597. ゆっくり歩くの


 つま先の痛み出すような寒さについぞ堪え目を覚ました。布団はすべて瑞希に取られている。靴下でも履いて寝れば良かったとどうでも良いことを考えているうちに、昨晩立てたゲームの件をようやく思い出す。



「なんで俺が一番やねん……」


 例に漏れず全員ぐっすり眠りこけていた。最後まで起きていた瑞希とルビー、自信を見せていたノノも一向に起きる気配が無い。


 相変わらず愛莉と琴音は凄まじい寝相だな……二人して有希をおっぱいで板挟みにしている。

 何故その状態で浴衣から中身が零れ落ちないのか理解に苦しむ。なにか特別な因果によって阻まれているに違いない。



「ううぉっ、ビックリした……!?」


 布団から抜け出そうと思ったら、反対側に真琴がくっ付いていた。お前、昨日は一番遠いところで寝た筈じゃ。途中で移動して来たのだろうか。


 何だかんだで真琴の寝顔を見るの初めてだな……姉とはまた違ったタイプの寝相の悪さだ。涎で浴衣がビチャビチャ。


 先日あんなことがあったばかりだというのに、コイツもコイツで警戒心薄いんだよなぁ……気にしてないとは言っていたけれど、どこまで本気なのやら。まぁでも、この様子を見るに本心なんだろうな。分からん。女心は。



 珍しく無防備な真琴と苦しそうに寝息を立てる有希の寝顔、二枚ほどスマホでシャッターに収めて、一旦女子部屋を後にする。


 誰かが起きて来る前に身支度を済ませた方が効率的だろう。この調子じゃ朝ご飯の時間まで一番手は分からないだろうし、こちら側だけでも準備は進めておきたい。


 エレベーターへ乗り男子部屋へ。三人ともまだ眠ったままだ。あとでコイツらにどう事情を話すべきか。話さなくて良いならそうしたいけど。



「……ん?」


 壮大に違和感。


 俺の荷物、こんなに綺麗に整頓されていたっけ。結構雑に放置していた気がするんだけど。

 というか、今日着る分の着替えが一式畳まれて布団の上に置いてある。勿論やったのは俺じゃない。誰の仕業だ。


 まぁ良い。取りあえず二日目の装いはこれで良いとして、身支度をさっさと終わらせよう。髪の毛結んだまま寝ちゃったから変な寝癖が付いてるかも……。



「おはようございまーす」

「ひィィッ!?」

「む。そのリアクションは酷いなあ」

「し、死ぬかと思ったァ……! なんでおるん!?」

「あはははっ。ごめんごめん。ほら、大きな声出すと三人が起きちゃうよ?」


 洗面所の戸を開けてビックリ、比奈が待ち構えていた。右手に寝癖直しのヘアウォーター、左手に櫛。自身は支度が済んでいる辺り、俺が来るのを予期し待機していたのか。


 そう言えば比奈だけ女子部屋に姿が無かったな。朝一の回り切らない頭のせいかすっかり見落としていた。こんなところでさえ一切の隙を見せないとは、流石は倉畑比奈と言わざるを得ぬ。



「二日目の着替え、あれで正解だった?」

「……あぁ、比奈がやったのか」

「荷物も綺麗に整頓しておきました~」

「それはあり難いけど、目覚めのご挨拶はもっと心臓に優しいやつで頼むわ……」

「ほらほら、鏡のほう向いて。ちょっと屈んで」


 よく見たらそのヘアウォーター、俺のじゃねえか。整理ついでに引っ張り出したな。別に荷物の中身を見られるくらいなんてことないけど……いよいよプライバシーもなんも無いなぁ。



「慣れたモンやな」

「まぁね~。お泊りするときは琴音ちゃんの髪の毛もわたしが梳かしてるし」

「櫛を駆使してか」

「あ。それ減点」

「なんのだよ」


 歯ブラシをシャコシャコ鳴らしている間に比奈は巧みな櫛使いで寝癖を落とし、手首に嵌めていたヘアゴムで纏めていく。って、結局また結ぶのかよ。



「気に入ったん?」

「うんっ。シルヴィアちゃんセンスあるよね。まぁ、カッコいい顔がハッキリ見えたらカッコいいのは当たり前だけど」

「よう言うわ」


 準備完了。昨日と同じマンバンヘアで過ごすことになってしまった。鏡を前に改めて思うが、女子の目線からはこっちのほうがよく見えるのだろうか。目つきの悪さが誇張されてまぁまぁおっかないよな……。



「じゃ、行きましょー」

「ところで今何時? そもそもアレやろ、朝飯食ってからスタートって話やったろ」

「6時前とか。午前中はわたしが独占かもね」

「ハッ。上手いことやったな」


 朝食の時間は7時半。その前の一時間と朝食後も比奈が相手というわけか。中々に賢い戦略を立てて来たな。らしいと言えばらしい。



 当たり前のように手を繋いで二階のロビーまで降りて、そのままホテルの外へ飛び出す。三月上旬とは言え流石に冷え込むな。


 昨日はウェアを着込んで暑苦しいくらいだったけど、普段着で出歩くにはちょっと厳しいものがある。厚手のコートを持ってきて良かった。

 揃って似たような装いに身を包み、坂道を下ってホテルの目の前にある湖の近くまでやって来る。



「とはいえこんなに朝早いと店も開いとらんし、どうするつもりや」

「朝のお散歩ってところかな」

「老夫婦か」

「あぁ~、良いねえそういうの。おっきい犬とか飼って川沿いをお散歩とか、憧れるよね」

「膨らませておいて悪いけどそんな考えてへんわ」


 目的も無しに湖の周りを一周してみることにした。当然ながら水は凍っていて、その気になれば上を歩けそうだ。

 というか、既に人がいるな。氷に穴を開けて竿を垂らしている。なにを釣っているのだろう。



「ワカサギだよ。よく釣れるんだって」

「ほーん……久しくやってねえな」

「あるんだ、やったこと」

「大場が昔っから趣味でな。練習日勘違いして舞洲行っちまって、島一周走って帰ろう思うたら海沿いにおってな。気晴らしに付き合ってん」

「でもハマらなかったんだ」

「二時間粘って一匹も釣れへんと、竿放り投げてそのまま帰った」

「えー、かわいそー」


 具体的にいつだったかも覚えてないけど、世良家に誘われて似たようなことをやった。確か文香のお父さんの趣味だった筈だ。

 アウトドア派の人で、幼稚園の頃は色んなところへ連れて行って貰ったな。どれもこれも楽しめた記憶が無いけど。


 大場も文香のお父さんも同じようなことを言っていた。偶にはなにも考えずゆっくり時間が過ぎるのを待つのも悪くないと。


 でもあの頃の俺には、やっぱり届いてなかったんだろうな。一分一秒さえ惜しく感じて、生き急ぐだけ生き急いで。それでいてまるで実りの無い日々だった。



「ちょうどええ距離やな。走りたくなって来たわ」

「だーめ。ゆっくり歩くの」

「身体鈍っとんねん。言うてもう春休みやし、青学館との練習試合も近いしな」

「それ、三月の最後のほうでしょ? ダメだよ、こういうときは全部忘れてのんびりしないと。それともわたしとお喋りするのつまらない?」

「まさか。熱中して日が暮れちまうわ」

「嬉しいことを言うではないか~」


 満面の笑みを浮かべ腕を絡めて来る。それなりに負荷を掛けられるので歩きにくいったらないが、比奈が満足なら良いことだ。


 なんというか、俺が急ぎそうになるとこうして比奈がひょっこり現れて、上手いことを気持ちを静めてくれるんだよな。


 それでいて大事なところはしっかりリードしてくれて、ここぞという場面で強い意志を見せる。離れられるわけないよな、こんな奴と。



「今日はどうなるんだろうね。愛莉ちゃんと琴音ちゃんは午後からスパートって感じかな?」

「今更やけど、アイツらにはちょっと不利な条件だったかも分からんな。二人とも探し物も下手そうやし」

「良いんじゃない? 昨日は琴音ちゃんがほとんど独占してたし、バランス取れてるんじゃないかな。それに愛莉ちゃんも……」

「……愛莉も?」

「ねえねえ。月曜日の話、聞いても良い?」


 ……期待と興味の入り混じった、朝方にはなんとも似合わない高揚感溢れる表情だ。やっぱり瑞希だけでなく全員に知れ渡っていたか。



「……まぁ、歩きながら話すわ」

「わーい。知りたい知りたい」

「楽しい話でもないで」

「良いの良いの。その時は陽翔くんがワカサギの餌になるだけだから」

「あんな小っちゃい魚に食われるん?」

「角質だけ上手に取れちゃうかも?」

「ドクターフィッシュかよ」


 眠気覚ましにはちょっと刺激的過ぎるが、比奈が相手では仕方なかった。安心と興奮が交互に襲い来るこの感覚、出来ることならなるべく長く味わいたい。


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