648. 埋めて、埋めて、食み出すくらい積み上げて


 好きに使って良いという入浴剤を中身も確認せず入れてみる。薄紫の華やかな色彩が浴槽を満たし、彼女の髪の毛から時折漂って来るラベンダーの香りと同じものであることに気付いた。


 いよいよ自宅の狭いユニットバスや偶の銭湯では満足出来そうにない。風呂トイレ別の物件を探そうか。二年契約だから高校を卒業するまではお預けだけど、今から考えておいても良い気はする。


 諸々の計画と疲労を肩まで浸かって洗い流していると、戸が開いてバスタオルを巻いた瑞希がようやく現れた。10分以上待たせやがって。逆に緊張して来たわ。



「なにタオル巻いてんだよ。グーパンすっぞ」

「こわっ……」


 一昨日昨日の経験で慣れて来た部分はあるけれど、実際のところちょっと強がっていたりもする。

 入浴剤の選択を間違えた。瑞希に抱き締められているみたいで、馬鹿に心地良いから困るんだ。



「なに緊張してんだよ。今更」

「だってぇぇーっ!」

「愛莉の方がまだ落ち着いて入ってたぞ」

「うるせー! あんなド変態と比較すんなっ!」

「そこまでは言っていない」


 嗾けたつもりは無かったが、愛莉の名前を出されたのが気に食わなかったのか。向こう向いてろ、と強めの語気を飛ばし、暫し待ち時間。


 タオルの擦れる音もそこそこに、細い足とつま先が横目に映り込む。ちゃぷりと水面が揺れ瑞希は背中合わせに湯船へ浸かった。


 数えて三回目の混浴である。いよいよ彼女の言っていた冗談を笑えない。短いスパンでどんだけ女と風呂入るんだよ。キショい。我ながら。



「前は俺のほうが恥ずかしがってたのにな」

「あんときはその……割と勢い任せだったってゆーか、全然そのあとのこと考えてなかったっていうか……今はだって、ハルが変に意識させるから……っ!」

「だからそうなるように仕向けてんだよ」

「うぇぇ~ハルがヤ〇チンになっちゃったぁ……っ!」


 顔を湯船に突っ込んだのか、じゃぶんと派手に飛沫が上がった。


 否定は出来ない。例え小さな枠組みで完結した関係であろうと、傍から見れば俺は立派なヤリ〇ンだ。もう言い訳を並べるのも疲れた。そんな時期は終わった。考えるだけ無駄。


 いや、まだ足りないな。ちょっと背中合わせてお風呂入ったくらいじゃ、その称号は相応しくない。お望み通り手綱を握ってやろう。



「そっち向いてええか?」

「……イヤって言っても聞かないっしょ。絶対」

「まぁもう向いてるんだけど」

「ほらぁーっ!」


 目前に捉えたシミ一つと無い真っ白な背中。じんわりと滲む水滴は汗と熱湯どちらなのか、なんとなく見分けが付いて面白い。


 背後からの視線を意識しているのか、少しずつ肌が朱に染まる様子が見て取れる。いつもの瑞希からは想像さえできない姿。


 でも、知っている。

 俺だけはこの目で見たことがある。

 この身体は、俺だけのものだ。



「あっ……」


 お腹周りに手を回して抱き寄せると、水流でかき消されるほどの小さな声で瑞希はくすぐったそうに呟いた。


 脂肪という概念さえ持ち合わせていないのかと錯覚させる、モデル体型にしてもやり過ぎなあまりに細いウエスト。こうして手に取ると尚更心配になる。昼に食べたマグロはこの身体のどこへ消えたのだろう。


 力を入れ過ぎると壊れてしまいそうだ。

 でも、力が入る。壊してしまいたくなる。



 ピッタリ密着したまま互いに動かなくなって、無言のまま時間がゆっくりと流れていく。露骨に緊張していた瑞希も、暫くすると諦めも付いたのか。体重を預けて来て心地良さそうに息を漏らし始めた。

 

 肩に掛かるゴールドの艶髪に手を伸ばすと、指先が耳に触れてしまって。喉のつっかえが取れたみたいな甲高い悲鳴を挙げ、その身体は小刻みに震える。



「ばかっ、やめろ……っ」

「ごめん。なんか、撫でたくなって」

「耳元でしゃべんなぁ……ッ!」


 声まで震えている。ひょっとしなくても鼻声だ。ちょっと泣きそうになっているのか。少しやり過ぎたと反省するのも束の間、瑞希は再び悲鳴を飛ばした。



「……め、メッチャ当たってるんだけど……ッ!」

「そりゃまぁ、当たるわな」

「なに!? 疲れてたんじゃねーの!?」

「思春期真っ盛りの性欲と回復力舐めんなよ。こんな可愛くてエロい奴と密着してたらこうならんほうがおかしいわ」

「えっ、エロくねえしっ!?」


 ついいつものテンションでツッコみを入れてしまう瑞希だが。振り返った先にはドアップの俺の顔があるものだから、あっさりと勢いも削がれてしまう。慌てて首を捻り誤魔化そうと必死。



「一応言うとっけど、お前、超エロいぞ」

「……はえっ……?」

「琴音のことどうこう言ってる場合じゃねえから。パンツ見せ過ぎ。油断し過ぎ。距離近過ぎ。総じて男を舐め過ぎ」

「……まぁ、見られてるのは分かってたけど」

「俺以外の男にもか?」

「ばっか、ちゃんと警戒してるし……ハルだけだもん、そーゆーの……マジで」

「ん。信用してる」


 あやしついでに頭を撫でると、気の抜けた返事代わりの吐息を漏らし、コロコロと喉を鳴らす。なんだか犬っぽい。


 他人からどう見られているかなど一切気にしないのが取り柄の瑞希でも、俺からの視線は機敏に感じ取っているようだ。

 やっぱりバレバレだったんだな。直近に関しては隠す気が無くなったのが何よりの原因だけど。

 


「…………いっつもさ、長瀬とくすみんのおっぱいばっか見てんじゃん。だから、ちょっとは意識してくれるかなーって……」

「で、いざとなったらコレかよ」

「う、うっせーな! あたしだって一応は女なんだよっ!」

「おう。よう知っとる。だから興奮してる。いっつも」

「…………ううううぅぅぅぅ……ッ!」


 本当に珍しい光景だ。それこそこの手の赤面は愛莉や琴音の十八番と思っていたが、瑞希も汐らしい顔が良く似合う。



「懐かしいこと思い出したわ」

「……なっ、なに……ッ?」

「ほら、シーワールドのとき。もしかしてマゾっ気あるかもって、自分で言うとったろ。確かにそうかもな。お前、案外男に振り回されるタイプだわ」

「……否定してー」

「もう無理や。諦めろ」


 ブクブクと泡を立て頬を膨らませる。

 

 彼女の理想の人間像はつまるところ、いつも自分の手を引っ張って先を歩いてくれた父親なのだ。男女や家族がどうこうという段階ではない。生涯変わることの無い金澤瑞希という人間の基盤。


 学校やフットサル部で見せる姿は演技や偽りとまではいかなくとも、多少意識してしまったり、バイアスが掛かっている。俺に好き放題されてしまう弱腰なこの姿こそが、ある意味で本当の瑞希なのかもしれない。



 とはいえ問題があるわけではない。どっちも好きなのだから。そこまで伝えるのは恥ずかしいから、ちょっと誤魔化すけど。察してくれ。



「まぁ良いんじゃねえの。瑞希のなりたい瑞希が俺にとっては本物の瑞希だし。お前にとっても」

「…………うん。まーね」

「だからこういうときくらい……俺と二人でいるときはさ。もっと弱いところとか、駄目なところとか……駄目なのはいっつもか。お前馬鹿やしな」

「んなことねーし」

「はいはい。でまぁ、アレや。無理して笑わんでもええから。俺にとっても、お前にとっても、都合の良い自分でいろよ。楽やろそっちのほうが」


 ちょっとだけ不満そうに。

 でも安心したような顔で、コクンと頷く。



「俺もそうしたい。そうして欲しい。もっと色んな瑞希を見たい……なっ、ええやろ。偶には引っ張り回される側も悪くないぜ」

「……とっくになってるよ。アホ」


 俺と瑞希の関係において、今このような時間、環境は極めて特殊な状況だ。だったらそんなときくらい、立場が逆転しても良いと思う。



 それでも、偶に不安になる?

 嫌なこと、思い出すか?

 

 なら埋めて、埋めて、食み出すくらい積み上げてやるから。どれだけお前を愛しているか、何度でも教えてやる。そして、何度でも教えて欲しい。


 お前が言い出したことだ。忘れてくれるな。


 生涯離れることの無い、唯一無二のパートナー。

 俺の人生には、金澤瑞希が必要なのだから。


 だから、応えてくれ。

 ちょっとはやり返して来いよ。



「……なんか、このまま入っちゃいそう」

「いや、それは無い。ちゃんと濡らさないと」

「……じゃあ、そうしてよ」

「ええよ。どこから触って欲しい?」

「…………ここ、とか」


 水中で掴まれた手が僅かな圧に阻まれながらも、しかし確実に近付いていく。


 なんだ、やれば出来るじゃないか。

 それでこそ瑞希だよ。


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