636. 行きます


 目がしょぼしょぼする。コンタクトを着けたまま何度も寝てしまったせいだ。日付が変わる頃には外した記憶があるけど、まだ若干痛い。


 身体がバキバキだ。分かりやすく疲労が溜まっている。早起きには自信があったのに、布団から抜け出すまでエライ時間が掛かってしまった。



「あーもうっ! 全然皺伸びないっ!」

「誰も気にせんって。リモコン壊れちゃうから」

「だめ! 絶対バレる!」


 制服をベッドの上に広げてテレビのリモコンでバンバン殴りつける愛莉。間違っても新手のストレス解消法などではない。


 調子に乗ってら馬鹿みたいに盛り上がってしまって、夜の間ずっと雑に扱ってしまったのだ。汗も付着していることだろう。これに関してはひたすら申し訳なく思う。



 お互い体力が尽きるまで繋がって、少し寝て、起きたら起きたでイチャイチャして、また興奮して、繋がって、少し寝て、繋がって。


 昨晩はずっとそんな調子だった。ちゃんと就寝したのは夜中の2時くらいだったと思う。この辺りは曖昧であまり覚えていない。


 結局熟睡は出来なくて、起きたのは6時を過ぎた頃。二人ともボロボロに疲れ切っていたのに、抱き合ったまま過ごしているとやっぱり興奮して来て。昨日から合わせて何回致したか数えるのも億劫だ。


 流石に部屋中獣臭くて堪らない。冷水で洗い流したとはいえ浴室も似たようなもの。痕跡は今も生々しく残っている。



「すっかり元気やな」

「頭から水被ればこうもなるわよ。誰かのせいで」

「文字通り冷や水を浴びたってわけやな」

「はいはい、上手い上手い!」


 シャキッとしてくれたのはあり難いけど、ついさっきまであんなに汐らしくデレデレしていたのに、なんて考えてちょっと寂しくなったりする。


 下着姿でリモコン振り回されるともう色気もなにも無いな。絵面がアホ過ぎる。あまり歓迎したくはない慣れだ。



「ホンマに痛くないんか。腰以外」

「だから、何度も言ってるでしょ。最初だけちょっと痛かったけど、あとは…………もうっ、思い出させないで!」


 ようやく納得する程度まで皺が伸びたのか、せかせかと制服を着始める。

 あまりにも妖艶で、それでいて妙にアホくさい光景で。目を離せなかった。



「……ていうか、私よりハルトのほうがよっぽどヤバいから。ホントに。詳しくないけど、一回出したら復活するまで時間掛かるものじゃないの?」

「お前から掘り返しとるやんけ」

「うるさいわねっ…………こういう話、学校では絶対にしないからね。アンタも気を付けて」

「人にペラペラ話すほどモラル欠落してねえよ」


 デリケートな情報だ。恐らく比奈と瑞希、ノノ辺りが興味津々に聞いて来るだろうが、答えるつもりは無い。何かとカッコつけたがりの愛莉が一番嫌うことだろうし。


 俺だって好き好んで誰かに喋ったりしたくない。一晩で何回出来たとか、自慢する相手もいない。そんなことでマウント取っても意味が無い。



 ……とはいえ、我ながら驚いたものだ。一人で致すなら精々一回二回で満足していたというのに。相手がいると気合が入るタイプなのか。


 途中からは愛莉の意識も無いのに……やめよう、これ以上の思考は毒だ。俺も切り替えないと。



「……でも、そのっ……二人でいるときは、別に、良いから。みんなの前では嫌だっていう、それだけだから」

「えっ。おん」

「いっつもわたしに我慢するなって言ってるけど……ハルトも一緒だから。ちゃんとそういうときになったら、我慢しなくて良いから……」


 ボタンを締めながらそんなことを言う。

 下手くそな澄まし顔で、誤魔化せたつもりか。



「ヤるときは遠慮しないでがっつりヤれと?」

「ちょっ……!? わ、わざわざ濁して言ったんだから、説明すんなっ!」

「心配しなくても、愛莉がどういう責められ方が好きなのかはちゃんと覚えとるから、安心しろ。スマホにも残っとるし」

「ばかっ、消してって言ったでしょっ!?」


 大慌てでスマホを奪いに飛び付いて来る。まぁ、嘘なんだけどな。すぐ消せって散々お願いされたから、もうデータには残っていない。


 スマホを布団へ放り投げて、代わりに愛莉の身体を受け取める。小さく悲鳴を挙げたのも束の間、愛莉は大人しく胸中へ納まるのであった。



「うぅっ……また皺伸びちゃう……っ」

「愛莉。こっち見いや」

「……なに?」


 髪の毛に指を通すと、くすぐったそうに微笑む。あまりの顔の近さに鼻と鼻がくっ付いた。エスキモーキスといって、これも愛情表現の一つらしい。


 色々な手段があるけれど、辿り着く場所は。想う気持ちは同じ。愛おしくて。愛おしくて。そしてなにより、愛おしくて。



「ありがとな。愛莉」

「……なによ、いきなり」

「愛莉がはじめてで良かった。愛莉で良かった。愛莉じゃなきゃダメだった。だから、ありがとな」

「…………んっ。わたしも」

「これからもっと、もっともっと、幸せにしてやるから。だから…………ずっと一緒にいような」

「…………うんっ……!」


 軽く触れ合うだけの優しいキス。けれど、今まで交わして来たどれよりも深く、温かく、あまりに美しい。


 言葉なら欠けても良い。

 分かりやすい態度も、見栄も必要無い。


 俺たちはいま、繋がっている。

 目に見えないミサンガで固く結ばれている。



 永遠に解けることが無いように。

 これからも一緒に、強く結んでいこう。




*     *     *     *




 わざわざ改まって登校させる必要があるのか疑いたくなるくらい、終業式は簡潔に、速やかに執り行われた。


 春休みに浮かれる生徒だけでなく教師たちもどこか能天気な様子で。

 峯岸に至っては欠伸を隠そうともしていなかった。まぁ平常運転か。



 その後は各クラスへ戻り、一人ずつ成績表を受け取って即座に解散という流れである。

 二年B組の教室ともこれでお別れだ。秋になってようやく馴染めて来ただけあって、少しだけ寂しくもある。



「ハァー……クラス替えとかマジでいらねー……」

「なんやオミ。俺と離れるのがそんなに悲しいか」

「黙れリア充が、朝からイチャつきやがって! さっさと倉畑ちゃんのライン教えろ!」

「自分で聞け」


 愛莉と比奈が女子グループに捕まっているので、成績表片手に途方に暮れているオミにダル絡み。

 修学旅行で一人取り残されてしまった彼だが、いよいよ本気で比奈に狙いを定めたらしい。心の中で、ごめん。偶に中指。



「クラス替えか。三年でもあるんやな」

「残念だったな。遠距離恋愛はすぐに破綻するぜ」

「馬鹿言うな。年季がちげえんだよ」


 すっかり他の女子とも馴染んだ二人を遠巻きに眺める。比奈、今日も眼鏡なんだな。部活中以外は最近また掛けるようになった。


 そうか。愛莉と比奈がまた同じクラスになるとは限らないんだよな。

 瑞希と琴音が一緒になる可能性もゼロではないが……願わくば全員揃い踏みが望ましいが、まぁ無いだろうな。



「……良し。決めた。やらない後悔よりやって後悔するほうがってアレよ」

「おう。急にどうした」

「葛西武臣、行きます!!」


 ガバッと立ち上がり向かった先は……成績表を見比べてワイワイ騒いでいる女子の集団だ。中に愛莉と比奈もいる。


 え、待ってオミ。まさか告白しようとしてる?

 それは限りなく『逝きます』の間違いでは?



「倉畑ちゃん、ちょっと話が……!」

「あっ、いっけない! もうこんな時間! 陽翔くーん、そろそろ行こうよー」

「はい?」


 どうやらオミの声は届きもしなかったらしい。群衆を抜け出しこちらへ駆け寄って来る比奈。わざとスルーしたわけではないのが逆に。


 嗚呼、オミが真っ白に。中途半端に声掛けたからどうすれば良いのか分からなくなっちゃってる。女子に変な目で見られてる。可哀そうに。



「行くってどこに」

「もうっ、フットサル部の買い出しでしょ? 愛莉ちゃんは予定通り、他のみんなと上大塚の用品店ね。よろしく~」

「へっ? なんのはな……」

「じゃあねえみんなー、ばいばーい♪」


 無理やり腕を引っ張られ教室から連れ出される。もう帰る直前で荷物は持っていたから別に良いんだけど、いや、そうじゃなくて。



「待て待て待て待て。なんや買い出しって、初めて聞いたぞ」

「うん。だって言ってないもん。ていうか、嘘」

「……そんなことだろうとは思ったけど」


 そのままグングン校舎を下って行って、あっという間に正門前へ。ちょうどいいタイミングでスクールバスが来た。


 なんだ、なにをしようというのだ。二人の時間が欲しかったのかは分からないが、比奈にしては随分と強引な手段を取ったな。



「すんすんっ……んー、やっぱり匂うなあ」

「え、ちょ、比奈?」

「ちゃんと家出る前にシャワー浴びた? 愛莉ちゃんもだけど、すっごい匂って来るよ。みんなにバレてないかドキドキしちゃった」


 鼻を広げて制服の匂いを嗅ぐ比奈。

 まさか……全部バレてる?



「瑞希ちゃんから聞いたの。明日なんだってね」

「えっ……そ、それが?」

「だったらその前に済ませちゃおっかなって。今日の愛莉ちゃん見てたら居ても立っても居られなくって……偶にはワガママ、聞いて欲しいなっ」


 妖魔みたいな顔でニコリと微笑む。バスが停車した。どうやらこのまま天国へ連れて行かれるようだ。或いは最高の地獄と言ったところか。


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