774. ヒュンってなった
「なーなー。最後まで見なくて良かったのかあ?」
「……必要無い。未来のゴールで大勢は決した。二本目は控えメンバーが中心だろう。恐れるに足りぬ……ッ」
未来がPKを沈め山嵜がリードを広げた直後。小綺麗なスタンドの影に身を潜めゲームの行く末を見守っていた総勢七名の男女は、一斉に席を立ち川崎英稜高校第二アリーナを後にする。
午前中に他校と練習試合を行い今日も今日とて圧勝を収め、空いた時間を利用し視察に訪れていた。目当ては主に三人。不肖の弟と愛すべき妹。そして。
(冬の映像は忘れるべきだな……特に上半身だ、上手く鍛えている。アジリティを落とさないまま、屈強な身体を手に入れたと言うことか)
先頭を行くブラウンのカーリーなミディアムヘアと、お気に入りのブランドなのだというヘアピンが良く似合う小柄な少女。
栗宮胡桃は歓声に揺れるコートへそれから一度の興味も示さず、頻りに通知の飛び交うスマートフォンを手に取った。
「まーた羽瀬川とイチャイチャしてんのかよ」
「
「廣瀬だって大して変わんねーだろ。なーんで胡桃がそこまで入れ込んでるのか分かんねーわ。プレーも昔よりだいぶ落ちてるしよ……ちなみにアタシは羽瀬川の方がタイプだぜ」
「青いな。だから処女なのだ貴様は」
「それ関係ねえだろォォォォ゛ン!?」
明海と呼ばれた男勝りな口調が印象的な少女は、使い古されたエナメルバッグと夕陽で照らされた明るい髪色を揺らし派手に狼狽える。
「まゆは廣瀬クンの方がタイプかなぁ~♪ 羽瀬川クンはちょっと押し強すぎてあんまり~って感じ~。やっぱり付き合うならぁ、まゆの言うことなーんでも聞いてくれるぅ~、優しくてオトナな人が良いなぁ~っ♪」
「ぶりっこもここまで来ると清々しいな」
「ア゛ッ? なんか言ったァ゛?」
「いや別に。なにも」
黒を基調としたジャージの集団に一人、ピンクのカーデガンにミニスカート、ニーハイソックスという男受け狙い以外の何物でもない恰好で混じる小柄な少女。至極真っ当なツッコミに目を尖らせる。
隙の無い威圧もなんてことない様子でサラリと躱し、黒縁眼鏡の細身な青年は先の試合をこのように纏め結論付けた。
「ビジュアル云々はさておき、明海の意見には賛同し難いね。恐らく今日は新入生の順応がメインテーマだった筈だ。仁もそう思うだろう?」
「…………あぁ」
その隣を歩くがっしりした骨格の大柄な青年。
腕を組み直し思案を重ね、物静かに頷く。
「……低い位置で構えている分には、それほど脅威ではない。が……あのキープ力はいささか厄介だ。前ではプレーさせたくない。流れを一気に引き寄せた、後半開始直後のあのドリブル……」
「あれは凄かったな。ワンプレーでゲームの雰囲気を変えてしまった。自力で引き寄せるのだから末恐ろしいよ。浪速の天才レフティーの看板に偽りは無いね」
「……クルミと同様、限られた人間にしか与えられない才覚……技術や知能の一言では片付けられないものだ。まさにギフテッドと呼ぶに相応しい」
「どう? 止められそう?」
「なんとも言えないな……だが自信はある。コイツらに随分と鍛えられたからな」
呆れ顔で先を行く女性陣を眺める二人。熱戦を目の当たりにし身体が騒いだのか、どこからかボールを取り出しリフティングパスを繰り返している。
「あの7番、まゆと似たタイプだよなっ!」
「えぇ~? まゆの方が全然可愛いと思うけどなぁ~。あんなケバケバのギャルと一緒にされるなんてまゆ心外ぃ~っ♪」
「だからっ、顔の話はしてねーよ! プレースタイルに決まってんだろ!」
「そういう明海はどうなのよぉ。9番にビビってるんじゃないのぉ~っ?」
「へっ、誰が! ちょっとデカいだけで駆け引きは上手くなさそうだしな! アタシの敵じゃねーよ!」
ソツのない軽やかなボールタッチ。輪に加わらず横目で様子を見守っていた胡桃も関心げに微笑を浮かべる。
元々はレオーネ東京というサッカークラブのレディースチームでプレーしていた胡桃。
幼少期から飛び抜けた才能を示し、ユースを飛ばして中学生でのプロデビューも間近とメディアからも注目されていた逸材。
そんな彼女がレオーネのアカデミーを退団し高体連の部活チームへ加入したのだから、育成年代の関係者らはそれはもう大騒ぎであった。
現在も女子サッカー部とフットサル部の両方に籍を置いているが、加えてここ数か月はサッカー部の活動にまったく顔を出していない。
今夏に迫ったオリンピックでも最年少選手として期待されていたが、これを理由にメンバーから漏れてしまった。
いつぞや陽翔たちに語った飛行機が苦手という理由だけでなく、単にサッカーから興味を失ってしまったことを、この六人のチームメイトだけが知っていた。
「ちょっと先輩がたぁぁ~~! 公道でリフティングするの辞めてっていっつも言ってるじゃないですかぁぁ~~っ!?」
「構うでない、
「ひいい~~~~っ!?」
絶望に満ちた悲鳴を挙げ涙目で震え上がる、ショートボブカットヘアのオドオドした少女。クセの強い先輩に囲まれ気の休まらない日々を過ごしている。
この佳菜子という少女も含め、フットサル部の女性陣は胡桃が女子サッカー部から引き抜いた精鋭たちだ。
胡桃にとってフットサルはあくまで片手間の暇潰しであった。狭いスペースでプレーする練習にちょうど良い。精々その程度の認識だった。
同世代でも一際小柄な胡桃は、最低限のフィジカルトレーニングは勿論のこと、とにもかくにもスピードとテクニックを磨くしかない。サッカー部とフットサル部がある高校の方が、自身の成長を促すに最適な環境だったのだ。
だがその考えも、高校二年の春には変わってしまった。人生最大のライバルと勝手に位置付けた男がサッカー界から姿を消し、一度はモチベーションを失った。
「なにをボーっとしている、ミスター・J。まさかあの男の前に怖気づいたか? ちんちんがヒュンってなったのか?」
「……逆だヨ、ギャク。嬉しくテ嬉しくテ、言葉モ無いんだヨ。ほラ、こないだクルミが言ってた、武者プルプルってヤツ」
「ふっ。そうだったな。貴様には無縁の悩みだろう…………二年ぶりとな」
「あァ。あの頃かラ変わらなイ、最高のプレーヤーのままサ。クルミには感謝しているヨ。また彼ト同じピッチに……いや、コートに立てル日が来るなんてネ」
暫くアリーナを見つめたまま立ち止まっていた、褐色の肌とそばかすが印象的な片言の青年。すっかり大人の顔付きになり日本語も上達した彼は、当時の懐かしい思い出と溢れ出る情動に頬を緩めた。
歩み寄った胡桃はニヒルな微笑を浮かべ、五月上旬の生温い風に身を委ねる。ブザーの音と歓声が聞こえた。ちょうど試合が終わったようだ。
「感傷に暮れている場合ではない。大嫌いな飛行機に乗ってまで、わざわざサンパウロから連れて来たのだ。それ相応の成果を出して貰わねばな」
「モチロン。ただ再会するだけじゃナイ。彼ヲ超えるプレーヤーになること、ボクがフットボールを続けル二番目ノ理由サ。一番はオカネだけどネ」
「ふんっ。文字通り現金な奴だ……」
胡桃の行動理念がブレることはない。この世で最もうまくボールを扱うのは自分だという、確固たる証拠が欲しい。
もはや性別という小さな枠組みに用は無い。自他ともに認める天才少女、栗宮胡桃が初めて羨んだ才能。廣瀬陽翔を圧倒的に凌駕し、叩き潰す。そのためならサッカーで手に入れた地位も今や無用の長物。
片言の青年だけではない。皆なんらかの形で自身の存在を突き付けようと藻掻き苦しんでいる。
そんな彼らだからこそ、人一倍プライドの高い胡桃も信頼することが出来る。このチームで勝つことに意味があると、心の底から思えたのだ。
「カントー予選で戦えるかナ?」
「恐らくそうなるだろう。だが本命ではない……全国の舞台で叩き潰さなければ意味が無いのだ。メディアの注目度も予選の比ではない」
「マッタク、目立ちたがリだナ」
「当然だ。プレーだけではない、栗宮のきゅーとでぷりてぃーな姿に全世界が恐れおののくまで……栗宮は止まらない、やめられない。えびせん」
「流石にあの9番には負けちゃうデショ」
「クッ。縮めておけと言ったのに、長瀬愛莉め。前よりデカくなっているではないか……ッ!」
勿論、あくまでエースは自分。貴様らは付け合わせに過ぎないという突き抜けたエゴイズムは相変わらずであったが。それも含めて彼らは納得していた。
それだけの説得力が彼女にはあった。歪な個性が栗宮胡桃という軸を基点にひと塊となり、恐るべきチームが完成したのだ。
「思い知るが良い、廣瀬陽翔。ついでに長瀬愛莉……世界の主役はいついかなるときもこの天才美少女、栗宮胡桃であるということを! そして後悔するが良い…………栗宮を差し置きアオハルを謳歌していることをッ!!」
「そこなんダ。気にするノ」
「彼氏が欲しい!! 18で処女は恥ずかしい!!」
「んなこト無いト思うけどナー」
高校フットサル界に彼らの名を知らぬ者はいない。町田南高校。恐るべき個性とハングリー精神を兼ね備えた、百戦錬磨、常勝無敗の絶対王者。
その大半が胡桃を筆頭に常識外れな奇人変人の集まりであることで、やはり界隈では大層有名である。
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