703. 甘酸っぱい


 橘田は挨拶もそこそこに自宅へ帰って行った。オミは『家まで送るつもりだったのに』と残念そうに呟いていたが、なら公園で一度くらい彼女に声を掛けてやるべきだっただろう。詰めが甘い。


 橘田をガン無視しボール遊びを始めたのも『なんか恥ずかしくなった』からだそうだ。

 まぁ正常な判断ではある。男子高校生として満点の回答と言えなくもない。



「デートごっこねえ……また凝りもせずお節介焼いたってわけ?」

「まるで覚えがあるかのような言い方やな」

「その結果が今のフットサル部でしょうが」

「確かに過ぎる」


 着替えて戻って来た愛莉を含め六人でボールを蹴って、陽が落ち始めた頃に解散となった。

 女性陣相手にまるで歯が立たずトボトボ帰って行ったテツオミのフォローは明日に持ち越すとして。


 母の愛華さんが在宅ということで、文香とルビーの顔を見せておこうと久々に長瀬家でご相伴に預かる流れに。

 エセ関西弁を仕込み仕込まれる二人の背中を追い掛け、愛莉は遠くオレンジの夕焼けを眺め呟いた。



「でも、珍しいわね。ハルトにしては」

「あ? どういうこっちゃ」

「絶対フットサル部に引き入れてたでしょ。今までだったら」


 嫉妬混じりのキュッと絞られた瞳で俺を見つめる。貴重な放課後を橘田の相手に割いたのが気に食わないのか。すぐ焼き餅妬いて、可愛い奴め。


 愛莉の言うことも一理ある。デートごっこの相手は俺でも出来た筈だし、適当な台詞を並べてフットサル部の陣営に加えることも、橘田のチョロさを考えれば簡単な話だっただろう。


 オミに相手を任せたのはほんの気紛れだった。でも今になって考えると、ちゃんと理由があったのかもしれない。



「俺やなくても良かったから、かもな」

「……どういうこと?」

「おもろい奴やけどな、橘田も。でも愛莉やみんなほどじゃねえって、そんだけ」

「私たちより可愛くないから譲ったってこと?」

「そうじゃねえよ。どこに自信持っとんねん」


 優先順位が低かったからだ。調子に乗って橘田を篭絡している間は、愛莉を筆頭に不満を溜め込む連中が続出するだろうし。


 生徒会との関係もあるし個人的な付き合いは継続するつもりだが、彼女の相手だけしているほど俺も暇じゃない。ただでさえ文香の加入と有希の大捲りで部内の様相も混乱真っ只中だというのに。



 つまり俺は、橘田薫子という人間に対してそこまで本気になれない。彼女の人生をひっくり返してしまったときの責任が取れない。


 だからオミに任せたんだ。俺が片手間で相手をするのは橘田にも失礼。動機は不純でも、本気で彼女を欲しがっているオミの方が、彼女のポッカリ空いた心に上手いこと嵌まってくれると思った。


 運命の相手は俺じゃなかった。残念ながら。


 でもちょうどその辺に転がっていた。運命が。

 二つを足し合わせて、必然にしてやっただけ。



「余り者同士くっ付いたら何かと都合が良いって、そんだけや。気にすんな」

「……まぁ、フットサル部のこと認めてくれるなら、私はなんでも良いけど。アンタにその気がないなら、別にどうでもいいしっ」


 ノリを合わせるのも面倒になったのか、愛莉は興味無さげにスマホを取り出して会話を投げ出した。


 そう、お前には関係の無い話だ。俺たちが遥か昔に通り過ぎた、解決してしまったことなんだから。余計な首を突っ込むのは俺だけで十分。


 恋にも満たぬアオハルを間近で楽しませて貰った、ただそれだけの話だよ。だから愛莉、お前にも分かる。

 そう遠くない未来、フットサル部の仲間ほどでなくても、大事な友達が一人増えるかもしれない。



「誰?」

「瑞希。説明会の出し物決まったみたい」

「安っぽいコントだけは勘弁して欲しいな」

「ノノがポールダンスするってさ」

「絶対ウソやん」


 寂しそうにぷらぷら揺れていた右手を掴み取ると、愛莉は酷く驚いてスマホを落としそうになった。夕日に当てられた真っ白な頬がほんのり赤く染まる。



「なっ、なに……っ?」

「彼氏っぽいことしたくなった」

「……文香に怒られるわよ」

「問題無い。手はもう一本あるからな。ルビーは背中にでも乗せたるわ」

「まぁまぁクズな発言ね、それ」


 と言いつつもしっかり握り返してくれる。二人が気付いていないのを良いことにその気になったのか、腕ごと絡めて体重を預けて来た。


 文香と有希が近くに居過ぎるせいで、春休みに交わした色んな約束がおざなりになっている。今日もわざわざ探しに来たのだから、そういうことなのだろう。



「……どこでデートしてたの?」

「駅前のア〇タ」

「なにしてた?」

「服見たり、ダ〇ソーで小物物色したり」

「…………ふーん」

「分かったって。今度行こうな。二人きりで」

「……んっ」


 いじらしく肩を寄せ微笑を浮かべる愛莉。可愛い以外の感想が出て来ないのでこの件は終わり。


 シーワールドの近くに大きなアウトレットモールが出来たと比奈が話していた。今度はそこへ連れて行こう。他のみんなとは、どこへ行こうかな。


 やりたいことがまだまだ沢山ある。


 人の心配をしている場合じゃない。

 知らないものばかりだ。

 この世界はどうにも広過ぎる。

 



*     *     *     *




 翌日は入学式。自宅アパートの階段を下りると、有希と真琴が制服姿で待っていた。

 昨日有希宅で俺の帰りを待っていた二人は長瀬家で晩飯を済ませたことにちょっと怒っていたが、一晩経てば忘れてしまったそうで。



「どうですかっ、廣瀬さん!」

「有希の可愛さが霞むほどダサい制服やな」

「ええっ!?」

「冗談やって。よう似合っとるな」


 そこそこお洒落なことで評判な山嵜の制服。オーバーサイズのブレザーを纏い、有希は華麗なステップを踏み笑顔を綻ばせた。



「まーくんホンマに男モン着るんやな」

「一応どっちも買いましたケドね」

「買って貰った、やろ?」

「はいはい。ありがとーございました」


 結局真琴は中学時代と同様、男モノの制服で通学するようだ。女子の制服代は俺が半分ほど出してやったが暫く封印するようで。


 母の愛華さんに酷く頭を下げられてしまったが、俺だけのために可愛い姿を見せてくれると思えば安い買い物だ。高かったけど。普通に。


 今日くらいはと四人一緒にスクールバスへ乗り込み学校へ。新入生はスケジュールがパンパンに詰まっているみたいで、バスを降りるや否や二人は手を繋ぎ掲示板の元へと走って行った。一緒のクラスになれると良いな。



「んにゃ。会長さんや」

「朝から大変やな」


 生徒会の面々が正門の前に立ち新入生の案内をしている。毎朝やっているあいさつ運動も兼ねて大忙しだ。勿論橘田の姿もある。



「おはようさん」

「あ…………ど、どうも……昨日はご迷惑おかけしました……ッ」

「気にすんな。っと、声掛けといて悪いが……俺の相手よりも、ほら」


 同じバスにオミも乗っていたようだ。今日は朝練が無かったのか。眠そうな顔をしている。


 一人ダラダラ歩いているオミに、橘田は熱い眼差しを向けている。こちらから促しておいてなんだが、実にあからさまな反応だ。仕方ない、もう一押しするか。



「ネクタイ。グッチャグチャやな」

「えっ?」

「いっつもあんな感じでよ。ユニフォームばっか着とるから制服慣れてへんねんアイツ。なあ文香」

「ホンマやなあ。誰か直してあげへんと、みっともないわあ~」


 文香とアイコンタクトを交わし下手な演技を披露する。橘田は一つ深呼吸。よしっ、と小さく呟き、オミの元へ早足で向かっていった。



「……かっ、葛西くん! なんですかそのだらしないネクタイはッ!」

「あ、会長……あの、昨日はその……っ」

「今日から新入生もいるんですよッ! 彼らの模範となるようキチッとした格好を心掛けてくださいッ! ほらっ、ネクタイ貸して!」

「ちょっ、自分で出来るって!?」

「……いいからっ、ジッとしてて!!」


 首筋まで真っ赤に腫らして、橘田は真剣な顔でオミのネクタイを締め直す。あまりの距離の近さにオミはしどろもどろ。


 男に触れられるだけであんなに狼狽えていたのに、橘田。きっと彼女の中で何かが変わり始めた証拠だ。良い傾向じゃないか。


 新入生と思わしき女の子たちが、そんな二人の姿を見てキャキャー騒いでいる。なるほど、外堀も勝手に埋まるってわけね。



「アオハルやな。はーくん」

「甘酸っぱいな。文香」

「ええなあ。あーゆーの憧れるわあ……ほな、ウチらもアオハルしときますか?」

「お前アパートの前で犬のウ〇コ踏んどったで」

「ヴぇアア゛アアアア゛アア゛ァ゛ァァ゛ァ!!」


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