536. 当たり前のこと


 ファビアン、ルビーと軽く日本語の勉強を交えつつボールを蹴るという、こんなんで金を貰って良いのかというささやかな疑念を抱えつつも今日のアルバイトも終了。ルビーを自宅付近まで送り帰宅。



(高い……)


 最寄りのスーパーがまだ開いていたので、食料品売り場に広々と展開されているバレンタイン特集コーナーで情報収集。

 自分で作らなくたって適当に良い感じのチョコを渡せばそれで済む話なのだが、やはりこの手の商品を人数分となると結構な値段になってしまいそうだ。


 そもそも男の俺がどうしてバレンタインのプレゼントで頭を悩ませなければいけないのか。絶対に労力注ぎ込むところ間違ってるよな。自分でも何に悩んでいるのか分からんわ。もう。



「よお廣瀬。買い物か?」

「…………あぁ、峯岸か」

「なにその一瞬の間」

「いやぁ。素直に出会ってしまったことを認めるのも釈然としないな、と」

「私がお前に何をしたってんだよ……」


 仕事帰りのラーメン大好き主流煙モクモクお姉さんと遭遇する。見慣れない厚手のコートを羽織っているが、やっぱり煙草臭い。リセッシュしたい。



「なんだ? どのチョコをプレゼントして貰えるのか偵察にでも来たのか?」

「んな意地汚いことすっかよ」

「バレンタインねえ。最後にチョコ渡したのとかいつだったっけなぁ……」

「え? 経験あんの?」

「当たり前だろ、これでもオンナなんだからよ。7年前まで制服着てたんだぜ」

「…………7年前!?」


 え、待って。制服ってことは、その時はまだ高校生。つまり逆算すると……。



「……25歳?」

「あれ、言ってなかったっけ?」


 お前、そんな人生二週目みたいな達観ぶり出しといてまだ20代半ばなのかよ。その年齢でラーメンと煙草ドップリ浸かってるのかよ。うわあ、知りたくなかったぁ。聞きたくもなかったぁ。



「まっ、相手もいないし久しぶりに渡してやるとしますかね……おっ、これ美味そうだな」

「えー、いらねえー……」

「良いから大人しく受け取っとけ」


 一つ1,500円もするパックを何の気なしに掴み買い物かごへ放り投げる。一人身の寂しさを教え子使って埋めるのやめない? 虚しさしか残らんよ?



「で? 実際の理由はなんだよ。逆チョコとかするようなタイプでもあるまいに」

「いやぁ…………あー、まぁええか。実はバイト先でな……」


 買い物に付き合う傍ら、交流センターのバレンタインイベントについて大雑把に話してみる。

 ついでにお菓子を作って渡そうとしている計画を口にすると、峯岸は箸が転がったかの如く爆笑するのであった。



「あっはははははは! あぁーっ、キッツぅー……っ! 最高の初笑い貰ったわぁ」

「もう2月やろ遅せえな初笑い」

「あっはっははは……おうおう、まぁ、良いんじゃねえの? 喜ぶよアイツらも。向こうから貰えるなんて絶対思ってねえだろ……あー、おっかしいわ」

「そんな面白いまである?」

「爆笑だろこんなの。あの廣瀬が逆チョコ渡そうなんぞ50年お前の恩師やったって思い付かないさね」


 良かったな。最初の一年で気付けて。

 お前マジで覚えとけよこの野郎。



「いやぁ、半年やそこらで変わるモンだなぁ……あー、でもあれかぁ。逆になあ。変わってないってことでもあるんかねえ」

「……はぁ?」

「全員に渡すんだろ? 結局」

「そりゃまぁな」

「本命チョコが何個もあるなんて嬉しくはねえだろうなぁ……なあ廣瀬くんよ」

「いつ誰が本命っつった」

「違うのか?」

「…………ノーコメントで」

「答えてるみてえなモンだろ、それ」

「うるっせえな……」


 言わんとすることは分かる。あの峯岸でさえ意識せざるを得ないイベントなのだ、バレンタインという代物は。

 それこそアイツらに至っては相当のモチベーションで挑んで来る重要な一日に違いない。そこに本命チョコを見境無しにばら撒こうってんだから。


 ここ最近、彼女たちの様子がどことなくおかしいのは……俺がアイツらの知らないところでバイトを始めたのも勿論あるだろうが。

 やはりバレンタインという、特別な時間がもたらす効力に過剰な期待を寄せているのだ。それぐらい俺だって分かる。


 年に一度の特別な日くらい、いつも通りみんな一緒にではなくて、自分だけを選んでほしい。そんな想いがどうしたって透けて見えて来る。



「さっきの話からするにお前、当日はバイトなんだろ? 怒られるぜ、自分たちよりバイト優先しやがって、ふざけんな……ってな」

「……やっぱり?」

「当たり前だろ。教師の私から見てもウザってえくらい年がら年中引っ付いてるお前らがバレンタインだけスルーとか、どう考えてもいざこざの種になるね」

「だよなぁー……」


 峯岸でさえここまで正確に予見しているのだ。真面目に早いとこ当日の予定を伝えないといけないのに……なんで俺は今日日に至るまで言い淀んでいるのか。


 いや、そうか……実際のところ理由なんてとっくに分かってるんだよなぁ……。



「…………オフレコな」

「あいよ。どした」

「……一人だけとか、無理。選べん」

「なっさけねえな。こないだメシ食ったときと言ってること全然違うじゃねえか」

「分かっとるわそんなの……やっぱさ、違うんだよな。俺がアイツらに求めてることと、アイツらが俺に求めてることって……」

「そりゃそうさね。お前がどういう理由でアイツらを好いているかまでは知らねえけど、少なくともアイツらはなんだから。いやまぁ、別に性別がどうこうって話でもねえよ。好きな奴を独占したいなんて当たり前のことさね」


 峯岸の言う通りだ。仮に俺たちの立場が逆転して、例えば……そうだな、愛莉一人を俺とテツオミの三人で奪い合っているとしたら……。



(無理無理ムリ……ッ)


 想像するだけで吐き気がしてくる。


 テツオミはあくまで友達だ。そりゃフットサル部のみんなは、ただの友達という領域を超えた堅い何かで結ばれている特殊な関係なのかもしれないが。


 異性を一人挟んだ瞬間、もうただの友達ではいられなくなってしまう。それを踏まえて今の関係が続いているってんだから、もう感服するしかない。


 そうだよなあ。俺の知らないところでアイツらが他の男と……絶対に耐え切れん。そりゃあんな態度にもなるか。ツンデレ噛ましてる場合じゃないとか口が裂けても言えねえわ。



「なあに。簡単なことさね。廣瀬」

「……あっ?」

「周りがどうこうって話じゃねえんだよ。お前がどれだけ本気で一人ひとり向き合えるのか。心からソイツの幸せを願えるかが大切なの。恋は自分本位、愛は相手本位。そういうことさね」

「…………まぁ、そうかもな」

「お前がこの程度のことで悩んでいるってことは、まだまだ自分のプライドや欲求を優先しているってことさ」


 峯岸の言葉は暖かくも厳しい。

 俺は……自分のことしか考えていないのか。



「バイトを始めた理由にしたってそうさ。アイツらのため、将来のためを思って動いたのかもしれねえけど、それはあくまでお前自身の判断だろ? 肝心の相手がなにを望んでいるのか、ちゃんと考えたうえでの行動だったか?」

「…………それは……っ」

「断言できねえのが答えだよ。人生経験豊富なクールビューディーお姉さんの有難い金言だ。素直に受け取れ」

「……後半はともかく、したためてはおこう」


 そうか……いくらアイツらのことを考えて行動したところで、それが彼女たちにとって必要でないのなら……まるで意味の無い葛藤なんだよな。


 俺がアルバイトへ勤しんでいる間、少なくとも彼女たちは俺との距離が離れたように感じていたわけで……昨日のやり取りを顧みるにそれは明らかなことだ。



「まぁでも、信頼回復のためにバレンタイン大作戦ってのは悪くないアイデアかもな。ちゃんと責任取ってやれよ」

「……んっ」

「それと……なんだっけ、ルビーっつったか? その子のことも、当日は予定空けられねえことも、さっさと話してやれよ。多分アイツら、ソイツにお前のこと取られるんじゃねえかって気が気じゃねえから」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ。どれだけ深い関係築いたって、不安に苛まれるのは一瞬さね。少しでも綻びが生まれる隙があったら……怖くなっちまうんだよ。女ってのは」


 レジを通し「一応本命ってことにしとくわ」という有難くも無いチョコを受け取り、峯岸と別れた。

 家に帰ってから開けるつもりだったが、どういうわけかその場で開封してしまい一つだけパクリ。これが中々にビターテイストであまり美味しくない。


 悩んでいるくらいならさっさと行動すべきなのだが、その結果がこの絶妙に噛み合わない舌触りなのだから、躊躇うのも当然のことのように思えた。



 煮え切らん。何かが。

 やることはとっくに決まっているのに。


 何かが俺を、俺たちを邪魔している。

 そんな気がしてやまない。


 実際のところ、余計なことをしているのは俺だけだったりするんだけど、やっぱりまだ気付いていない。気付くのが怖かったなんて、考えただけで最悪だ。


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