586. 法廷で争う覚悟がある


 子ども向けの気晴らしと高を括っていたが、頂上に立ってみると意外に傾斜はキツいし距離も長い。大惨事のトラウマが蘇る。


 到着地点で比奈がカメラを構え手を振っている。何を考えているのか、琴音はそんな彼女を真顔のまま黙々と見下ろしていた。どうした。ついに感情を失ったのか。



「高い、ですね」

「まぁまぁやな」

「……怖くないんですか?」

「事故っても横にマットみたいなんあるし、怪我するこた無いやろ…………え、高いとこ苦手?」

「速いのが苦手です」

「あぁ、そういう……」


 よく見たら鼻先がプルプル震えている。妙に顔が青ざめているのも寒さが原因ではないだろう。


 意外な新発見だ。いや、意外ではないか。むしろ琴音らしいまである。期待に応える女だお前は。いつどんなときも。


 そういやユニバでも絶叫系のアトラクションで死にそうになっていたっけ。

 流石にあれほどのスピードは出ないだろうが……いやでも、子どもたちも結構な速さで滑っていくな。ここに来て思い出してしまったか。



「乗り物全般ダメってわけちゃうやろ」

「速く移動するものは好みません。外の景色を見るだけでも気分を害します」

「なら提案された時点で断れや」

「克服したい気持ちはあるのです。今のままでは何かと不都合が多過ぎます」

「いやそんな、ソリ遊びの是非程度で固い意志を貫かなくても」

「比奈は私が苦手なのを知っていてわざと嗾けたのです。これ以上馬鹿にされるのも癪ですので……早く乗ってください。一人で滑るのは無理です」

「どこで意地張ってんだよ……」


 ソリに乗り込んで「早く座れ」と後部座席をバンバンと叩く。お気持ちは察するに余るが、後部座席と言っても二人で座るにはそもそも狭過ぎる気が。


 ほんの数分前に距離感云々であんなに恥ずかしがっていたのに、もう忘れたというのか。

 お前、本当に秀才キャラなの? 神の見えざる手によって変なところでバランス取らされてない?



「も、もっと後ろに寄ってください。狭いです」

「これ以上は無理やって」

「無理も通れば道理になるんですっ」

「それっぽく言うけど使い方間違ってない?」


 結局また後ろから抱き抱えちゃうし。なに顔赤くしてるんだよ。今更恥ずかしがったって遅いんだよ。もっと早く気付けよ事態の深刻さに。



 スタート位置が悪かったのか、二人分の体重が乗ったソリは中々前へ進んでくれない。

 あとからやって来た子どもたちが次々と俺たちを追い抜かしていく。


 それどころか、到着地点で待ち構えている比奈をはじめ親御さんたちが俺たちを見てクスクス笑っている。

 出来の悪いカップルが下手にイチャついているも同然の状況なわけで、居心地の悪さは否めず。



「……進まないですね」

「琴音が前に体重掛けとるからやろ。もっとくっ付けば重心がズレて……」

「既に最大限譲歩しています……っ!」

「ならもっと痩せろって話や」

「なっ……!? じっ、女性に対して、その言い草はなんですかっ! 即時撤回してください! それとも法廷で争う覚悟があると!?」

「ごめんごめんごめんごめん」


 珍しく感情的に怒鳴るものだから、慌てて首を垂れ取り繕うばかり。気にしてるのかな、体重。いくらなんでもデリカシー無さ過ぎか。反省。



(やっぱこうなるんだよなぁ……)


 どうして琴音が相手だと、こうも適当な扱いになってしまうのだろう。女の子というより飼い猫とじゃれるような感覚になってしまう。


 思い返せば、先日のセクハラ未遂や家出騒動の諸々に関するやり取りは、俺たち二人にしては珍しい類のエピソードなんだよな。他の連中と違って中々流れに傾かない。


 俺個人の感情、或いは接し方においては前からずっと変わらないのだけれど。となると問題は、引っ掛かっているのはやはり琴音のほうなのだろうか。



 気付いていないわけじゃないだろ。俺がお前をどんな目で見ているか、どう想っているか。知らない筈無いよな。愛莉にもお墨付き貰ったし。


 自分から動くのも大切だけど。お前に限ってはもう少し聞く側に、受け身に徹してみても良いような気はする。なんとなく。


 まぁでも、きっかけは俺が作るか。

 一番ズルくて賢い抜け道を探そう。



「なあ琴音。俺たちってまだ、偽装カップルの関係続いてんのかな」

「……はい?」

「家出したとき、そういうことになったやろ。というか、少なくとも香苗さんは信じてるし」

「…………急になんですか」

「ええから、お前はどう思っとんねん」

「……決まっています。その場凌ぎの嘘でしかありません。貴方が言ったんです、一日だけだと」


 平坦な声色がほんの少しだけ上擦ったのを、俺は聞き逃さなかった。

 一瞬たりとも見落としてはいけないと、そう思った。これが彼女の出来る最大限のアピールで、精一杯の勇気だと。やはり知っていた。



「なら不思議な話だよな。お前も言うとったろ。こんな恋人みたいなことを毎日当たり前のようにやって、気付かなかった自分が馬鹿らしいって」

「……言いましたね。そんなことも」

「あれからちっとも変ってねえじゃねえか。いくら否定したって、ずっと続いとるのはホンマやろ。お互い拒絶もしないままで」

「……そう、ですね……っ」


 少し強引に身体を抱き寄せると、抗う様子も無く素直に腕中へ納まる彼女。

 コースのド真ん中、ソリに跨った状態で、いったいをなにをしているのやら。


 滑るならさっさと滑って、下へ降りれば良いものを。いつまでもスタートを切らず同じ場所へ留まり続けている。


 まるで二人の関係性をそのまま表したみたいで、もどかしい。なんて、思っているのは俺だけなのか。そこも含めて、ちゃんと聞かせて欲しい。



「……これでも、努力はしているんです。私なりに。貴方には、そうは見えないのかもしれませんが」

「んなことは……まぁ、アレやけどな。不満があるのは重々承知の上や。最近は特に」

「もう終わったことですから……貴方なりに、私のことを気に掛けてくれていると。ちゃんと分かってます。問題があるのは、いつだって私のほうです」

「一方のせいってわけでもねえけどな」

「あくまで私自身の捉え方ですから」


 下手に出ても良いことは無さそうだ。黙って受け入れよう。言い足りないことは山ほどあるみたいだから。



「つまらないプライドです。とっくに克服したつもりだったのに、いつも肝心なところで邪魔をするのです。それをらしさのうちと認めてしまう、軟弱で意志の弱い自分も……本当に、うんざりします」


「なのに私は、貴方に期待を寄せる一方で、自分からは動こうとしなくて……見返りを求めているわけでもなしに、勝手に裏切られた気になって……」


「……見ていて欲しいだなんて、口癖のように甘えて。そんな自分は目を背けてばかりで。こんな私になったのは貴方のせいだと、責任を押し付けて、また過ちに気付いて。その繰り返しばかりで……」



 言われてみれば、最近聞かなくなったな。確かによく言っていた。

 私のことも気にして欲しい、見ていて欲しいって。照れ隠しでもなく、結構真剣な顔をして。


 でも、それは甘えに過ぎない。自分勝手な押し付け。他の面々との折り合いやバレンタインのアクシデントを顧みて、それでは不十分だと、彼女は結論付けた。筈だった、けど。



「……今の状況に不満があるわけではありません。貴方から貰ったものは、私にはあまりに重たくて。でも、同じくらい心地良くて……他に何もいらなかったんです。十分過ぎるくらいだったのに」


「……欲を張っているのでしょうか。それだけでは満足出来ない、何かが埋まらないような気もしています。これが正しい葛藤であるか否かさえ、最近は分からなくなって来ました」



 やっぱり物足りない。本当に欲しいもの。望んでいる姿を見失いそうになって、どうするべきか分からなくなっている。


 あと一歩。背中を押してくれるきっかけが、どうしても必要で。そしてそれは、自分一人の力では及ばなくて。



「じゃ、一緒に考えてみるか。俺も最近、色々と思うところもあってさ」

「……陽翔さんも、ですか?」

「時期が来たんだよ。俺も琴音も。みんなもな。だから……まぁ、アレコレ難しいこと考えるのはやめようぜ。理屈抜きで、一歩進んでみようって話」

「……それこそ一番苦手です」

「奇遇やな。俺も苦手。ならお互い恥掻いて、指差して笑い合って、それで終わりや。で、また一から始めんだよ。ちょうどええ塩梅やろ」

「……相変わらず要領を得ない話し方ですね。そんな調子だから皆さん勘違いするのです。反省してください」

「ホンマにな」


 だったら、しっかりと伝えるだけだ。

 俺だけ張り切っても意味無いけど。だろ、琴音。



「そろそろ行こうぜ。比奈が待ち草臥れちまう」

「……怖い、です」

「絶対に離さねえし、ちゃんと守ってやるから、安心しろ。怪我なんてさせるかよ……無理せんでええ。黙って可愛がられてろ。ええな」

「なっ、なんですかそれは……っ!」

「ほらっ、行くぞ!」

「ひゃっ!?」


 今一度その身体を強く引き寄せ、ほとんど寝そべるような格好でソリを滑らせる。これまでの停滞が嘘のように、勢いよく坂を下り始めた。


 どんどんスピードが増して、その度に彼女はらしくない悲鳴を飛ばして。やがてコントロールを失い、次第にコースの外れへと進んでいって。



「あー! 二頭身ねこが~~!」


 作ったばかりの雪だるまに激突してしまった。ちょっと下品なくらいにケラケラ笑いながら比奈がシャッターを切っている。


 頭から思いっきり雪を被って、俺も琴音も真っ白になった。

 でもそれだけだ。ぶつかる前に向きを変えたから、当たったのは俺の背中だし。そりゃまぁ多少は痛いけど、これくらいどうってことは無い。


 言っただろ。ちゃんと守るって。



「なっ? 痛くも怖くもないだろ?」

「……鼻に雪が付いてます」

「え、どこ?」

「そっちじゃないです。逆です」

「取れた?」

「取れてません……もう、なにやってるんですか」


 手袋を外して汚れを払ってくれる。

 なんだ。随分と楽しそうじゃねえか。



「まったく、帽子も雪塗れです。これでは防寒具の役目を果たせません」

「なら俺の着けるか」

「このままで結構です……貴方の変な顔と髪型が、よく見えますから」

「なんだとこの野郎」

「冗談、ですっ」


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