753. 無味無臭の炭酸


 日も然るべく落ち始め最後の締めにと向かったのは、園内だけでなく周囲の街並みを一望出来るという小高い丘の上の展望台。


 オリエンテーションは現地解散のようで、一年たちも揃って着いて来た。克真の姿が見えないのは途中ではぐれたからではなく、グリコじゃんけんで一人負けしているからだ。容赦の無い慧ちゃんのパイナツプル無双。


 山沿いに設置された超ロング滑り台から連中のギャーギャー喧しい歓声が聞こえて来る。日本でもトップクラスで長い滑り台らしい。あとで遊ぼ。



「あーッ、疲っかれた~……ッ」

「まぁまぁ苦労して歩いたってのになんやこのショボい景色は。ふざけとんのか」

「ハッ。むしろちょーどいいアンバイってやつ?」

「……そうかもな」


 腕をグッと突き出し気持ちよさそうに背伸びする瑞希。途中で買った炭酸飲料の残りが涼し気に音を立て揺れている。



 東京湾へと繋がる入り江と工業地帯、ライトアップに彩られたシーワールドを見渡すことが出来る。が、誤解を恐れず言えばショボい景色だ。同じような光景が全国に幾つあるのやら。


 すっかり枯れてしまった桜の木やピークを過ぎた菜の花畑も絶妙なショボさを演出するに一役。目的不明、利益皆無の怠惰なゴールデンウィークの一日を表すにこの上ない。


 だがしかし、瑞希の言う通り。思えば俺たちの日常は大したハプニングも無く、無味無臭の炭酸みたいなものだ。

 偶に刺激的で基本平穏。栗宮未来の一件にしたって似たようなものなのかもしれない。ペットボトルの蓋を回し、彼女は言った。



「まー、同情だよね」


 ノノに手を引かれ、無理やり滑り台を滑らされまくる栗宮未来。高いところは苦手なようで、悲鳴の大半は彼女によるものだ。その様子にやはりみんな揃って馬鹿みたいにゲラゲラ笑っている。


 小馬鹿にするように鼻で笑い飛ばし、瑞希は更にこのように続けた。



「得意じゃないってゆーか、まー嫌いっちゃ嫌いだよ。あーゆー空気読めない奴。個性的っつったって流石にやり過ぎだしな」

「……ハンティングは出来たか?」

「んー。分かんない。でも結構楽しかったよ。厨二キャラ取っ払ったら案外フツーの奴だしさ。みんなでちゃんと監視すればダイジョーブっしょ」


 柵に身を乗り出し大きく息を吐く。抜けた炭酸みたいに締まりが悪く、それでいて中々味気のある面だ。夕陽に照らされるゴールドの影は真夏のように眩しい。


 拗れた家庭事情を聞かされて、瑞希は自分の境遇と重ねてしまったのだろう。試練だなんだと言い出したのは勢いが半分で、もう半分は彼女なりの優しさ。


 比奈の推理は的中していた。本当に試練を課せられていたのは、他でもない俺と瑞希だったようだ。



「似てんだよな。小っちゃい頃のあたしと」

「あんな厨二キャラだったのか?」

「そーじゃなくてさっ…………変なこと言って、ずっとふざけてて、気を引こうとしてた。なんとか自分のこと見て貰いたくて、必死でさ」

「……そっか」

「いやまぁ、あれはあれで半分素面だと思うけどね。でも根っこの部分は同じなのかもって、ちょっと思ったんだ」


 語るまでも無い。栗宮未来はどこまでも自己中心的で、承認欲求の強い人間だ。だがそんな彼女を作り上げた原因が、拗れた家庭環境にあるのだとしたら。


 それだけでない。学校で繰り広げている珍妙滑稽な騒動も、フットサル部を我が物にせんとワケの分からん口上を並べているのも。

 彼女なりのアクションで、許された唯一の正攻法なのかもしれない。なんて、流石に深読みし過ぎだろうか。



「ホントにそれが原因なら、まだチャンスあるんじゃないかなってさ。アイツも良い方向に変われるかもしれないし、あたしも受け入れられるかもって…………なーんてな! たかが二歳差の奴に、お節介すぎたかな?」

「……さあ、どうだろうな。まぁでも、道化役なら案外使い道もあるかもな」

「道化?」

「比奈が言うとった。なんか、そういう役があるらしいな。舞台とか」


 今度は坂の上から突き落とされ、芝生をゴロゴロと転げ落ちる栗宮。仕返しとばかりに坂の途中に立っていたルビーを巻き込んで麓まで落ちていった。せっかくの改造制服が汚れで台無しだ。


 取っ組み合いの喧嘩が始まった。と言っても瑞希とノノがよくやっているプロレスごっことさほど変わりは無い。泥だらけで二人ともおかしなテンションになっているが、まぁ、うん。楽しそうで何より。



「道化ってさ。普段はチャラチャラしてるけど、王様とか偉い人に失礼なことを言っても許される役なんよね」

「なんや、詳しいな」

「結構見るよ。映画も舞台も、ミュージカルも。メリーポピンズとか超好き」

「へぇっ……意外な趣味やな。一年も一緒なのに、ちっとも知らなかったわ」

「そんなもんさ。知らないことだらけだよ。こっちが勝手に決めつけて、目をつむってるだけで…………複雑に見えて、意外と単純だったりするんだ」

「難しいこと言うな。瑞希の癖に」

「オォン? なんだやんのかァ?」

「冗談やって」


 こちらに少しでも落ち度があったのだとしたら、それは栗宮未来の部分的な一面しか捉えようとせず、一方的に突き放そうとしたことだ。


 そりゃまぁ、厨二ごっこは好きでやっているんだろうけど。でもああいうところにしたって、あくまで栗宮未来のほんの一要素でしか無いんだよな。



「ダメかな。こーゆーのって」

「駄目って?」

「全部あたしの都合っていうか、ワガママじゃん。栗宮に同情したのも、練習サボってアイツに時間割いたのも。キャプテン失格かな?」

「……それはみんなに聞いてみないと分からないな。ただ、全部無駄ってわけでもなかったみたいやで」


 芝生に投げ飛ばされ悶絶している栗宮のもとへ、小谷松さんが駆け寄って行く。こんな具合で、小谷松さんは栗宮のことをしょっちゅう気にしていた。どうやらちゃんとした理由があるみたいだ。



「栗宮さん……あの、せわーねーか?」

「喧しいッ! こんな掠り傷、唾でも付ければ……!」

「おえんよ。ばい菌でも入ったら病気のもとになってしまう……これ、お水と絆創膏。使いんせー」

「…………ふんっ。敵に塩を送るとはこのことか……まぁ良い。そこまで言うのなら有難く頂戴するとしよう」

「へへへっ……」


 突然の施しに栗宮は酷く動揺しているようにも見えた。それもそうだ。今さっきまで散々甚振られていたのだから。

 みんなも気にしていないような素振りをしつつ、二人のやり取りを注視している。栗宮はたどたどしい口振りでこんな風に切り出した。


 

「解せぬ……貴様、一度は悪への道を進んだが……それも一時の気の迷い。もはや我に支配下に無い筈だ。何故こうも優しくする? これも貴様らの策略か?」

「…………お返し、じゃ」

「……お返し?」

「覚えとらんじゃろうけど……入学式の日、わしが学校の中で道に迷うとるとき……教室まで連れてってくれたじゃねえか」


 絆創膏を貼りながら、小谷松さんは恥ずかしげに俯き呟いた。あの二人、そんな出来事があったのか。通りで気に掛けていたわけだ。



「…………まさか。偽の記憶に過ぎぬ」

「ううん。あれは間違いのう栗宮さんじゃった……ずっとお礼を言いとうて……けど栗宮さん、全然教室に来んし、気付いたらあねーなんになってしもうてるし……でも、それはもうええんじゃ」

「……なに?」

「みんなとお話が出来んで悩んどったときも、わしの相手をしてくれたなぁ栗宮さんだけじゃ……あねーな形でも、嬉しかったんじゃけえ…………ありがとの」

「…………ふんっ。勝手にしろ」


 素直には受け取れないようだが、毒気付いた言葉の裏に隠されているものを、小谷松さんも感じ取ったのだろう。嬉しそうに小さくこくんと頷く。



「矯正するまでも無さそうやな。飛び切り頭のおかしい変な奴でも、人並みの優しさくらいは持ち合わせとるっちゅうわけや」

「……みたいだね」

「心配すんな。キャプテンとしてこの上ない最高の仕事やった。ありがとな」

「……んっ。あんがとっ」

「あとの細かいところは俺に任せておけ」

「だから、ハルだけ頑張らなくてもいーんだよ!」

「っと、そうやったな」


 勿論、たったこれだけで『ではフットサル部へ』というわけにはいかない。

 奴を部の一員として認めるに障害はあまりに多い。学校一の問題児というレッテル……レッテルというより事実だが、それもそれで足枷にはなるだろうし。


 保留であることに変わりは無い。

 でも、進展が無かったわけでもない。


 一度かかわりを持ってしまった以上、理解する努力を。歩み寄る姿勢くらいは見せてあげないと。瑞希や小谷松さんがそうしたように。


 まずは友達からだ。誰が相手でも。

 そこからどうなるかは、アイツ次第だけどな。



「そろそろ帰るか。日も落ちて来たしな…………よう克真。お疲れさん」

「……マジ最悪です。明日試合なのに……ッ!」

「ハッ。女のケツ追っ掛けるのに夢中やからそうなんだよ。反省しろ」

「仰る通りです……ッ」


 膝に手を付き項垂れる克真を慧ちゃんが大声で呼び寄せる。グリコじゃんけんの後遺症を引き摺っているようだ。坂道をゆっくり進むのって疲労溜まるよな。


 まったく、あんなに優しくて器量の良い子の相手を面倒くさがって有希に盲目とは。これに懲りてもっと視野を広げてみることだ。


 まぁでも、そんなものか。

 一度決め付けると中々覆らないよな。


 ところがしかし、意外な角度から新しい事実が見えて来て、図らずとも進展してしまうことがある。例えば今日みたいに。


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