838. 言ってる意味分かる?


「あーーッ!? また裏取られて……!? しっかりしろよ南雲ォォーーッ!!」

「大声出すなって。聞こえるぞこの距離」

「むしろ聞いて欲しいくらいだねッ!!」


 席から立ち上がり失点を喫したホームチームを鼓舞する真琴。サイドを破られ失点の起点を作った南雲はいよいよ呼び捨てである。


 彼女に限らず専用球技場は似たようなため息と怒号で包まれていた。後半開始直後にまたも失点。バックラインのミスが連発し現在スコアは1-5。



「もうっ、ダメだよマコくんっ。みんな一生懸命頑張ってるんだから」

「頑張ってオッケーじゃダメなんだよ! プロは! 勝ってナンボなの!」


 隣の有希も呆れ顔。聞けば試合に連れて行って貰ったのはこれが初めてでもないらしく、中々成績の向上しない贔屓クラブの愚痴を聞かされてはこんな風に慰めるのだという。



「……なぁ、本当に大丈夫か?」

「はいっ。熱はもう無いですから。ちゃんとマスクもしてますよっ?」

「だからって治った直後にスポーツ観戦はハード過ぎるやろ……」

「その話はもうおしまいですっ。個人賞のご褒美、聞いてくれないんですかっ?」

「うぐっ……」


 妙に強気な態度で返され尻すぼみ。確かに元気にはなったようだが、夜もまだまだ冷えるのに心配だ。明日ぶり返しても看病してやらんぞ。



(あっという間に半日も前か……)


 という具合で、例の球技場にいる。

 ブランコスのカップ戦予選リーグを観戦中。


 あのあと有希は『顔を洗って来ます』とお風呂へ飛び込んで、そのまま真琴と一緒にシャワーを浴びて。


 一先ず俺は一度自宅へ戻ったのだが、すぐに二人揃って玄関先へ現れた。そしてこう言い放ったわけだ。『デートしてください』と。


 元々その予定ではあったし、個人賞は『一日言うことをなんでも聞く』という名目。当人がそう言うのなら断ることも出来なかった。何度も熱を測り直したので一応大丈夫だとは思う。良くないことをしている自覚はあるが。

 

 真琴も着いて来た理由は分からない。というか聞いていない。有希が『マコくんも一緒が良いです』と言って来たし、真琴も興味津々だったからわざわざ引き離す理由もなかったというのもある。



「うわぁ~……もう見てらんない……」

「噂には聞いていたが凄まじいな……」


 頭を抱えガックリと項垂れる真琴。ブランコスの選手が二枚目の警告で退場したのだ。あと三十分近く残っているのに。


 余談だが試合のチケットは本当にチェコが用意してくれていた。用意というか、関係者ゲートに出向いたら顔パスで入れてくれた。

 しかし、そんなチェコの強権がいつまで通用するものか。これでリーグ戦カップ戦合わせ六連敗とかだったような……解任されんなよ頼むから。



「あのっ、廣瀬さん。マコくんのチーム、どうしちゃったんですか?」

「どうしたって?」

「何回かマコくんに連れてって貰ってるですけど、こんなにいっぱいゴール決められたの、初めてですっ。守備の堅いチームだよって言ってたし……」

「監督がシルヴィアのお父さんになって、戦術が丸きり変わったんだよ。ディフェンスラインを上げて高い位置でボールを取りに行く、トランジションで優位性を保つハイラインハイプレス型の……言ってる意味分かる?」

「なんとなく……?」


 フットサルから入ったせいでサッカーの戦術諸々はほとんど知らない有希。今までと違う戦い方になった、ということだけは理解してくれた様子。


 流行りのワールドスタンダードな戦術ではあるが、日本ではあまり見ない戦い方で不慣れな選手も多く、浸透させるのは非常に難しい。

 カップ戦とはいえ強化指定の南雲をスタメンで出しているくらいなので、色の付いていない選手を中心に一から作り直したいのだろうが……。



「なんて言うかさ。せっかく戦術が決まっているのに、選手が着いて行ってないんだよね。やりたいことと実際にやってることの乖離っていうか……ずーっとチグハグなんだよなぁ」

「こんだけ失点すりゃ気落ちもするやろ」

「それがダメなんだよっ! どうせカップ戦ももう敗退なんだから、せめて戦術通りに動いて再現性を高めようとか、そーいう意識が大事なんだって!」


 一向に改善しない戦況へ業を煮やし熱弁を振るう真琴。まぁ彼女の言う通りだ。チェコのスタイルは言ってしまえば理想論かもしれないが、実現すればそう簡単には対処出来ない。


 いつものチェコだ。一年目は戦術理解に費やして、二年目で選手を揃えて、三年目で結果を出す。そして他のクラブに高給で引き抜かれる。


 今は我慢の時。チェコの手腕は折り紙付きだ、ブランコスの復活は近いだろう。もっとも解任されなければの話だが。セレゾンも途中でクビ切られたし。



「マコくんの言ってること、すっごく分かりますっ。ちゃんと理想があるんだから、途中でブレたり違うことを考えるのはダメなんですよね。元々あるものに甘えていたら、それ以上の成長は無いんですから……っ!」

「お、おう」

「ハイライン、ハイプレス……それってつまり、物凄くいっぱい頑張って、とにかくボールを持ち続けようってことですよねっ?」

「超ざっくり言うとな」

「上手く機能しないと空回りして、こんな風になる……今のわたしに一番必要なことかもしれませんっ!」


 流石に裏を読み過ぎである。間違ってもチェコのサッカーは有希へ何かを訴えたいわけではない。ピッチをよく見ろ。つまりボコボコの大敗だぞ。



(まぁでも、ハイプレスではあったかもな)


 釣られてそんなことを考える。とにかくアクティブに動き回り、相手の気を惹こうとあの手この手で策を打つ。

 しかし現状、ブランコスのハイプレスは機能していない。中途半端に敷いた高いラインの裏を何度も突かれ失点の連続。


 彼女にしても同じことが言える。相手の出方に合わせてのハイプレスは強気なようで実態は受け身なだけ。一つ外されれば空回りで終わってしまう。


 必要なのはハイラインの部分だ。相手が俺だろうとなんだろうと、自分のやりたいことを明確にして、それを貫く。そうすれば相手が誰だろうと『対等』に渡り合える、みたいな。



「……せやな。有希なら出来るかもな」

「わぁぁーっ! 廣瀬さん、廣瀬さんっ! 見ましたか今のゴールっ!」

「え、マジで」


 なんて、一人感慨に耽っている間に点が入った様子。リプレーが流れている。


 おぉ、南雲のアシストか。左サイドからの良い崩し、良いクロス。同点までは流石に難しいだろうが、強化指定の南雲が結果を残したとなれば多少はサポーターの留飲も下がるだろう。


 二部とはいえ活躍中の内海に続いて、セレゾン黄金世代の躍進は目覚ましいものがある……俺を除いて、だけど。



「何だかんだで結果は残すんよな。アイツ」

「守備はゴミだけどねっ!」

「言ってやんなって」


 失点の大半は南雲の左サイドを崩された形。とにかく贔屓の勝利が見たい真琴はお気に召さないようだ。こんなんじゃ全然ダメだよ、と監督面で踏ん反り返る。年相応の顔で実に微笑ましい。



「……ホンマ口だけやなぁ、俺って」

「なんか言った?」

「いや。ほら、またゴール入りそうやぞ」

「えっ、マジで……って、また裏取られてるじゃん!! 南雲ぉぉ調子乗んなぁーー!!」


 真琴の罵声を背に必死な面でゴール前へ戻る南雲。ピッチとスタンドが近いので声も丸聞こえだ。周りの観客も苦笑い。


 そう。頑張るだけでは駄目だ。

 結果を、目に見える何かを残さないと。



「一緒に頑張りましょうね。廣瀬さんっ」

「……ん」


 聞かれていたようだ。小さく息を漏らし有希はあやすように微笑む。トランジションの部分は彼女に先手を奪われたようだ……。







「いいよっしゃああああ!!!!」

「やったぁぁーー!!」


 歓声が爆発する球技場。

 真琴も有希も諸手を上げて大喜び。


 後半ロスタイム、なんとブランコスは同点に追い付いた。相手チームも退場者を出しPKで三点目を奪うと一気に押せ押せの展開に。5-5のスコアは長い観戦史の中でも記憶に無い。面白いものを観させてもらった。



「やっぱりさあ、戦術だけじゃサッカーは語れないんだよね! 安っぽいケドさ、最後まで諦めない気持ちって言うか、そーいうのが大事なんだよっ!」

「マコくん、電車来るから静かにね?」


 真琴の饒舌なお喋りが止まらない。あんなに文句垂れていたのに、単純な奴め。五失点だぞ。南雲の命が心配だ。チェコに殺されないことを祈ろう。


 延々と続くサッカートークを有希はニコニコ楽しそうに聞いていた。改めて不思議な関係だ。普段はクールで気取っている真琴がこんなに素を出せるんだから、何か特別なチカラでもあるんだろうな。


 地下鉄で上大塚まで戻って来た。ここから乗り換えて真琴は途中下車、俺と有希は学校の最寄り駅まで向かう。すると、暫くスマートフォンを眺めていた真琴が血相を変えて焦り出した。



「ゲッ!? めっちゃ怒ってる……!」

「あん? 愛莉か?」

「アハハハ……そーなんだよなぁ。普通にサボってるんだよなぁ自分……完全に忘れてた……ッ」


 トーク履歴に連なる怒り顔のスタンプ。試合の写真を送った直後に『授業も練習も出ないでなにやってんの?』と不穏な文面が並ぶ。


 そうか。今日って普通に平日か。有希を心配して学校を飛び出て、そのまま練習も無断で欠席して試合を観に行っているんだから、言ってしまえばサボりである。最近の愛莉そういうの結構厳しいし。



「てゆーか、めっちゃ連絡来てたのにガン無視して写真送っちゃった……なにやってんだ自分……ッ」

「心配してんだよ。さっさと謝りに行け」

「……なんか、ビミョーに納得いかないんだケド」

「なにが」

「だって兄さんのせいだしっ……」

「七割な。三割はお前のミスやから。だいたいお前、仮にも特待生やろ。練習はともかく授業の無断欠席は後々響くで」

「分ーかってるって! ったく、なんで自分にだけこんな厳しいのさっ……!」

「愛ゆえの叱責、で一つ」

「……うざっ!!」


 軽口を飛ばし合ううちに長瀬家の最寄り駅へ到着。電車を飛び降りるとこちらへ振り返って、さながら捨て台詞みたいに彼女は言い放った。



「なんかっ、良い感じに纏まってるケドさっ! 全然、なんも解決してないからねっ! ちゃんとしてよ兄さんっ!! マジで!! 自分のことだって最近妹扱いし過ぎだしその辺もっと気を遣っ―――」


 ドアが閉まり途中までしか聞けなかった。


 なんだその綺麗なオチは。お前そんなお笑い要員じゃなかっただろ。どうしちまったんだ我らがミス・クールガイ。



「……んふふふふっ……!! もうっ、マコくんったら……!」

「笑い過ぎ」

「だって面白くてっ……! あははははっ!」


 箸が転がったみたいに笑い転げる有希。真琴の熱に当てられすっかり元気を取り戻したようだ。午前の面影は一つも無い。


 笑顔でいてくれる分には嬉しいが、ちょっと悔しさもある。彼女を笑わせる才覚はアイツに及ばない。真琴に嫉妬したのはセレクションの日以来だな……。



「……はぁー。なんだか、久しぶりに思いっきり笑った気がしますっ」

「悪かったな。泣かせてばっかで」

「もうっ、気にしちゃダメですよ……じゃあ、帰りましょうっ」

「実家は寄らなくて良いのか?」

「大丈夫です。元気ですからっ」


 ちょうど席が空いたので並んで座る。それから最寄り駅に着くまで会話らしい会話は無かった。


 偶に顔を向けると、その度に視線が重なって妙に居心地が悪い。だが、そう思っていたのは自分だけのようだった。ほんのりと滲み出る穏やかな微笑みは、ここ暫くご無沙汰で。


 そして、俺がずっと見たかった、大好きだった、ささやかな幸福という名の笑顔で。無性にこそばゆくて、なにを言う気にもなれなかったのだ。


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