581. 重くて大変だ
山頂までは二本のロープウェイを乗り継ぐ形で、中継地点のゲレンデで峯岸とハンチョウが初心者を集めて簡単にレクチャーをするようだ。
湾岸の倉庫みたいな建物があって、そこからゴンドラに乗るらしい。山嵜の生徒を除けば人の数はそれほど多くもなく、すぐに乗ることが出来た。
狭いとも広いとも評し切れぬゴンドラにそれぞれ機材を持った20人超がすし詰め状態、重たい恰好も相まって非常に暑苦しい。
「ぐぇぇぇぇ狭いィィー……っ!」
「そりゃ不味い、これ以上瑞希がペチャンコになったらエライこっちゃ」
「お前あとで覚えてろォォ……ッ!」
ゴンドラ内の端まで追いやられてしまった。ただでさえ薄っぺらい瑞希は壁と後方からの圧力に挟まれ苦しそうに藻掻いている。
「うわーん瑞希ちゃん助けて~四つのおっぱいに挟まれて死んじゃうよ~」
「なんですとおおおおオオオオ!?」
「アホ暴れんなッ!!」
「ちょっと比奈ちゃんっ!?」
愛莉と琴音のおっぱいを鷲掴みしてヘラヘラ笑う比奈であった。クソ、ここぞとばかりに女子の特権を。俺も混ぜろ。
のっそり動き出したゴンドラ、中継地点までは五分ほど掛かるようだ。アナウンスによるスキー場や地域の説明が施されている。誰も聞いちゃいない。
木に濃い霧のようなものが張り付いて幾つも集まり、さながら自然で出来たオブジェ。蔵王名物の樹氷というやつらしい。
ロープウェイから見下ろす分には中々に壮観な景色だが、つまり木の枝に雪が貼り付いてるんだろ。そんなに珍しいものかね。
「スペインでスノボとか出来んの?」
「ピレネー山脈にはスキー場いっぱいあるよ。バレンシアはあったかいから、最低でもカタルーニャのほうまで行かないとな」
「ふーん……それで経験あるんやな」
「パパとレリダまで行ったことあるよ。ほんとに小っちゃい頃だけど……おーっ! 見てみてハル! めっちゃきれい! やば!」
無数のボードで小綺麗に舗装された純白のコースが、太陽の光に当てられてキラキラと輝いている。宝石でも埋まっているかのようだ。
幼少期の美しい思い出が蘇るのか、瑞希はどこかうっとりした瞳で目下のゲレンデを眺めていた。
真っ白な頬がゴンドラ内の人込みでほんのりと赤く染まり、一面を照らす太陽のように光眩しい。
「……なに? なんか付いてる?」
「いや。可愛いなって」
「なっ……ちょ、いきなりそういうこと言うのやめろ! 照れるわっ!」
「んだよ。ええやん別に」
「うえぇぇっ……!?」
後ろから体重を乗せて右腕を回すと、いよいよ逃げ場も失ったか、抵抗する手立てもなく汐らしく身体を縮こませる。
近付き過ぎた弊害か、ゴンドラが大きく揺れた拍子に頬と頬がくっ付いてしまう。フレグランスな香りと生温い息が鼻先を突き抜けた。
「香水?」
「……ん。ちょっとだけ」
「やっぱりな。バスで匂い移っとんねん。着替えとるときテツがやったら俺の服嗅いで来てよ」
そう言えば、練習後にアイツらといて汗臭いと思ったこと一度も無いな。瑞希は特に良い匂いを漂わせている気がする。あれは香水の匂いだったのか。
「あれでしょ? プロの選手って香水ベチャベチャに掛けて試合するんでしょ? ハルも使ってたの?」
「ほんの一時期な。でもすぐ辞めた。自分の家まで臭くなって堪らん」
「ハルは良いよ。そのまんまで」
「でも気になるやろ男の汗って」
「……ハルの匂いなら、べつに気になんない。逆に良いまである」
「あ、そう」
ようやく普段のペースを取り戻したのか、ニヤニヤ口元をゆすぎながら頬ずりしてくる。あんまりにも嬉しそうなもので注意する気にもなれない。
「なんかね。ハルにギュってされてると、すっごい安心するんだ。あたし、匂いフェチなのかな? 気にしたことなかったけど」
「偶におるよな。おっさん臭いのが好きだって奴」
「むっ。そーゆーのじゃねーし」
「ホンマか? パパ活の成果じゃねえよな?」
「ばか、嘘でもやめろし……ハルが特別なだけだもん」
ちょっとだけ不機嫌混じりにわき腹を小突かれ、流石に言い過ぎたと反省する間もなかった。ただでさえ近い顔が更に近付き、唇が軽く重なり合う。
四つ隅に追いやられてはそれを見つけ咎める者も居ない。喧騒溢れるゴンドラで僅か一瞬だけ見つかった、二人だけの空間。デッドスペース。
「…………バレてないかな?」
「誰にも見えねえよ」
「……じゃ、もっかい」
残る三人は勿論のこと、他の生徒や同乗する峯岸らにバレたら相当面倒なことになると、当然分かってはいたけれど。
こうも嬉しそうな顔をされては、互いの溢れ出る感情を無碍に扱うにも無理な相談であった。軽く触れ合うだけのつもりが熱量は増していく。
「おっと……!」
ゴンドラが派手に揺れバランスを失う。
おいたはここまでか。
「……おい、よだれ垂れてるぞ」
「ふぇっ……あ、うんっ」
自分でも気付いていなかったようで、慌てて袖で涎をゴシゴシ拭き取る。
流石の瑞希でも人前では恥ずかしかったのか、いじらしくそっぽを向いてしまった。
「なんか、ちょっと変わったね。ハル」
「らしいな」
「別にイヤじゃないけどさ……こないだもチョー発情してたし」
「それもあるし、半分は焦りやな……お前のせいでヤキモキしてんだよ」
「え、あたし? なんで?」
「……谷口と仲ええんやな」
少し気持ちが昂っていたのか、地上での決心もおざなりに冷たい声色が飛び出てしまう。だが瑞希はなんてことない顔でこのように返すのであった。
「なに? 妬いてんの?」
「……だから、そう言ってんだろ」
「やば。かわいすぎんハル」
「うるせっ……」
空いた左手で右手をギュッと掴んで、ちょっと悪戯っぽく笑う。心配性だな、といつもと変わらぬ能天気な声色で、続けてこう話した。
「まー、分かるけどね。タニー普通にイケメンだし。クラスでも結構人気あるよ」
「やっぱりそうなのか」
「あたしはタイプじゃないけどな。話合うからまぁまぁ仲は良いけど、でもそんだけだよ。あと若干馴れ馴れしいのが微妙にウザイ」
「でも話はするんだろ」
「んだよ、男と喋るのもダメとか言うわけ?」
「…………そういうわけじゃねえけど」
「やば。超束縛するじゃん」
瑞希でさえそう思うのだから、やっぱり俺って平均よりちょっと抜けてるんだろうな……これも改善しないとなぁ。まともに生活も出来ん……。
「ふーん。取られるの怖いんだ?」
「……そうだよ。文句あるか」
「ぜーんぜん? アレだよ、喋ったりするのもダメーとか、そういうのはちょっとヤバいけど。でも本気で引き離そうとかはしないでしょ?」
「時と場合による」
「あははっ。じゃーハルがDV野郎にならないように気を付けよっと」
暢気なものだ。こっちは昨日から気が気じゃないってのに。だいたい、馴れ馴れしいのは俺も大して変わらないだろ。どこに違いがあるのか分からん。
「分かってねえな。あたしがどんだけハルを愛してるかここで証明してやろう」
「ばか、やめろ。バレたら意味ねえだろ。お前が言うたんやぞ」
「んふふ。はいはい、じゃあまたあとでね…………あー。愛が重くて大変だわー。肩こっちゃうなー」
「……一回500円な」
「さっすがハル分かってるぅ!」
肩をグニュグニュ揉みしだくとにんまり笑みを溢し、くすぐったそうに吐息を漏らす瑞希であった。分かってるのか分かってないのか、どっちやねん。
「わー。樹氷ってあんな感じなんだ、ねー!」
「ぐふっ」
「ねー比奈ちゃん! すっごい綺麗!」
「ごふァっ」
「おっと、ゴンドラが」
「げふェッ!」
続けざまに三人が体重を乗せて来て、危うく窓ガラスとキスするところだった。大して揺れてもねえだろ。コイツら、話聞いてやがったな……。
「瑞希ィィ゛たずけでェェ……」
「へへっ、やーなこった♪」
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