584. 陽翔くんを食べたい
「ホンっっトすいませんでした……ッ!」
「いやもうええって……」
奇跡的に深く積もったコースの外れへ不時着したこともあり、頭を打ったり脚を痛めたりという致命傷は免れる形となった。
とはいえ中々に派手な事故だったので、レストランの地下に併設された休憩室で大事を取って横になっている。
慌てて飛んで来た峯岸に割かし本気で怒られてしまったが、これといって外傷は見当たらず呂律も回っているため、医者の類は不要とのこと。宙で外れたボードが誰かを傷付けることも無かった。
「誰にも迷惑掛けとらんし、馬鹿話で済んでんねん。それよりアイツらをほったらかしにするなよ。今頃困っとるやろ」
「そ、そうは言いますが……っ」
「なら向こう戻ったらメシでも奢ってくれ。治療費ってことでええから」
「……本当に大丈夫なんですよね?」
「心配性やな。身体だけは頑丈やねん」
「……じゃあ、このくらいにしておきます」
一応にも原因を作った張本人ではあるので、ノノの珍しい真面目トーンの謝罪も一旦引き受けるとしよう。
こんなしょうもないことを理由にノノらしさが損なわれても困る。
それでも引き摺るというのであれば、向こうへ帰ったら一緒にCTスキャンでも受けに行こう。逆に何かしらの欠陥が見つかるかも分からん。
「本当にどこも痛くないの? 頭打ってない? わたしのこと覚えてる?」
「覚えてるって」
「待ってひーにゃん。ハルにしては返しが面白くない。記憶喪失だ」
「こんなところでボケへんわ」
今の今まで笑いっぱなしでまったく危機感の無い瑞希は別に良いとして、比奈が妙に落ち着かない。
見方によっては嗾けたようなものだから、責任を感じているのだろうか。俺が暴走しただけで彼女にはなんの落ち度も無いというのに、これはこれで申し訳ない。
「瑞希。谷口と奥野さんに、なんの問題も無いから気にするなって伝えてくれ。そのまま適当に滑ってろよ」
「え、良いの?」
「なにが」
「タニーと一緒で嫌じゃない?」
「今更四の五の言わねえよ。その……信用してっから。頼んだぜ」
「……ん。おっけ」
いつまでも俺の看病をしていてはせっかくの修学旅行が勿体ない。
本音を言えば瑞希は勿論、全員揃って誰も目も届かない場所へ連れ出したいところだけど。
俺の相手だけしていろなんて、それこそただの束縛だ。機会は限られているのだから、可能な限り楽しんで貰わないと。
「じゃあ市川も一緒に連れてくね。ついでに三人とも合流するわ」
「おー。行って来い……ノノ、いつまでしょぼくれてんだよ。次逢ったとき気まずそうな顔してみろ、引ん剥いてブチ犯してやる」
「何故そうなるのかは分かりませんが、ノノも場所とムードは気にするので、頑張って早めに立ち直るとします」
「そうしておけ」
困り顔のノノを引き連れて休憩室を後にする瑞希。まぁノノはノノだ。次に顔を合わせたらもう忘れているだろう。そうであれ。これ以上重い話にするな。茶番でしか無いんだよこんなの。
そんなわけで比奈と二人きりになる。
この休憩室は宿無しの日帰りで遊びに来た人々の簡易宿泊施設も兼ねているようだから、昼過ぎのこの時間は俺たちを除いて誰もいない。
荷物が残っているから、もしかしたら誰か戻ってくるかもしれないけれど。そのときはそのときだ。見られて困るようなことをするわけでもないし。
「……ごめんね、陽翔くん。わたしが意地張らなかったらこんなことには……」
「何回謝るんだよ。そもそも俺が無理して着いて行ったのが原因やろ。怪我したら活動にも影響出るってのに、なんの頭も回らんかった俺の責任や」
「でも、優しくなかった」
「それもこっちの台詞や。せっかく比奈が色々教えてくれてたのに、適当に返しちまった。お前はなんも悪くねえよ」
「…………うんっ……」
もう何十回と繰り返した問答だが、彼女の表情は一向に冴えないまま。これは困った。思っていたより深刻に捉えられてしまった。
改めて説明し直すのも馬鹿らしい。谷口への嫉妬と、自分の下手さ加減に対する焦燥感がゴチャゴチャになって、結果ああなったわけだ。
比奈を不機嫌にさせた件も、俺が彼女の優しさをぞんざいに扱ってしまったことが起因である。
「だめだめだよね。わたし。冷静ぶってる癖して、肝心なところで慌てて、勝手に空回りして……そういうの、もう卒業したつもりだったのに」
「それも含めてらしさみたいなモンやろ」
「で、でもっ……」
「気にし過ぎやって。お互いちょっと調子に乗っただけや。なんなら嬉しいくらいやったけどな」
「……嬉しい?」
「それだけ瑞希に嫉妬したってことやろ。ホンマ俺が言えた口ちゃうけど……もっとワガママに振る舞えよ。二人きりのときやなくても」
なにかと他人を立てがちというか、一歩引いた位置から俯瞰して状況を見渡せるのが比奈の良いところで、逆に言えば悪いところでもある。
彼女が二人だけのタイミングを見計らって俺に接近して来るのは、溢れ出る独占欲と本質的に持ち合わせる優しさ、気遣いの折衷案みたいなもので。
故に休憩室で二人きりというこの状況は、彼女の根っこの部分をより明確に捉えるにおいてあまり適した環境とは言えない。
けれど、出来ることはある筈だ。
彼女との関係、距離感も。
これを機に変わっていく気がする。
いや、変えていかなければならない。
「こないださ。俺らと瑞希で、その、色々あったやろ。結局なぁなぁになっちまったけど……すっげえ嬉しかったんだよ」
「……でもわたし、途中で怖がっちゃった」
「それはええねん。俺がいきなり言い始めたから。ほら、自分が最初って、瑞希に啖呵切ったやろ。あのくらいがちょうど良いんだよ」
「……そう、なのかな?」
俺たちの関係を一歩進めるきっかけを作ってくれたのは、他でもない彼女だった。それに伴って悩み事も苦労も沢山増えたけれど。
でも、あのとき比奈が勇気を出してくれたおかげで。俺たちは望むべき方向へ進むことが出来た。その事実だけが残り、すべてが転がり始めている。
あの頃の気持ちを思い出せ、なんて上からなことは言えないけれど。
まぁアレだ。最近ちょっと弛んで来ているのは本当かも。
「比奈。こっち見いや」
「……なあに?」
「あんまり熱中されても困るけどな。誰も見てへんし、チャンスやろ」
「チャンス? なんの?」
「例えば、俺はいま手を握られて、凄くドキドキしているわけですが」
文化祭で突き付けられた思わせぶりなフレーズをそっくりそのまま返すことになった。ただ一つ変わったことがあるとすれば。
「……ズルい。今そんなこと言うの」
「なにがだよ」
「我慢出来なくなっちゃうもん……」
「それはやせ我慢っちゅうやつやな」
「……むう。いじわる」
そんなことを言いつつ顔はどんどん近付いて来て、あっという間に距離は埋まってしまった。どんな言葉よりも強力な魔力を伴う、少し野暮ったいほどに熱気の籠った交配。
屋外で流れているBGMが寒風に乗って隙間から零れて来て、なんだか悪いことをしているような気分になる。奥底から競り上がる無性の背徳感は、彼女だけの特別な感情だった。
「ここから先は、また今度な」
「……それって……」
「でも、線引きはさせてくれ。これ以上お前を蔑ろにしたくない。だから、俺も考える。これから比奈とどういう関係になりたいのか」
「……わたしと、陽翔くんの、関係?」
「その場凌ぎの、適当な設定でもええ。比奈も考えて欲しい。そしたらさ、こんな風に些細なことで悩んだり、ぶつかったりすることも無くなるんじゃないかって……まぁ、全部が全部上手く行くわけじゃねえだろうけど」
愛莉と同様、比奈も似たような葛藤を抱えている。互いに想い合う一方、少なくとも恋人とではない俺に対してどこまで欲を出して良いものか、判断材料に欠けている。
無論、みんながみんな答えを求めているわけではない。瑞希に至ってはそんな段階とうに通り越していると思うし、琴音はまだ幾つかの順序を残している。俺と比奈だからこそ、必要な過程なんだ。
「……ハロウィンのときはあんなに拘ってたのに、すっかり別人だね。でも、そっか。あのときも我慢してたんだもんね」
「お前が魅力的過ぎるのが悪いんだよ」
「もう、上手いこと言って……じゃあ、わたしも覚悟決めないとだね。陽翔くんに振り回されるのも悪くないけど、やっぱり手綱はわたしが握りたいな」
「それは知らんけど……」
なんとか元気は取り戻してくれたようだ。あまり調子付かせると、それはそれでまた違った悩みが出て来そうで恐ろしいところだが。
構いやしない。俺だってそんな未来を望んでいるし、彼女が彼女らしくある世界が、俺たちにとって最良の筈だから。
戸が開き見知らぬ観光客が現れた。荷物を置きっぱなしにしていた誰かだろう。これ以上ここに留まっていても仕方ないな。
良い頃合いだ。そろそろ外へ戻ろう。
大事を取っていただけだし。色んな意味で。
「お腹空いちゃった。お昼食べよっか」
「ええよ。なに食べる?」
「陽翔くん」
「は?」
「陽翔くんを食べたい」
……………………
「もう、冗談だってば」
「こっわ……」
「んふふっ♪」
久しぶりに見たな。こんな悪戯な笑顔。
やはり放っておくとコイツが一番怖い……。
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