943. ミクエル☆ドロップアウト


 突然だが、下の階に社会不適合者が住んでいる。

 栗宮ミクル。聖堕天使を自称する厨二病患者だ。



「朝やぞミクル。今日も練習や、さっさとシャワー浴びて着替えろ。いつまで寝とんねんタコ助が」

「むぅぅぅぅ~……煩わしい太陽め……ッ」


 土曜日。時間になっても家から出て来なかったので、扉をブチ開けて強制起床の刑に処す。

 女の子が一人暮らしをしているというのに、防犯意識の欠片も無い。誰が襲うんだって話だけど。



「ったく、ポテチとコーラばっかり……文香から貰った弁当は食べたのか?」

「……しそドレ不味い」

「いちいち掛けなくて良いんだよアホか」


 ゲームのし過ぎで夜更かしばかりのミクル。朝は起きられないので、アパートの住民が代わる代わる学校へ連行するのがここ数か月の日課。


 託けてか最近は、誰かが迎えに来るのを分かっていて敢えてグータラしている節もある。まったく、いい加減にしないと退部どころか退学だぞ。



「むぅっ……頼む眷属よ、我の神体をポラリスの宮殿へと運ぶのだ……ッ」

「はあ? 一人で風呂も入れないのか?」

「動けない……関節が痛てェ……ッ」


 雑魚布団から一向に出て来ない。どうやら脳筋デーの疲れが残っているようだ。

 誰もが認める超絶テクニックの持ち主である一方、実はあまりスタミナが無い彼女。こんな生活じゃそれも当然か。


 しかし困った。前に有希が『どうしても動かないときはわたしがお風呂に入れてあげてますっ』とか話していたっけ。


 いや、それは不味いだろう。筋金入りのロリコンしか関心を抱かないような貧弱ボディーのミクルとは言え、男の俺が入浴を手伝うのは……。



「実家で暮らしとったときどうやって生活してたんだよ。まさかロクに風呂入ってなかったとか?」

「構うものか……たかが一週間聖水を浴びぬとて、ニブルヘイムの悪霊もこの神体までは汚せやしない……」

「勘弁してくれんかねホンマに」


 仮にも女の子にこんなことを言いたくないのだが、ミクルって普段からナチュラルに匂うんだよな……なんかこう、独特のアレが。特に練習後は汗と混じってまぁまぁ酷いことになる。


 毎日しっかり洗い流せばすぐに落ちる匂いなのに、こうやってサボるから駄目なんだ。取りあえず風呂には入れないと。みんなにも迷惑だし。



 だいたいミクルの子どもみたいな身体に一ミリだって興味は無いし、女性の裸体なんてこの半年で飽きるほど……と言うと大変語弊があるので失礼だが、それなりに見慣れている自負はあるし。


 彼女が文句を垂れないのであれば、別に問題は無い筈だ。特に抵抗する様子も無いし。

 俺に見られたくらいじゃ気にしないのだろう。実家でも弘毅に入れて貰ってたんだろうな……。



「上脱がすで。ほれ、ばんざーい」

「……むぅぅ……っ」


 鼠色のダサいスウェットをバサッと剥ぎ取る。現れたのは欠片の色気も無い白のキャミソール。汗かホコリで若干滲んでいる。汚い。


 140センチにも満たないと推測されるお子様体型。当然ながら絶壁も絶壁だ。つるぺたの瑞希や真琴でも多少は膨らみがあるのに。まるで皆無。



「早くしろォ……」

「たかが二つ年下の女子高生の入浴介護ってどういう状況やねん……」


 目を擦り暢気に欠伸を噛ますミクル。本当に気にしないんだな……だいたいお前、母親の浮気相手に襲われそうになったから家出したんだろ。今の方がよっぽど危ない場面だって。



「あー、眠みぃ~……」

(親の教育ってホンマ大切やなぁ……)


 続いて下。意を決しズルっと引き下ろす。

 この時点で俺は、完全に警戒を解いていた。


 女性の象徴たる箇所がこの有様だ。パンツの一枚で動揺するわけがない、という具合に。


 ユニ〇ロの小児コーナーで売っているようなキャラ物の安っすいやつでも履いているんだろう。似たようなのをスポッチョに行ったとき聖来も身に着けていた。同じパターンに違いないと。


 だが、この予想は大きく外れる。



「ヴホ゛ぉ゛ッ!? ちょっ……え、おまっ、パンツはッ!?」

「……早坂に洗濯された」

「先に言えそういう大事なことはッ!!」


 大慌てでスウェットを引き上げる。


 カーテンの奥で干されっぱなしの衣類が風に揺られている。そうか、昨日は有希が面倒を見てくれたから、一括で洗濯してしまったのか。取り込んでいないのはもう今更追及しないとして。


 当のミクルはちっとも気にしていない様子だ。信じられん、年頃の生娘が男に柔肌を晒して尚、このリアクションだと……ッ?



(うわぁぁぁぁ複雑ゥゥゥゥ~……)


 最悪だ。いや、その言い方は失礼にも程があるが、でも言わせて欲しかった。やっちまった。


 上が上なら下も下。

 その幼さはシンプルな犯罪モノ。


 俺とて色を知らない無知な男ではないが……目の前で凝視する格好になってしまって、流石に冷静ではいられない。このことを思い出して恥ずかしくなるとか、そういうのは無いと思うけど……ッ。



「なあ、やっぱ風呂は自分で入ってくれよ……お前みたいなちんちくりん襲うほど下半身脳ちゃうけど、幾らなんでも良心が痛むんやって……」

「…………アァ?」

「せやから、年頃の女の子が簡単に肌を晒すなって、分からんかっ!?」


 ミクルはボーっとした眼のまま、ジッと俺を見つめている。ゆっくりと視線を胸元へと落とし、そして戻ってきた。



「……神体に興味があるのか?」

「無いッ!! 欠片も無いと断言させて貰う! そういう話ちゃうわっ!」

「ふむ……」


 薄開きの野暮ったい目のまま。

 何を考えているのか分からない。


 確かにコイツ、厨二モードじゃないときは案外大人しかったりするんだよな。下手したら琴音や聖来より無口かもしれない。


 まぁスイッチが入ったら誰よりも煩くなるのだが……故に今の状態が『まだ寝惚けている』のか『割かし素面』なのか、正直よく分からない。


 仮に後者だったとして。

 だとしたら、俺の扱いってなに?


 よく『眷属』とかなんとか言っているが、それは自身の大切な柔肌や秘部を晒しても問題無いくらい、信頼を置いている存在ってことなのか?



「なあ頼むってミクル……もっと自分を大事にしてくれよ」

「…………あ? 大事に?」

「しゃあで。まだ眠いかも分からへんけど、惚けとる頭でよう考えてみい。好きでもない男と一緒に風呂へ入って、本当に嫌ちゃうんか?」


 必死の訴えも眠気眼の前では意味を成さないようだ。カクンッと首を傾げよだれを垂らしている。


 あぁなんだ、やっぱり寝惚けていたのか。


 良かった。全部理解した上で俺に入浴を手伝わせようとしていたとしたら、また一つ余計な悩みが増えるところだ。



 まさかミクルに限って、俺を好きになったとか……あり得ないよな。うん、絶対に無い。これだけは断言しても良い。


 聞けば上の階で夜な夜な何が行われているかは理解しているようだが、様子を見るに上級生を中心とした色恋沙汰にまでは気付いていないようだし。有希と克真の諸々に関しても一切不干渉だったし。


 きっとまだ、恋愛感情や性欲という男女間の概念がそもそも身に着いていないのだろう。はあビックリした、そうに違いない……っ。



「……知らん。我の神体は我のモノ。どのように扱おうと自由だ……」

「適当するから匂いも酷くなる言うとんねん」

「それを管理するのが我が眷属たる貴様の役目だ……良いからさっさとしろ」

「はいはい、分かった分かった。もう気にしねえよアホっ……ったく、弘毅も可哀そうなやっちゃ。こんなグータラな妹を風呂に入れてやらないといけねえなんて、兄妹も楽じゃねえな……」

「……なぜ愚兄の話が出て来る?」

「実家でもやっとったんやろ?」

「…………いや、記憶に無い」



 えっ。



「たかが妖精時代までだ……アカデミアへ入学した頃には祖の力も借りず一人で済ませていた。尤も、宮殿へ赴くかは日の気分によるが」

「……そ、そうなのかっ……?」

「御託は良い。早くしろ、我が眷属よ……」


 ばんざーいの恰好を取り、キャミソールを脱がせろと急かす。

 まだ目は半開きだが、厨二語録が増えて来た辺り、意識はハッキリしているようだ。



 ……え、ちょっと待って。

 弘毅には手伝って貰っていない?


 じゃあ、自我が芽生えて来た頃には一人で風呂へ入っていて……両親や弘毅も含めて、男へ肌を晒したのは……俺が初めて?


 なのに、全然異性として見ていない?

 ちっとも恥ずかしがっていない?



 えっ……え、えっ? はい?

 待って、待って? 流石にちょっと待って!?



「むぅぅ~、いつまで待たせるつもりだぁ……! 眷属の癖に生意気な……!」


 だから、眷属ってなんだよ。

 あと起きたなら自力で入れって。


 ……なに? じゃあまさか眷属って、こんなことも許されるくらいの特別な存在ってこと?


 それとも特別な呼び名を使った照れ隠しの一部とか? 或いは、本当になにも考えていないのか?


 分からない。全然分からない。

 俺はミクルをどう扱えば良いんだ。

 そしてミクルは、俺をどう見ている?


 ていうか、このまま全部脱がせちゃって本当に大丈夫なのか……ッ!?



「眷属~……早くしろぉぉ~……っ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る