572. 悪くない人生だよね


 まぁまぁ遅い時間になったので今日は解散。


 忙しないグループチャットを眺め一時間ほど電車に揺られる。特別な理由は無かったが、会話には入らなかった。疲れていただけ。本当に、それだけ。



 家へ到着するとノノから「ホントにすいません」と一言メッセージが入っていた。気にしてないと思ってもいない台詞を乗せ会話を早々に打ち切る。


 誰かに聞いて欲しい。解決には至らずとも、この悶々とした思いを誰かしらに受け止めて欲しい。彼女たち以外に。


 こんなとき陰キャのコミュ障は激しく困ってしまうだけだ。南雲らセレゾンの友人たちに打ち明ける勇気は無いし、テツオミにしても同様。他に選択肢が無い。峯岸に相談しようにも、アイツだって仮にも女なわけだし。


 ある程度の見聞を持ち合わせた人生経験豊富な先輩が必要だ。となると、次に想像する相手はやはりあの男になってしまう。



『いきなり連絡して来たと思ったら……ちょっとは忙しくしてるかもとか思わないのかい?』

「トップチームの人間でもなしに三月なん一番暇な時期やろ。分かっとるで」

『去年はキミのせいで忙しかったんだけどなあ』


 スマホ越しに軽薄さの具現化みたいな顔が浮かんでくるようだ。呆れたように苦々しく笑う男の正体は、まぁ、言わんでも分かると思うけど。財部。



『まさか陽翔にサッカー以外の相談を持ち掛けられる日が来るとはね。長生きしてみるものだよ』

「言うて30過ぎやろ年寄りぶんな」

『なら敬語の一つくらい使おうね』

「たっからーべさーん」

『なに? なんでそんな元気なの? どした?』


 久々と言っても正月以来だが、声を聞いて無性に安心してしまう自分がいた。何だかんだでアイツには色々な面で助けられっぱなしだ。不本意にも。


 サッカーを除いてはてんで頼りにならない男だったが、仮にも30歳過ぎの良い歳した大人である。この手の相談にはうってつけの筈。

 彼女たちとの関係性は大阪ですべて露見してしまっているのだから、隠すような話もなにも無いし都合も良い。



「まぁ、話した通りでな。別に解決策出せ言うとるわけちゃうねん。ただ聞いてもらいたかっただけ。他言無用やぞ」

『分かってる、分かってる。陽翔も年頃の男の子だもんな、相談しようにもね……まさかその相手が僕だとは思わなかったけど』

「参考までに聞いておきたいんやけど、お前その辺りどうしとったん?」

『本当に参考にならないレベルなんだけど……まぁ話半分で聞いてね』


 相談にも足りないチグハグな悩みを財部は茶々の一つも入れず真面目に聞いてくれた。こちらも本分では無いと宣うが、このような話をしてくれる。



『高校生の頃は遊んでる暇も無かったからさ、浮つき出したのはプロに入ってからなんだよね。サッカー選手ってだけで何もしなくても向こうから寄って来るし』

「ほーん……やるこたやっとったんやな」

『人並みにね、僕も若かったよ。自分なりに誠実に向き合ったつもりだったけど、知らず知らずのうちに傷付けちゃったり。いま思い返せば中々に性悪な男だったよ。結構反省してる』

「それで結婚出来へんのか」

『ハハッ。そうかもな』


 財部という男は普段のおちゃらけっぷりとは対照に、指導に関してはどこまでも一本筋の通った真っ当な人間だからな。恋愛沙汰そのものに対するイメージがどうにも湧きにくい。


 若い頃はかなりヤンチャしていたとか過去のインタビューで話していたけれど、今の財部を見るにそうは思えないんだよな。

 よほど反省したのか、俺たちには牙を隠しているのか。なんでもええけど。



『うん、そうだね。反省はしてるけど、後悔はしてないかな。だって楽しかったし。あの時の自分がそうしたいと思って行動したんだから、悔いは残ってないよ。今になって考えても所詮は過去の思い出、フィルターが掛かってるんだから』

「ふむ……」

『そりゃあ、今の自分に思うところが無いわけじゃないけど……こうやって教え子の相談に乗れるんだからさ、悪くない人生だよね』

「下半身事情のな」

『いやホント、笑い堪えるので必死』

「茶化すなボケ」

『自分から言い出したんでしょ! ったく、あの陽翔が女の子の扱いで悩む日が来るなんてさ。昔の方がまだマシだったんじゃない?』

「……否定はしないでおこう」


 アレコレ余計なことを意識せず、ただただ信頼のおける相手として接していた少し前の俺が草葉の陰で泣いている。どうしてこうなってしまったのやら。


 彼女たちに限らず文香にだって。あんな思いを抱くとは露にも思っていなかった。

 腑抜けているのは間違いない。けど、こんなに優しい世界に取り囲まれちゃな。



『一つだけ確かなのは……陽翔、キミの抱えている悩みは決して馬鹿馬鹿しいものでも、不要な道草でもないってことさ。前までのキミには縁が無かったのなら、新たな壁にブチ当たるまでに成長したってことなんだよ』

「……そんなもんかね」

『ああ。人間誰しも似たような問題を抱えている。陽翔だけじゃないよ』


 そう言ってくれるのは有り難いが、世間一般の人間が多数の相手との関係で悩んでいるとは想像し難い。わざわざ口は挟まないが。


 とはいえ、突き詰めれば同じことだ。大枠で考えても仕方ない。結局は一人ひとりとの対話で、他の要素はまったくもって不要。


 成長ね。本当にしてるのかって話よ。

 いつも同じ壁に遮られている気がして、な。



『解決策は求めてないって言ったけど、キミが悩んでいる根本的な理由は分かるよ。どうする? 聞いておく?』

「……なら、話半分でな」

『ははっ、そうだね。確かにそう言った。じゃあ適当に聞き流してくれ』


 もっとヘビーな雰囲気にもなるかと思ったが、存外に彼の声色は明るい。

 自分が言うまでもなく答えはそこにある、なんて言葉の裏まで読み取れるほど思慮深くはいられなかったが。



『陽翔。キミは優し過ぎるんだよ。それ故に、優しくない。誰も傷付けないようにアレコレ頭を捻らせて、結果的に自分も、相手のことも見えなくなっている』

「……いや、どっちやねん」

『覚えがないわけじゃないだろ? キミが大阪で味わって来た苦難を思えば、フットサル部の子たちとどう向き合うべきか分からなくなるのも当然さ』


 茶化す素振りもなく財部は真剣だ。


 大阪で過ごして来た実りの無い時間が、この期に及んでまだ悪い影響を与えている、ということなのだろうか。



『ならこう質問しよう。キミにとって家族とはどういうものだった? 夢や理想の類じゃない、廣瀬陽翔を取り巻く家族という概念とはどういう存在だったのか』

「……無いも同然やったな」

『そう。キミは根っこの部分ではまだどうしても、家族とか、無償の愛とか、そういうものに疑いを持っている。違うかい?』

「まぁ、そうかもな」

『環境ばかり責めても仕方がない。キミ自身の向き合い方にも問題があった……生半可に改善してしまったのも良くなかったんだろうね。陽翔が理想とする家族と、キミが16年間見て来た現実の家族像がまだ重なっていないんだよ』


 理想と現実……か。


 言われてみればそうかもしれない。瑞希の誕生日にエライ調子付いて「俺たちだけの理想的な家族像を」とかなんとかほざいていたけれど。


 それはあくまで、アイツらとの関係が一向に改善しない状況下だからこそ口に出来たもので。現時点で考えていることとはちょっと違うのかも。


 

『陽翔にとっての現実の家族は、決して優しいものでも、居心地の良い場所でもなかった。互いが互いを不干渉のまま傷つけあう、そういう世界だった』


『幼少期の経験ほど馬鹿に出来ないものは無いよ……どれだけキミが成長し前を向いたとしても、廣瀬陽翔という人間の軸になっているのは、やっぱりあの頃のキミと、家族なんだよ。決して逃れられない運命だ』


『そう考えたとき、今のキミを取り巻く環境はどうか……優しさに満ち溢れた、どこまでも居心地の良い世界だろうね。でもそれって、陽翔にとって本物のホームなのかな? 最近ちょっとしたことでイライラしたり、すれ違ったりしてない?』


 凄いな。そんなことまでお見通しか。


 確かにそうだ。バレンタインの騒動に始まり、ノノとの関係を引き金とした悶々とする日々……なにをするにも上手く転ばず、もどかしさばかりが募る。



『まっ、僕も精神科医じゃないからね。偉そうなことは言えないけど……もしかしたらキミは、どこかで無理をしているのかもしれない。実はまだ、アウェーゲームで戦っている最中なんだよ』


『難しいよね、アウェーの試合って。色んな要素が重なり合って、本来の自分を出し切れなくてさ。気付いたら不完全燃焼で終わってたりするわけ』


『キミのフットサル部の子たちに対する愛情や信頼は、きっと一纏めには出来ないものだと思うんだ。誰か選ばなきゃとか、そういう話じゃなくてね』


『でも、陽翔が本当に望んでいるモノが、彼女たちの出す答えとも一致するか。改めてよく考えてみた方が良いのかもしれない。僕が言えるのはこれくらいだね』

 


 慈愛に満ちた穏やかな声色に苛まれ、言葉も無く頷くばかりだった。

 電話越しにどう反応しようと向こうには分かる筈無いのに、優しく頭を撫でてくれるようで。馬鹿にこそばゆく、無性に温かい。


 ノノの言っていたことも間違ってないんだよな。フットサル部の仲間だから、という大枠で括るのではなく、一人ひとりに対して俺自身が望む、彼女たちが望む理想的な姿を見出さなければならない。



 なるほど。優しいけど優しくないって、そういうことか。見た目だけの平等を振り撒いて、個々の在り方を、考え方をしっかり見ていない。


 直前で手を出すのにビビってしまったのも、後々後悔ばかりしているのも……欲求の一部分を過剰に捉えて、彼女たちの本質を捉えていないからだ。



 ノノみたいにペット扱いが最適解などと宣う奴が偶々いただけという話。事実、俺は彼女の振舞いを何の抵抗も無く受け入れ始めている。この一週間ノノことばかり考えていたのがその証左だ。


 根っこの部分に残っている「現実」がノノとの関係性においてはバッチリ嵌まってしまっているのである。他の面々と関係を持つことに躊躇っている原因はそれしか考えられない。


 俺が彼女たちになにを望むか、どんな存在でいて欲しいか。それさえ定まっていれば今までと同じように、彼女たちと接することが出来る筈なんだ。


 傷付けないことが優しさではない。

 盲目的に愛することが、愛情ではない。


 きっとどこかに落し処がある。俺たちの関係は、良いか悪いかはともかく、必ずある一点において決着を迎える。そして、その時が近付いている。



『必要以上に気を遣ったり、顔色を窺うような真似は辞めることだね。キミはキミが望む通りに動くんだ。それが正しいかはともかく、アクションを起こすことを恐れちゃいけない。結果的に上手く纏まれば、願ったり叶ったりだろ?』

「……まぁな」

『良いじゃないか、溺れたって。今の陽翔が望んでいることなんだから。テーブルには着いているんだ。取りあえず全部食べてみて、お金を払うに値する食事だったかどうか考えてみればいい』

「それじゃただの食い逃げやろ」

『さあ、どうだろうね? 言葉の綾ってだけかもしれないよ。女の子たちからしたら、キミだって食べられる側みたいなものなんだから』

「…………ご忠告どうも」

『避妊だけはしっかりね』

「大きなお世話や」


 上手いこと纏められてしまったが、こればかりは向こうの反応を見ないとな。


 今度こそバレンタインの反省を生かすときだ。俺の求めているモノ、ちゃんと伝えないと。そして彼女たちがなにを求めているか。



『修学旅行、楽しんで来な。一生に一度のイベントなんだから。そこで答えを見つけなくても良い。等身大の廣瀬陽翔をもって、全力でぶつかるのみさ』

「……あんがとな、こんな時間に」

『この期に及んでなにさ。じゃ、今日はこれくらいで……あぁ、それと陽翔。当日はちょっと忙しいから、今のうちに言っとくね。確か8日でしょ』


 電話を切ろうとすると財部は慌てて呼び止める。

 言われなければすっかり忘れたままだった。



『17歳の誕生日おめでとう。これからのキミの人生が、より素晴らしいものになるよう願っているよ。財部雄一から、舞洲より』

「……え、仕事中?」

『これから徹夜で春季リーグで当たるとこの分析』

「ホンマすまんかった」


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