愛と希望と欲望渦巻く混沌の春休み章 ~サプライズ(予定調和)を添えて~

664. シャシンシャシン!


(また増えるのかよ)


 早朝から業者とトラックが出入りを繰り返し、アパート周辺は馬鹿に騒がしい。

 この一か月は毎日のように引っ越し作業が行われていて、ちょっとした工事現場並みの煩さだ。窓の外でせっせと荷物を運び込む作業員たち。


 年度の変わり目を控え新生活に浮かれる新規入居者には申し訳ないが、手放しで歓迎することは出来なかった。

 俺しか住んでいないアパートの気楽さに慣れてしまったというのも理由としては大きいが。



「ちょっと、カーテン開けないでってば! 見えちゃうじゃない!」

「誰も覗きやしねえよ」

「万が一って可能性もあるでしょっ!」


 ベッドに横たわったままの愛莉が布団に包まって文句を垂れる。

 いつまでも服を着ないでダラダラしているのが悪いのだと、お得意の悪口は喉先で影を潜めた。そもそもの原因を辿れば理由は瞭然だ。



 青学館との練習試合まであと二日。夏休みを思い起こさせる練習三昧の日々に、フットサル部は少しずつ部活動としての体を取り戻しつつある。


 一方、活動を再開して数日。練習後に愛莉が自宅まで引っ付いて来て、そのまま泊まって行くのもルーティーンになりつつあった。今日で二日連続だ。


 これだけ愛莉の独壇場になれば不満の声が上がってもおかしくはない筈だが、不思議なことに『今日は私が』などと言い出す奴が誰もいない。


 秘密裏の協定でも結ばれているのだろうか。平和な時間が過ぎているに越したことは無いが、いったいどんな取り決めが為されているのやら。



「コーヒーでも飲むか」

「んっ。ブラックがいい」

「ホンマに飲めんのか?」

「舐めんじゃないわよ」


 活動再開直後こそ甘えたがりが過ぎるという意味で情緒不安定だった愛莉だが、連夜の外泊でだいぶ落ち着いて来た。長瀬家の食卓は真琴が取り仕切っているとのことで、心配する必要は無いだろう。


 外泊になんら抵抗の無い瑞希やノノと違って、愛莉には帰るべき家と家族がちゃんとある。そんな事情込みで春休み中は優遇されているのだろうか。



「ほい、お待たせ」

「ありがと…………ちょっと、やめてってば。溢しちゃうでしょ」

「暇だもんで」

「ヒマ潰しに揉むなっての……」


 コーヒーは一口啜っただけでテーブルに置いてしまった。


 背後から迫る、というか既に到達している魔の手にこれといって抵抗する様子も見せず、愛莉はされるがままだ。つまりそういうことなのだろう。


 当初から片鱗は見えていたが、愛莉はその手の類に関して非常に従順だ。嫌がったり恥ずかしがるのは最初だけ。

 少し強引に攻め立てるとあっさりヘロヘロになってしまう。普段のサバサバした態度とはまるで正反対で、実にそそられる。



「ホント好きね。ずっと揉んでて飽きないの?」

「今のところ予定は無いな」

「ったく、底無しなんだから……」

「どの口が言ってんだよ。おかげで三時間しか寝れなかったじゃねえか」

「それはっ……だって、どこで止めたら良いか分かんないんだもん……っ」


 先端をキュッと摘まんで様子を窺うと、物欲しそうに唇を尖らせ体重を後ろに預けて来る。

 早起きと引っ越し業者のおかげで、練習開始まで若干時間がある。もう暫く楽しめる筈だ。



 ほんの僅かな妄想や卑劣な欲求も、当たり前のように現実ものへと即されるこの状況。

 俺だけでなく愛莉も、そしてみんなも。目先の快楽に流されつつある。


 日に日に蓄積していく足腰への疲労を実感するたび『明日は控えよう』などとその場では調子の良いことを言い合って、翌日には翻意されてしまう。


 もはや誰も咎めようとしないのだから、歯止めの効かない少年少女たちが欲望のまま溺れていくのも、人間が呼吸をするのと同じく至極当然。分かり切っていた納得の帰結であった。



「……春休み、あっという間ね」

「言うてあと一週間ちょいあるけどな」

「明後日の試合終わったらさ……一日で良いから、私の時間欲しいなって……だめ?」

「言われなきゃ俺が誘うところだったよ」

「…………嬉しいっ」


 満足げに笑みを綻ばせ小さく呟く。が、数秒後には甲高い悲鳴へと様変わり。彼女の放つどんな言葉さえも、今の俺には軽率なトリガーだ。


 充実の一途を辿る春休み。


 しかし、人間万事塞翁が馬という有難くない格言があるように。順調に進んでいる時こそ、思い掛けない落とし穴に注意しなければならない。


 波乱とアクシデントの連続で築き上げられて来た俺たちの世界に、そう易々と安息が訪れる筈が無かったのだ……。




*     *     *     *




「じゃじゃーんっ! どうですか、皆さんっ!」

「有希。後ろ前逆だよ」

「ふぇっ? わわっ!?」


 練習前に峯岸が現れて、有希と真琴、ルビーのユニフォームを届けてくれた。春風そよぐ快晴の下、ちょっとしたお披露目会が始まる。



「シルヴィアちゃん! シャシンシャシン!」

「¡Olé! シャシンっ! シャシン食べル!」

「写真は『撮る』だよ~シルヴィアちゃ~ん」

「誰だよ変な日本語教えたやつ」

「貴方です瑞希さん」


 若い順から真琴が8番、有希が14番。ルビーは20番だ。

 特に拘りも無かったそうで、俺の独断で決めさせてもらった。深い意味は無い。本当になんも無い。


 編入の済んでいないルビーの分を作るかという点では若干悩んだけど、どちらにせよ欲しがるだろうから先んじて頼んでいた。どうせ加入するし。嫌と言っても無理やり引き入れる。



「若さとパワーに勝る美貌ったら無いね。羨ましいわ」

「有希と真琴なんて10個下だもんな」

「なーんだその小馬鹿にした目は。エぇ?」

「別になんでもォ?」

「オォン?」


 珍しいことに、再開後の活動へほぼ毎日のように姿を現す峯岸。二階の更衣室のベランダから眺めているだけで、やはり顧問らしいことは何一つしていないが。


 春休み中も色々と仕事があるそうで、今日もパリッと決めたスーツに書類を纏めたファイルを小脇に抱えている。

 見た目だけなら真っ当な教師に見えなくもない。見えなくもないって。教師だろ。普通に。いやしかしリスペクトしようにも。



「じゃ、着替えるのも面倒やろうし、三人はそのまま練習な。お前らもスマホしまって来い。今日もランニングから……」

「あー、悪い廣瀬。あと長瀬も」

「はい? 私もですか?」

「部長だろ仮にも。そういう要件だよ」

「仮にもって、普通に部長なんですけど……」


 それぞれ準備を始めるなか、俺と愛莉だけ峯岸に新館へ連れ出される。

 名目上は愛莉が部長で、俺が副部長だ。学内における諸々の手続き等は俺たちの仕事である。愛莉はなんもしないけど。



「……なんすか?」

「いや……なんでもない。うむ」


 皆の声が届かない辺りまで連れて来させられる。フットサル部の動向には基本不干渉の峯岸だが、いったいなんの用事なのだろう。そしてなにを言い掛けた貴様。


 

「その、なんだ。これに関しては一方的な私の伝達ミスだ。普通に忘れてた」

「なにを」

「生徒会に定例報告ってのをするようになってな。部がちゃんと活動しているかとか、予算を馬鹿な使い方してねえかとか、そういう話し合いの場を新たに設けることになったらしい」

「…………え? 超初耳なんだが?」

「うん。だからごめん。色々と。私も顧問やるのお前らで初めてだから、普通に忘れてた。すまん」


 突然の報告に愛莉もポカンとした顔をしている。生徒会に定例報告……そんなものが必要なのか。今まで何も言ってこなかったのに、唐突だな。



「秋から今の生徒会になっただろ? 新たに始める施策の一つみたいでな、新学期前にどの部活も呼び出されているんだ。で、お前らの番ってわけ」

「はぁ。まぁそういうことなら」

「勝手ながら今日の一時に入れさせて貰った。というか日にち指定された。どうせ練習日だし当日で良いかなって」

「えぇ……」


 明後日が試合というタイミングでか。普段からロクに仕事もしない癖にとんでもない位置から足引っ張りやがって。別に責め立てる気も無いが。


 ふむ。生徒会か。創部の際に一度だけ会議をして、彼らとはそれきりだ。同学年が中心である今のメンバーとはまだ面識が無い。



「練習着のままで良いから、昼メシ食ったら生徒会室まで来てくれ。私も弁護くらいしてやるから、心配すんな」

「心配もなにも、私たち怒られるようなことしてないんですけど……」

「あー……まぁ、そうなんだけどなぁ……」


 問い質す愛莉にやたら歯切れの悪い峯岸。


 なんだその思わせぶりな態度は。生徒会から突っ込まれる明確な理由があると言わんばかりだぞ。これでも活動自体は真っ当にやってるってのに。


 ……え、本当に?

 俺たちなんかしたの?



「役員はそうでもねえけど会長がなぁ。下手したら楠美以上のくせ者だし……いや、分かってるけどな? お前らに非があるわけじゃないんだけど」

「……どういう意味?」

「ほら、お前らまだ公式戦とか出たことないだろ? そういうのとか結構気にするタイプっていうか、まぁそれだけが理由でもないというか……」


 愛莉と顔を見合わせ首を傾げる。


 年上の教諭にさえ飄々とした態度で事なかれを貫く峯岸さえこの有様である。噂の新会長、いったいどんな奴なんだ。そして俺たちはなにをしたというのだ。

 

 いや、でも、そうか。

 もし突っ込まれる点があるとすれば……。


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