679. 本気モード
こちらもシャワーを浴びて戻って来ると、談話スペースのソファーでグダりながら過ごす普段通りの光景が広がっていた。
一時間くらい適当にお喋りして、最後のスクールバスに乗り込むやはりいつもの流れ。
併せて今後の練習内容について話し合い。元々は週三日の活動だったが、夏頃からフワッと集まってなし崩しに練習が始まることが多かったし。
新入生の加入を見越し、ここらで正式なスケジュールとルールを決め直すことにしたのだ。
活動は平日の週五日。そのうち一日は体力作りのフィジカルトレーニングに費やす。バイトや私用で参加出来ない日は事前報告。
当たり前と言えば当たり前だが、今まで何かと理由を付けてやって来なかったことだ。タイミング的にもちょうど良かったと思う。
「ホンマに愛莉が一着やったんか?」
「マジですマジ。ラストスパートでギリギリ追い抜かれちゃいました。おかげでノノのアイデンティティーは一瞬にして消滅です。死にます」
「んな大袈裟な」
「長瀬が長瀬たるゆえんを見たってカンジだな」
「どういう意味よそれ……っ」
というわけで長距離走の覇者は愛莉だったらしい。スタミナだけならノノが部内では断トツだというのに、よく頑張ったものだ。
その元気の源が俺からのご褒美という、結局同じところをグルグル回っているというか、反省がまるで活きていないというか。
さっきと言ってること秒で矛盾してるだろとか、思うところはあるけど。仕方ない。結果は結果。
我が家に預けていた荷物を回収し、皆それぞれ家路へ着く。明日も愛莉に振り回されることになりそうだし、俺もさっさと寝て英気を養うとしよう。まったく、こんなところでブースト掛けるくらいなら試合で活躍しろよな。
「……帰らねえの?」
「ほえ?」
アパートの階段下で皆を見送るのだが、何故か有希が帰ろうとしない。真琴はとっくに上り線組に着いて行ってしまったのに、どうしたのだろう。
「あれだけ頑張ったんだからサ〇ゼで食えなかった分埋め合わせしろって?」
「それはまた今度で大丈夫ですっ。はぁー……やっぱりいざってなると緊張しちゃいますっ。色んなことがあって、すっかり忘れちゃってました!」
よく分からないがまだ帰るつもりは無いらしい。階段を上がる俺にトコトコ着いて来る。なんだよ、本当に居座る気かよ。
あのような機会を設けた手前、いくら有希とはいえ特別扱いするわけにはいかないのだが……馬鹿にご機嫌だな。ホンマどうした急に。
「廣瀬さんっ。私の荷物が無いの、不思議に思いませんでしたかっ?」
「え……あぁ、そうなの? 気付かんかった」
「ふふふっ♪ どうしてでしょ~!」
鍵を回し自宅のドアを開ける。確かに有希だけ荷物を回収しに部屋へ入らなかったな……元々荷物が無かった、わけじゃないか。朝は色々持ってたしな。
「こっちです、こっち!」
「ちょっ、なんやなんや」
手を引っ張って外へ連れ出される。向かったのは俺の一つ隣の部屋。暫く誰も住んでいなかったが、この一か月で新たな入居者が現れたようだ…………えっ?
「待て待て待て。なんやその鍵は」
「行きますよぉー!」
ズボッ。クルッ。カチャッ。
開いた。開いちゃった。
えっ? はい? どゆこと?
「――――サプライズ、大成功ですっ! じゃじゃーん!!」
玄関に立ち満面の笑みと共にこちらへ振り返る。
懐かしい香りだ。まだ人の生活臭が染み付いていなくて、壁の素材とキッチンの乾燥した変な匂いが合わさって向かって来る、問答無用の高揚感。
またも手を引っ張られ部屋へと連れ込まれる。真新しいベッドと布団、まぁまぁデカいテレビ。外から見えていた女々しさ全開のピンキーなカーテン。
ちゃんと勉強机も、ノートパソコンも置いてある。新生活始めました、と口で説明されるよりよっぽど分かりやすい。
「…………嘘やろ?」
「ほんとのホントですっ! 私の部屋ですよっ!」
「…………はいぃぃぃぃ……!?」
渾身のドヤ顔で勝ち誇るお転婆天然美少女。
待って。理解が追い付かない。有希の部屋? 一人暮らし始めたってこと? なんで? 早坂家って学校からそんなに遠くないよね? え? 有希ママ? なんで許可しちゃった? お金とかどうするの? えっ? はい?
「さあ、なんでも聞いてくださいっ!」
「…………何故一人暮らしを?」
「廣瀬さんともっと近くに居たいからですっ! これ以上の理由はありませんっ!」
そこまで言い切られると逆に嬉しいけど。
全然足りないから。なにも納得してないから。
「お母さんに許可は?」
「勿論オッケー貰いましたっ! ほらっ、ここの大家さんってママの親戚のおじさんじゃないですか!」
そういやそうだった。有希と関わりを持ったキッカケは、このアパートの大家である初老の爺さんと有希ママが親戚関係だったことに起因する。
「最初はやっぱり反対されちゃったんですけど、おじさんも一緒に説得してくれたんですっ。若いうちに苦労するのは大切だって!」
「な、なるほど……でも家賃とか生活費は?」
「お家賃と光熱費だけわたしがバイトで稼いで、あとはママとパパがサポートしてくれますっ!」
「その家賃は」
「2万円ですっ!」
「やっっっっす」
まぁ親戚の娘さんなんておじさんからしたら実質自分の孫娘みたいなものだろうし、なにかと都合が良ければ話も早かったのだろうが……って、俺が払ってる家賃より更に安いじゃねえか。相場を考えろ相場を。
あー。でも確かに大家さん、前に話したとき『廣瀬くんが出ていったらここも売っちゃおうかなあ』みたいなこと言ってたっけなぁ。ほとんど道楽で続けてる賃貸経営なら、安くても家賃代が入って来るだけで十分なのか……。
「まぁ、分かった。理解はした。お母さん有希にゲロ甘だもんな。お父さんも優しいし……若いうちの苦労も必要や。よう分かった。だがしかしな」
「はいっ?」
「お前、家事はどうすんねん。料理出来ないやろ」
「勉強しますっ!」
「既に実践編が始まっているのだが?」
「大丈夫ですっ! この一か月、ママにいっぱい修行して貰いましたっ! 麻婆豆腐と野菜炒めと、天丼と、あとカレーなら作れますっ!」
「頼りねえ……ッ!」
その全部にデスソースてんこ盛りなんだろ。女子高生の食生活としては0点どころかマイナス振り切ってるって。絶対身体壊すって。
「一人暮らしと言っても、ちゃんと週末はお家に帰りますよっ? 変なことにお金を使ったりしてないか、毎週チェックして貰うんですっ」
「お、おう……」
そんな甘やかされた一人暮らし聞いたことねえよ。
うーん。しかし早坂家も早坂家で、微妙に感性のズレた一族だ……高校生の俺を家庭教師として招き入れた時点でなんとなく察するところではあったが。
いくら一人娘だからって過保護が過ぎる。いや、逆にスパルタなのか? 分からん。考えたところで分からんわ。
だいたい、どこの馬の骨とも分からん俺をここまで信用してくれるのも不思議で仕方ない。有希ママなんてフットサル部の内情をまったく知らないわけでもないだろうに……今度バイトで会ったらちゃんと話聞かないと。
そうか、朝の妙にソワソワした態度はこれが原因か。真琴も知ってやがったな……澄ました顔して昨日も隣で寝泊まりしてたのかよ。アイツめ。
「そういうわけなのでっ、廣瀬さんが心配することはなにもありませんっ! わたし、本気モードなんですよ!」
「……みたいやな」
「フットサル部も、廣瀬さんのことも……全部、本気で頑張るんですっ! 今までのわたしとは違うんですっ! 早坂有希マークツーなんですっ!!」
フンスフンスと鼻息荒く腰に手を当て得意げに語る有希。お前のそういう、すぐに調子に乗るところが一番怖いんだよ。
なんたる盲点。なんたる死角。ここに来て大外からまったく予想外の奴が巻き上げて来るとは。こんなウルトラC許容出来るか。
不甲斐ない練習試合と長距離走のおかげでみんなの意識も変わって来るって、一時間くらい前に言ったばっかりなんだけどな。
ますます悩みの種が増えている気がするんだけどな。気のせい? ねえ?
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