616. 虫唾が走る


 可愛らしい見てくれから期待に漏れず、栗宮は随分と甲高い特徴的な声をしていた。が、その中身たるや壮絶なモノ。第三者の介入に常盤森の女性選手たちもギョッとしている。


 そんな彼女たちを退け、栗宮はゆっくりとこちらへ歩み寄る。俺の背後へ隠れた愛莉を覗き込み、ポツリと一言。



「長瀬愛莉……」

「ほ、ほぇ……っ!?」

「相変わらずの爆乳ぶり……身体もガッチリしている。良いケツだ……ッ」

「ひいいいいっ!?」


 感情ゼロの平淡な声色でいきなり愛莉のお尻をまさぐり始める。素っ頓狂な声を挙げた愛莉の反応を一通り楽しみ、栗宮は顔をガバッと上げた。



「…………廣瀬陽翔、だな」

「おお……? よう知っとんな」

「意外や意外、こんなところで会うとは……もっとしっかりメイクして来れば良かった。ぬかったぜ」

「ハ、ハァ……?」


 やはり無表情の棒読みでそんなことを言う。何だコイツ。こんな不思議ちゃんだったの? キャラが読めないんですが?



「お前、愛莉と知り合いなのか?」

「練習試合で一度だけ……良いプレーヤーだと思っていた。ゴールへの執着心、女離れしたフィジカル……栗宮には無いものばかりだ……」


 これも以前話していた。当時の栗宮はレオーネ東京レディースというジュニアユースのチームに所属していて、一度だけ試合をしたことがあると。


 愛莉は勿論、常盤森の連中もまったく敵わずコテンパンにされたとのことだったが、栗宮は愛莉のことを覚えていたのか。それもかなり好印象で。



「山嵜高校フットサル部。今大会のダークホース……」

「えっ?」

「そう謙遜するでない、情報社会を舐めて貰っちゃあ困るぜよ……瀬谷北高校、青学館高校に連勝、女性中心ながら流動的なパスワークと質の高い個人技で二校を圧倒した……その中心は、元セレゾン大阪の金の卵、和製ロベルト・バッジョ、天才レフティー廣瀬陽翔……ッ」


 なにこの子メッチャ詳しい。

 あと全然キャラ掴めない。



「既に映像は拝見したのである。日比野栞、奴も中々のくせ者……だが長瀬愛莉。貴様のストライカーとしての素質、我が栗宮の地位を揺るがす脅威となり得る存在じゃけえ……」

「せめて語尾は統一せえや」

「……模索中なのだぴょん」

「あ、ハイ。そっすか」


 どうしよう。絶妙に会話が成り立ってない。


 な、なるほど。日比野を介して俺たちの実力を既にチェックしているのか。通りで詳しいわけだ。


 いやでも、世代ナンバーワンプレーヤーがここまで俺たちのことを調べ上げているなんて、誰が想像しただろうか。

 まだ一度も公式戦に出たことの無い無名チームだというのに、そこまでさせる動機はいったい。



「栗宮は最強のフットボーラーなのだぴょん……サッカーでもフットサルでも、圧倒的でなければならないのだわん。夏の大会が終われば、今度はビーチサッカーなのだにゃん」

「お、おう……素晴らしい目標やな……」

「廣瀬陽翔。長瀬愛莉。この栗宮が認めしフットボーラーを、自らの手で叩きのめす必要があるのじゃ……お前たちは所詮、栗宮が栄光を掴む過程における踏み台でしか無いのですわ……」

「う、うん……?」

「混合大会に出場する予定とは、巡りあわせもあったものでやんす。貴様らを叩きのめし、男女問わず世代最強のフットボーラーとして君臨する……それが栗宮に課せられた今世の使命でザマス……」

「……うん……」

「ちなみに来世は海賊王になる予定だ……」


 もう着いてけない。

 誰かこの子を止めて。


 と、栗宮は唖然とした様子で事態を見守る常盤森の女性選手たちのもとへ振り返り、ツカツカと早足で歩み寄る。



「な、なんだよ……!?」

「調子に乗るなブス共め……三人寄れば文殊の知恵とは言うが、ブスが三人集まったとて多勢に無勢……栗宮の美貌と実力には叶わないのだよ……」

「は、はぁああ!?」

「練習では得点王……フッ、練習で結果を残せない人間がどうして試合で結果を残せるというのか……傲慢、傲慢、転じて傲慢、輪に掛けて傲慢……ッ! 虫さんが走る……!」


 虫唾が走る、ね。

 一応シリアスな状況だろ。笑わせんな。



「さっきから黙って聞いとけば……! あたしたちより長瀬のほうが凄いとか言うわけ!?」

「そんなことも分からないから常盤森止まりなのだ、貴様たちは……Bチームに善戦する程度で調子に乗りよって、思い上がりも甚だしい……」

「びっ、Bチーム!?」

「Aチームは春期休暇を利用しスペインへ遠征中なのだ……栗宮は飛行機が大嫌いだから日本へ残ったに過ぎぬ……!」


 え、さっき試合していたの、Bチームなのかよ。驚いている常盤森の選手たちはみんな背番号も若いし、この反応から見るにトップチームだよな?



「あの町田南に善戦した、自分たちも強いじゃないか……馬鹿みたいに喜びその気になっていた貴様たちはとんだお笑いだったぜ……!」


 どこかで聞いたことのある演説だ。

 腰に手を当てハッハッハと高笑い。真顔で。


 町田南、予想していたよりかなり強いチームなんだな……ていうか栗宮、飛行機が苦手とかそんな理由で。世代別代表のトレーニングキャンプを断ったのもそっちが理由なんじゃ……。



「……と、いうわけで廣瀬陽翔。そして長瀬愛莉。まずは関東予選で会うとしよう。それまでに鍛錬を積み、栗宮の素晴らしさに精々怯え慄くことだ……あと、おっぱいを小さくして来い」

「そ、それはちょっと……」

「栗宮は実力だけでなく、ビジュアルさえ最高峰を目指している……貴様のおっぱいは、栗宮の魅力を半減させかねないのだ……ッ!」


 よう分からんところで熱くなる栗宮。

 身体が小っちゃいの、気にしているのか。


 愛莉をライバル視しているのは、自分に無い要素をたくさん持っているから……なのだろうか。分からん。考えても分からんわ。意味の無い考察だわ。



「さらばだ、我が栗宮のライバル。そして有象無象のブス共よ……! 栗宮は颯爽とチームメイトのもとへと戻る……見よっ、空中舞遊……ッ!」

「おらあああああ栗宮アアアア!!!! 油売ってねえでミーティングだっつっただろうがああアアアア!!!!」


 アリーナから走って来た男性顧問に首根っこを掴まれ、あっという間に連れ去られていく栗宮。お手玉状態。確かに空中舞遊かも分からぬ。


 ええ。なに。貴方、世代ナンバーワン女性プレーヤーなんでしょ。どういう扱い受けてるの。あの素性からして納得なの? つまり何がしたかったの?



 ……まぁ、いいや。取りあえず。


 だいたいのことは栗宮が代弁してくれたから、追い打ちを掛けるようなことは言わないけれど。それでも溜まったものはある。



「覚えとけ、俺らは山嵜高校フットサル部。栗宮が言った通り、瀬谷北と青学館には勝っている。勿論、エースは愛莉。俺たちの自慢のエースや」

「……あ、あの、すいません。本当にあの廣瀬陽翔なんですか……っ?」

「そっ。元U-17日本代表の廣瀬陽翔と、栗宮胡桃が認めたストライカー、長瀬愛莉擁する山嵜高校や…………舐めてっと痛み目見るぜ」


 流石にあれだけ俺の名を出されては誤魔化しも効かないだろう。これだけ怯えている辺り、名前を押し出して脅した方が効果的な筈。


 そしてもう一言。なにも長瀬愛莉という人間は、フットサル部という小さな枠組みの中だけで機能しているだけではない。


 俺たちの大切なチームメイトで、友達で。

 家族であり、最愛の恋人だ。



「もっかい愛莉のこと馬鹿にしてみろ。次はねえぞ……お前らとは女としての格が違うんだよ。その汚たねえ顔面洗って出直してこいやッ!! ブッ殺すぞッ!!」



 感情的に吠え散らかすと、常盤森の三人は顔を見合わせ逃げるようにシャワールームへ駆け込むのであった。


 はあ。良い気分。

 ざまあ見ろってんだ。



「…………ごめんな、愛莉。すぐに立ち去れば良かったのに、俺が余計な色気出したから色々言われちまって」

「……ううん。もう良いの……」


 いつの間にか涙も引いていたようで、くすぐったそうに口元を泳がせる。良かった、笑ってくれて。今後には響かないで済みそうだ。



「……ありがと、ハルト。私のために……」

「たりめえやろ。なんやねんアイツら、人の女に向かって好き放題言いやがって。常盤森では情操教育っつうもんをやっとらんのか?」

「もうっ、分かったから……」


 手を引いて体育館から連れ出す愛莉。すると、くるりとブラウンの髪を揺らめかせこちらへ振り返り。



「…………こっち、見て」

「……いや、まだ人がその辺に」

「良いから、早く……っ!」


 少しだけ背伸びをして、柔らかな唇をそっと添える。そしてガバッと胸元へ飛び込んで、甘える子猫のように色っぽい吐息を漏らした。



「大好きっ、大好きハルト……っ!」

「お、おん。程々にな……」


 うーむ。変なところでスイッチが。

 これは元に戻るまで時間が掛かりそうだ……。


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