよ」

「……ありがとっ」


 馬鹿に真っ直ぐな台詞が迂闊にも飛び出て来て、お互いこっ恥ずかしくなって。ついつい顔も赤くなって、くすぐったく笑い合った。


 ジャージ姿なのがやや惜しいところだが、こんなキマらなさも含め、なんとも俺たちらしい光景だなって、そんなことを思う。



「実は私もなの。迎えに行くとか、みんなには言っちゃったけど……本当は寝坊の言い訳」

「なんや、そうなのか」

「……きっとみんなも一緒よ。待ちに待った大会なんだから……どれだけ自信があっても、やっぱり緊張してる」


 止めどなく動き続ける発車標を眺め、愛莉は言った。電車に乗って会場へ向かって、一時間くらいアップしたら、すぐに始まってしまう。


 一年間、ずっと目指して来た夢の舞台が。

 それはもうアッサリと。当たり前のように。



「だからさ。アンタに逢いたかった。試合のことは抜きで、こうやって二人きりで。そしたら緊張も取れるかなって……こういうの、ダメ?」

「……いや、ちっとも。俺も逢いたかった」

「みんなには秘密にしましょ」

「それがええな」


 悪戯にはにかむ二人。土曜日の雑踏に紛れ、手を繋ぎ東京方面のホームに向かって歩き出した。


 ふと思い出す。確か一年前。突然の雷雨で一泊することになった愛莉を翌日、この改札で見送ったんだ。あの日と天候も時間帯もよく似ている。


 けれど、今日は一緒に進めた。春休みのデートも似たような光景だったが、あのときはちょっと緊張していたっけ。


 そんな昔話さえ、今この瞬間へと繋がっている。同じじゃない、何かが変わっている。そう思ったら、無性に安心してしまった。



 忘れちゃいけない。確かに大会は大事だ、これこそ俺たちがフットサル部足り得た最大の理由。

 でも、たかが日常の延長だ。大切な初戦も、みんなと過ごす日々の楽しい時間となんら変わりない。


 ドキドキして、ワクワクして、偶に興奮して。これまで繋いで来たモノを、今日も同じように繰り返す。ただそれだけのこと。



「……ありがとね。ハルト」

「こちらこそ」


 視線も介さず、俺たちは笑い合う。

 待つこともなく特急電車はやって来た。


 さあ向かおう。新しい世界へ。

 そしていつもと同じ、優しさに溢れた場所へ。






「駄目です。遅刻は遅刻です。反省してください」

「はい」

「ごめんなさい……」


 会場へ到着するや否や、ゲート前で待ち構えていた琴音にガッツリ説教を喰らうのであった。台無しである。


 関係者入り口から敷地内へ。この日の第三試合である山嵜フットサル部一同は、既にスタンドへ集結している。

 早速『遅刻だ遅刻』『土下座しろ』『イチャついてんじゃねえ』と罵詈雑言を飛ばされ立つ瀬も無いエース共々であった。



「開会式とかは無いんやな」

「まだ予選だからねえ。偉い人とかは全国にならないと来ないんじゃないかな。陽翔くん、正座解いちゃダメだよ。愛莉ちゃんも」

「反省してるってぇぇ……」

「座席で正座するのホントにキツイんだけど……っ! ていうか、足痺れたら影響出ちゃうから! 勘弁してっ!?」


 一番やっちゃいけないところで比奈を怒らせてしまった。試合が待ち遠しい。反省の気持ちはコートで示したい、なるべく早く。脚終わっちゃう。


 スタンド下では第一試合を行う両校のウォーミングアップが続いていた。隣のグループだ。比奈と瑞希が大会パンフレットと交互に見比べる。

 


「どう? 瑞希ちゃん。気になる選手とかいる?」

「分からん。流石にアップだけだとなー。てゆーか、これより次の試合が気になるんよね。西ヶ丘って強いらしいし」


 スタンド対面に構えているエンジ色のジャージ集団。瑞希を筆頭にみんなの視線が集まる。恐らく藤村もいるのだろう。



 本日の会場は東京・府中にある室内競技専用のアリーナ。約3,000人を収容し、普段はバスケやバレーボール、そしてフットサルのプロリーグも開催されている。建設から日が浅く、あちこち綺麗で整った設備が印象的。


 三つのグループが一堂に介し、今日明日と来週の土日で各校、グループリーグ四試合が一日一試合ずつ行われる形式だ。俺たちの入っているグループF、そしてD、Eグループの高校が集結している。


 残念ながら町田南、川崎英稜は別会場。姉はともかく弘毅には会っておきたかったな……最近連絡を寄越さないし、ちょっと意識しているのだろうか。



「しかし他の高校、案外来てないんですね」

「言うて一日一試合やしなあ。偵察でもせんと他の高校の試合なん見いひんのとちゃうか?」

「弛んでますねえ……」


 ノノと文香が語るように、午後から試合のチームはまだ会場入りしていないようだ。お客さんもほとんど入っていない。


 まぁ、他の動向ばかり気にしていても仕方ないか。まずは俺たちの試合、対戦相手の話をしよう。大事なグループリーグ初戦、その相手とは……。


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