654. 考えない葦です
「繰り返すようですが、彼らは何の考えも無しに頭を下げているわけではありません。そこに謝罪が、土下座が必要だからこそドゲザねこは現れ、自ら身を切っているのです。彼らなりのプライドが垣間見えるからこそ美しく、そして可愛らしいのです! 間違っても面白おかしく脚色して良いものではありません……!」
仮にも大ヒット映画の酷評をあちこちで吹聴されても余計な火種を生みそうで怖かったので、適当なファミレスに腰を下ろし話を聞いてやることにした。
熱々のドリアを貪り食いながら、かれこれ30分ほどノンストップで喋り続けている。全然止まらない。内容は半分も入って来ない。理解不能。
「で、このあとは?」
「まだ話は終わっていません……! ラストの取って付けたようなお涙頂戴の強引なシリアスパートは特に……」
「合わなかった映画の愚痴垂れとってもしゃーないやろ。映画がドゲザねこの全部じゃねえんだから。こういうこともあるって」
「…………むぅ……っ」
真面目に聞いていないのがバレていたのか、露骨に不貞腐れる琴音であった。
ガッカリする気持ちは分からんでもないが、映画鑑賞はあくまでデートの一部分だ。いつまでもへそを曲げられていても困る。
「……本当に、楽しみにしていたんです。ずっと好きだったものがようやく世間に認められて、映画にまでなって……」
「まぁな」
「好き好んで批判したいわけではありません……どこが面白かったとか、どのシーンがお気に入りだとか、そういう話をしたかったんです……っ」
「俺は面白かったけどな」
「私の感性がズレているだけなのでしょうかっ……」
シュンと肩を落とす。そうだよ、君の感性はおおよそ一般世間とは絶望的にかけ離れているよ。と馬鹿正直に伝えるのも憚れる落ち込みようだ。
映画が期待外れに終わっただけに留まらず、好きなものを共有したいというささやかな願いさえ叶わなかったことが、彼女にとっては大きな誤算で、なによりも辛い現実なのだ。
「一旦さ、映画のことは忘れて他に楽しいこと探そうぜ。ドゲザねこに頼らななんも出来へんほど空っぽちゃうやろお前」
「……そう言われましてもっ……」
黙り込んで頭を捻らせる琴音。
ドゲザねこへの過剰な執着を除き、趣味らしい趣味が無い彼女である。ウィンドウショッピングやカラオケは言わずもがな不得意だし、ゲーセンのような騒がしい場所も苦手。若者らしい遊びには疎い。
ジムで汗を流すという夏休みと同じルートを辿るのも悪くないが、今日くらい部活のことは忘れたい気分だ。最近ロクに活動していないけど。ご愛嬌。
「……陽翔さんは、どこへ行きたいんですか?」
「俺が決めてええの?」
「そのほうが気は楽です」
「つっても琴音に誘われたデートやしな」
「でっ、ですから先日も申し上げた通り、これはデートではなく映画鑑賞が目的であって……」
「男女二人で出掛けてデート以外のなんだって?」
「……う、うぅ……っ」
映画鑑賞という大義名分が今一つ機能しなかった現状、ここから先は俺と琴音、二人の男女だけが残るわけだ。
となると、琴音としては分が悪い。ドゲザねことフットサル部の活動を除いて能動的に動けない彼女だ。俺に頼るしか選択肢が無い。
普段のやり取りや距離感にしたって、いつも一緒にいるだけで特別なにをするわけでもない奇妙な関係性なのだ。
デートを続けるということ自体、琴音にとっては『俺を意識している』と全面的に認めてしまう行為なわけで。
まぁ、嫌だよな。恥ずかしがり屋だもんな。
そこまで認めるのは、癪だよな。俺も一緒。
「……いや、駄目だ。今日は琴音に誘われたんだから、琴音に引っ張って貰わないと。俺はなんも言わん」
「こ、困りますそんなの……っ」
「おはようございます。考えない葦です」
「意味が分かりません……」
琴音を連れて行きたい場所なら山ほどある。不慣れな環境に引っ張り回されて困惑する琴音を眺めるのが、俺の趣味みたいなものだ。
でも、今日だけは違う。何度も言うように、この場を設けたのは他でもない彼女なのだ。琴音自ら望んだ苦難。
本当に映画鑑賞だけが目的ならそのまま解散すれば良かっただけのこと。こうして思い悩んでいるということは、まだまだデートを続ける気がある。
持ち合わせの性格とプライドが邪魔しているのも、とっくに理解している。理解した上で、少しだけ背伸びした、もうちょっとだけ頑張る琴音を見たい。
「…………無理です。なにも思いつきません」
「えぇ」
「期待には添えられません。私は空っぽです。所詮はフットサル部の関係性と、誰にも理解されない趣味の一つだけ拵えたつまらない女なのですっ……」
「いやいやいやいや」
「私のような不出来で醜い女が一人前に逢瀬を重ねようなどと、無駄な悪足搔きということです……っ!」
「琴音さぁん……」
メンヘラモード入っちゃった。もうちょっと頑張って欲しい。ドリア食べ続けながら途方に暮れないで。面白い絵面にしないで。
ここまでネガティブな琴音も久しぶりだ。昔と比べて、俺に負けず劣らず簡単に笑うようになった彼女だけど……やはり根っこの部分はそう変わらないか。
「別に難しいことなん一つも無いて。お前の言うこと為すこと全肯定の考えない葦に気ィ遣っとる場合か」
「…………でも……っ」
「そんなに頼りないか? ええねんもっと甘えて。家出しに来たときくらいの図々しさでちょうど良いんだぜ」
「あの時は、あの時です。自分でも理解していなかった頃ですから……」
よく分からない物言いである。
理解していなかった?
それこそ去年までの彼女なんて、もっと露骨に距離が近かったというか、分かりやすく好意がダダ漏れというか。
特に考えも無しに自然と甘えて来るような子だった筈なのに。この数か月で何か心境の変化でもあったのだろうか。
「私だってよく分かりません。言いたいこと、やりたいことはとっくに決まっています。悩む余地は無いんです。でも分からないんです。自信が無いんですっ……」
「……琴音?」
「なにかが足りない気がするんです。なにかが曖昧なのです。ただ一つ確かなのは……私一人の力では及ばないという、それだけです……っ」
理路整然さの欠片も無い不明瞭な言葉たちに、その動揺ぶりが透けて見えるようだった。自宅を飛び出した初冬の夜、思い返せば似たような顔をしていた。
要するに、俺に何とかして欲しいと。
たった一言を絞り出すにも苦労していると。
そういう解釈で良いんだな。
結局俺に任せっきりじゃねえかよ。
でも、ここまで俺に預けて貰えるってのも、不思議と心地良いもので。辞める気にはならない。困る。困り果てた。
「分かった。分かったよ。なら場所だけは俺が決める。そっからは琴音次第や、それ以上は手助けしない。なにを助けて欲しいかは知らんけどな。ええな?」
「…………はい。お願いします」
無理に一人で解決させるのが正しいわけではない。各々に合った接し方が必要なのだというなら、まさに琴音もそれを必要としている。
お膳立てだけはしてやろう。そうすればきっと応えてくれる。ここぞという場面ではしっかり決めてくれるって信じている。一年間隣で見て来た楠美琴音という少女は、そこまで弱くは無い筈だ。
「せっかくお洒落して貰ったのに悪いけど、あんまり連れ回して歩きたくないんだよ。気付いてるか? さっきからジロジロ見られてるの。俺がいなかったら今頃ナンパの嵐やぞお前」
「……なんとなく、は」
「親御さんは在宅か?」
「……仕事です。二人とも出張で、明後日まで帰って来ません……えっ、あの、陽翔さん……っ?」
勘違いするな。単に琴音の部屋がどんな様子なのか気になるだけだ。こないだはリビングまでしか行けなかったし。それに外を歩き回るよりそっちのほうが気が楽という、それだけだ。他意は無い。
最終手段だよ。
外側から叩いてもビクともしないのだから。
中からぶっ壊すしかないじゃないか。
察して欲しいんだろ。
だったらもっと素直になれや。
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