747. 骨盤歪む
「動物園ねえ。近くにあるって話だけ聞いたけど、そういや行ったことねえな」
「全然大したことないってさ。姉さんが言ってた。わざわざゴールデンウィークにぶつけてくるとか、性格悪いよね」
「まぁ学校行事はな。しゃーないわ」
「ホントは休むつもりだったんだケド、慧に怒られちゃってさ。メリハリはしっかり付けなきゃ駄目だって。絶対自分が行きたいだけだよね」
早朝、私服姿で玄関先に立つ有希と真琴。この日は新入生のオリエンテーションと称された遠足があるそうだ。その間も部は活動中なので、わざわざ休みの連絡を寄越しに戸を叩きに来た。
二年から編入した俺はこの催しに縁が無く、動物園も子どもの頃でさえ行ったことがない。普通に羨ましい。
橘田にベタベタされる愛莉を笑いながら瑞希と不味いアイス食べたり、猛獣に威圧されビビり散らかす琴音を眺めながら比奈と手を繋いで園内を回りたかった。大会が終わった夏休み頃にみんなで行こう。必ず成し遂げよう。
「こんなこと言って、マコくんが一番楽しみにしてたんですよっ。昨日も全然寝ないで遅くまでしおり読んだりしてて」
「知らないね。そんなこと」
「ねえねえ、ヤギの餌やりって何時だっけ?」
「昨日も言ったでしょ。11時と13時半の二部で各回先着30名……ハッ!?」
「ほらっ、やっぱり!」
語るに落ちるとはこのことか、有希の安い策略にハマる珍しく年相応な姿。このコンビに限っては主導権を握られがちな真琴である。
練習試合も目前だが、曲者揃いの新入生組の纏め役としてこの一か月大変頼らせていただいた。良いリフレッシュの機会だろう。存分に楽しんで来い。
「お土産、期待しててくださいっ!」
「ん、よろしく。いってらっしゃい」
「一年がいないからって練習サボんないでよね。人目が無かったらすぐイチャイチャし出すんだから、まったく!」
「はいはい」
子どもっぽい姿を見られたのが癪なのか、居心地悪そうに早口でまくし立てる真琴を有希がニコニコ笑いながら宥める。
時間を伝えると手を繋ぎながら大慌てでアパートの階段を駆け下りていくのであった。
土産話が楽しみだ。私服に自信が無いと昨晩相談を持ち掛けて来た克真は、有希にアプローチでも掛けるのだろうか。
良いな、いかにもアオハルって感じで。あのキラキラした感じはもう俺たちには無理だな……誰のせいとは言わんが。
「ねー、もう行ったー?」
「行った行った」
「おっしゃ、じゃあ続きからっ!」
「これが常態化してるってんだから、そりゃ無茶な相談だよな……」
昨日届いたばかりの巨大ベッドを我が物顔で占領する瑞希は、晩にシャワーを浴びてから一度も服を着ていない。
朝の微睡はとうに過ぎ去り情事の続きをせがんでいる。二人が顔を出したので中断せざるを得なかったのだ。
ゴールデンウィークの幕開けと新たな寝床の到着は、春休みから続いている半同棲生活を更に加速させた。一昨日はノノ、昨晩は瑞希だ。最後に一人で過ごした夜がいつだったかいよいよ思い出せない。
常に性欲を持て余している愛莉や比奈とは違い、瑞希はその手のノリにあまり積極的でない。最初の情事で少し失敗したのが尾を引いていたのか、軽く触れ合う程度で終わることが多かったのだが……。
「ねえなんで小っちゃくなってんの?」
「いやなんか、二人と喋ってたら浄化されたっていうか、悟り開いた」
「は? 許さんよ?」
「あのな。痛くなくなったからってペース上げ過ぎお前。俺の体力も考えろ」
「アーン!? 情っさけねえなー! ほら寝ろ! 脱げっ! 復活させてやる!」
「ええ加減諦めろって。そのサイズじゃどう足掻いても挟めねえよ」
「うるせー! やるったらやんだよ!」
「何故に喧嘩腰」
本人曰くB寄りのCまで成長したというソレをぴっとりと宛がい、なんとかその気にさせようと必死に藻掻いている。
好奇心旺盛な彼女のことだ、一度慣れてしまえばこうなるのも予想の範疇ではあった。にしても無茶があるけど。
「んぐぐぐグっ……!」
「だから絶対ムリやって。骨盤歪むで」
「……ぐえー。だめだぁ~…………はぁ。まー復活したからいっか」
満足そうにニマァっと微笑む瑞希。とどのつまり、そういうことだ。名は体を表すではないが、しなやかで瑞々しい彼女の身体は例えサイズに恵まれなくとも、劣情を煽るにまるで不足は無い。
上から降りてベッドへぐでんと寝っ転がる。二人並んでも余裕のある広さだ。床に蹴落とされる心配も無くなった。
もっとも、琴音に飽き足らず新たな獲物を狙っている比奈が暴走を始めればその限りではないが。今日はアイツだろうな。順番的に。新しいベッドの寝心地を試したいとか適当な理由を付けて押し掛けるのだろう。
「入れていい?」
「だめ」
「はっ!? なんで!?」
「俺が入れるから」
その気にさせられてしまった。足を引っ張り上げて一気に立場逆転。羽根並みに軽い彼女を振り回すのはとても簡単だ。
「うぇぇ~……っ」
「なんだよ。そんなに乗りたかったのか?」
「そーじゃないけどぉ……!」
攻め立てるつもりが、上から圧し掛けられあっさり勢いを失う瑞希。日頃散々弄ばれているのだから、こんなときくらいは優位に立ちたい。羞恥に染まる彼女の潮らしい姿は、この上なく絶景だ。
「この一週間、しっかりキャプテン頑張ってくれたからな。疲れちまったやろ」
「それ昨日も言ってたしぃ~」
「ご褒美やって、ご褒美」
「むぅ~……しょーがねーな、ったく」
口では抵抗するが、表情を見るに満更でも無さそう。普段のヘラついた態度とは反対に、無理やり組み敷かれて好き勝手されるのがお好みの彼女。曰く『愛されてる感があって良い』らしい。転じて瑞希らしいと言えばそうかも。
日頃延々とちょっかいを掛けて来るのも、単にじゃれているというより俺の反撃を待っているのだと最近ようやく気付いた。深く踏み込まなければ分からないこともあるものだ。
「ベッドが柔らかいとラクでいーよね」
「前のは結構硬かったからな」
「昨日世良からライン来ててね。組み立て直したまでは良かったけど、骨組みまで匂いが染み込んでて使う気にならんってさ。見る?」
「あとでええわ」
お下がりシングルベッドの処遇に悩む文香のフォローは後回し。今日は午後からの練習だ、まだまだ時間はたっぷりある。
ついでにマットレスも新調したのが功を奏した。深く押し込めば押し込むほど彼女との密着度も高まり非常に心地が良い。
あっという間にヘロヘロになってしまった瑞希は、続けざまの反撃にされるがままだ。恍惚の境地へと達し、元に戻るのか疑わしいまでに蕩け切った笑顔をゼロ距離で見せ付けられては、こちらもその長くは持たない。
ギリギリと音を立て軋むベッドの反発も後押し。タイミングを合わせるように解き放たれた焦燥が、一番深いところにまで流れ込む。
声にならない絶叫を挙げ、瑞希の華奢な身体は海へ溺れるみたいにベッドの奥底まで沈んで行った。
荒々しい呼吸と染み付いた汗を肴に、僅か数ミリの隙間さえ許さぬよう肌を密着させダラダラと唇を交わす。甘美な余韻に浸り続け数十分は経ったかという頃。
「うわっ!?」
「なんやッ!?」
ガシャゴーン! と何かが崩れ落ちるような物音。二人揃ってベッドから飛び起きる。騒音はまだまだ続いた。解体工事でも始めたのかという喧しさだ。
「……下?」
「かもな……」
アパート一階、俺の下で暮らしているのは、唯一この物件でフットサル部に関わりの無い一般住民だ。最近越してきたみたいで、まだ顔を合わせたことがない。
もしかして、ベッドの軋みが激し過ぎて怒らせてしまったのだろうか。俗に言う床ドンならぬ天井ドン……?
「あちゃー。流石にうるさかったか……」
「いやでも、そんなに声出してたか?」
「埃舞っちゃったんじゃない?」
などと話しているうちにも一向に鳴り止む気配が無い。いや待て。これ、本当に天井ドンか?
明らかに何かが落ちている音のような……こう、積み上げていた段ボールが雪崩みたいになっているというか。
「……様子見に行く?」
「まぁ煩くしたのは事実やしな……こっちのせいで荷物落ちてたら大変やし。ちょっと行ってくるわ」
「いいよ、あたしも謝る」
「ええって。男が住んでたらどうすんだよ。変な気起こされても困るだろ」
「スッキリしたら逆にもう冷静になって来たわ。怒られたらアレだよ。世良と部屋交換しちゃえば良いんだよ」
「そんなしょうもない理由で部屋替え要求したら怒り狂うぞアイツ……」
懸念は拭えないが、ほったらかしにして後で問題になるよりか良い筈だ。越して来てからロクに近所付き合いも無かったし、逆に良いタイミングかも分からん。そんなことはないか。無いわ。
軽く汗を拭き取ってから着替えを済ませ、申し訳程度に消臭剤をばら撒き合いアパート一階へ。
家賃は振り込みなので大家さんへ会いに行く機会も無く、なんなら足を踏み入れるのも初めてだったりする。
そもそもの話、下の部屋に誰かが住んでいると意識したことさえ無かった。今の今まで物音どころか生活音の一つ聞こえなかったし、本当に住んでいるのかどうか疑わしいまであったのに。
「……出ねえな」
「じゃーやっぱ、あたしらに怒ってるわけじゃなさそーだね。そーゆーの気にする人なら率先して文句言いに来るだろーし」
「うーん……」
インターホンを押しても反応が無い。何も無いのならさっさと引き返すべきなのだが……なんか気になるな。
「あ。鍵開いてんじゃん」
「不用心やな……」
なんの気なしにドアノブへ手を伸ばした瑞希。ロックが掛かっていない。なんだか『入って来い』と誘われているみたいだ。
もし荷物が崩れて部屋が散乱しているとしたら……それで怪我をしたという可能性もゼロではないか。ちょっと怖いけど、様子だけ……。
「しっ、死ぬウウゥ゛ゥェ゛ェ……ッ!!」
……………………
「いやいや閉めんなってハル」
「…………え?」
「栗宮じゃん。現実見ろよ」
「……えぇ?」
大量の段ボールの下敷きになっていたのは、ピンクのツインテールと腕だけが差し伸ばされ虫の息と化した、聖堕天使ミクエル。もとい、栗宮未来であった。
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