494. 鎌倉にいったい何があるというんですか? その4


 トンビに一通りキレ倒してクレミアの残骸を回収し、龍恋の鐘へ到着した頃には既に19時を回っていた。


 真冬ど真ん中の海沿いとあって流石に身も凍る寒さだが、ご想像の通り握られた左手だけはやたら血の巡りが良いもので、結果的にプラスへ転がった点だけは今一度明記しておきたい。



「いい景色だねえ~」

「今日そればっかやな」

「まぁまぁ~」


 相模湾を一望する高台から煌びやかな街の景色を見下ろす。金網には無数の南京錠が散りばめられており、名前を書いて取り付けると永遠の愛が叶うとかなんとか。


 恋人の丘というらしいが、瑞希といったシーワールドの高台も似たような名前が付いていたな。全国に同じ名の場所がどれだけあるのか数えるのも億劫だ。

 そんなもので永遠が保証されるなら誰も苦労しないだろう。3組に1組が離婚するという昨今の結婚事情にまるでそぐわない。高台くらいサクッと登れ。



「でも付けるんでしょ?」

「気分や、気分」

「そう来なくっちゃ」


 近くの店で南京錠を購入し、借り物のサインペンに名前を書き込む。一つ400円もした。昼飯二日分と考えればちょっと高い。



「こういうので南京錠って鉄板だけど、他のじゃダメなのかなあ」

「例えば?」

「手錠とか、ロープとか」

「雰囲気もクソもねえな」

「そっちの方が「一生離れません」って感じでシックリ来ない?」

「束縛する気満々じゃねえか」

「んふふっ」


 意味ありげにクスクスと笑い鍵を掛けていく。普段の言動からして冗談に聞こえないから心臓に悪い。隙あらば唇狙ってくるような奴だぞ。信用出来るか。



「どう? されてみたい?」

「……絶対に嫌と言いたいところだが、衣食住と安定した生活が望めるならあながち不満でもねえな」

「へぇー……なるほどぉ」

「ちょっと距離置かせて貰うわ」

「あー、ひどーい」


 とか言っておいて、実際にされたら「まぁこれも運命か」とあっさり受け入れてしまいそうな自分もいてアレなんだよな。

 世間はどうも必要以上にヤンデレというものを恐れているが、可愛い女の子に束縛されて嫌な男っているのだろうか。いやまぁ俺みたいな世間一般からかけ離れた人間が物を言っても仕方ないが。


 なんて話している間に南京錠も付け終わり、すぐ傍の鐘まで出歩く。


 これも夏休みに瑞希と体験済みだな。この調子で全員と鐘を鳴らして永遠を誓い合う日も近いかもしれない。まったく、冗談にならないのは俺の方だ。



「こういうときに敢えて二つ買っちゃうのが陽翔くんなんだよねえ」

「何度も言うとるやろ。そこは譲らん」

「はいはい、分かってますよ」


 そう。二つだ。


 一方は俺と比奈の名前を。もう一つには山嵜高校フットサル部と書いて鍵を掛けた。流石に8人分の名前はスペース無さ過ぎて無理だったけど。



 何度二人きりの時間を重ねようと、脳裏には残る7人の顔が常に思い浮かんでいる。それが目の前の彼女にとってどれだけ残酷なことか、勿論自覚はしていた。


 電車通学の話から繋がるわけでも無いが。要するにあり得ない、無駄な配慮なのだ。今になって改めて思うけれど、きっと俺たちはフットサル部を通してでなければ、このような関係には至らなかった。


 比奈との関係にしても、クラスメイトで偶々同じ教科係という枠組みから逸脱することは無かったのだろう。結果としてそんな未来は訪れなかったのだから、考えるだけ意味の無いこと。



 でも、たった少しの差で違った未来があったのかもしれないと考えると。惜しいことをしているなと、そんな気もする。ほんのちょっとだけどな。



「陽翔くんが次に言いそうなこと、分かるよ」

「ほー。言うてみ」

「今度は他の奴とも来ないとな……でしょ?」

「……いや、そこまで空気読めんことないて」

「どうだろうねえ~~?」


 軽いノリで茶化してくれるだけまだ助かっているが、実のところ彼女もすべてを納得しているわけでは無いだろう。


 今更言う必要も無いが、フットサル部で一番独占欲が強いのは比奈なのだ。少々過剰にも思える日々のやり取りは、彼女の内面を今もなお巣食う自信の無さの表れでもある。肝心のブレーキを外してしまったのは他でもない俺なんだけど。



「映画ならここでキスしてハッピーエンドなんだけどねえ…………なーんで初めての恋愛がこんな面倒なことになってるのかなあ」

「んなん知らん。俺に言うな」

「でも陽翔くんの責任でしょ」

「懲りずに付き合っとるお前らも大概や」

「あはは。それもそうだねえ」


 両手を重ねひと振り。五臓六腑まで染み渡る重低音が江ノ島の海へ響き渡り、冷たい空気と混ざって跡形もなく消える。



「……やっぱりね。他のみんなと仲良くしてるところ見ると、悔しいなって思っちゃう。ちょっとだけどね」

「そりゃまぁ、そうだろうな」

「もうっ、他人事みたいに言わないで」

「ごめんって……」


 ほんのりと頬を膨らませあざとさを見せつける。が、俺の困った顔を一通り眺めて満足したのか、すぐさまいつも通りの穏やかな笑みを取り戻した。



「……でも、いいの。独り占めしたいのも本当だけど……陽翔くんは陽翔くんのもので、わたしのものじゃないから。だから……こういう時間とか、わたしだけに見せてくれる顔とか……ほんのちょっとで良いから、わたしだけのものが欲しいな」

「…………んっ」

「全然不満とか無いから、その辺は安心してね。これからも節操なしの陽翔くんのままでいて良いんだよ」

「素直にイエスとは言えないな……」


 繰り出された精一杯の背伸びは、本来なら酷く険しい山脈のような男女のハードルさえ軽々と飛び越える。

 触れあうだけの優しい口づけは、またしても二人の曖昧な関係をその場凌ぎのまま赦してしまうのであった。


 そのまま胸元へ収まり、うわ言のように決まり文句を繰り返す。



「……幸せ。幸せ、すっごく幸せなのっ……ねえ、陽翔くんもそう思う? 思ってくれる? わたしのこと、好き?」

「…………お、おん」

「えへへへっ……大好き、大好きだよ陽翔くん……っ! どうしよう、こんなに幸せなの、耐えられないっ……嬉し過ぎて溶けちゃいそう……!」


 すっかりペースに呑まれまともな受け答えも出来兼ねる。いよいよ可愛い以外の感想が思い当たらない……なんだこの理想的な生物は……っ。



「とっ、取りあえず人の目もあるし、時間も遅いし……そろそろ帰ろうや。なっ?」

「…………まだ8時くらいだよ?」

「な、なにが言いたい?」

「……延長戦、だめ?」

「…………どこで?」

「……陽翔くんのお家……とか……っ」

「えぇっ……」


 とろんとした瞳を向け身体をすり寄せる。不味い、完全にスイッチが入っている……これではレンガ倉庫のときと同じ展開だ。



「もう一回当ててあげる。陽翔くんが考えてること」

「……やっ、やってみろや」

「…………ムラムラしてきた、でしょ」

「その回答は卑怯やろ……ッ!」

「じゃあ、いいよねっ?」


 目に見えて呼吸が荒くなっている。先ほどまでのロマンチックな空気などひとかけらも残っていない……もう何度目かも分からない貞操の危機だ。


 いや、その、俺としては歓迎も大歓迎でなんの不満も無いというか、このまま流されるのも吝かではないというか、超えるべきは俺のチンケなプライドと勇気という名の壁というか、超えるとしたら一線なわけだけれど、だからその……。



「なにしてんすかお二人とも?」



「…………あんッッ!?」

「ふぇっ…………えぇ!? ノノちゃん?!」

「はい。ご存じ市川ノノですが?」



 突然聞こえて来た特徴的な撫で声に、二人して大声を上げ勢いのまま腕を離してしまう。南京錠を掛けた金網の辺りからのっそりとゴールドの影が現れ、ついぞその正体がよく知る後輩であることを知った。



「なっ、なんでおるんやお前ッ!?」

「なんでと言われましても……ノノ久里浜住みなのでこの辺りはよく来ますし。坂道多いんでランニングにちょうど良いんですよ」


 言われてみれば見覚えのあるトレーニングウェア姿。手ぶらで随分と身軽そうだ…………そ、そんな偶然あるかよ……。



「お友達と遊んでたんですけど、思いのほか早く解散しちゃったんでちょっと走ろうかなと。鎌倉から海沿い通って江ノ島まで来たんですよ」

「そ、そうだったんだぁ……」


 冷や汗をダラダラと流す比奈。

 普段の余裕溢れる佇まいは一切見受けられない。


 久里浜というと鎌倉から数駅のところ。確かすぐ近くに山嵜の最寄り駅へ一本で行ける路線もあった筈……いやまぁノノがどこに住んでるとかどうでも良くて、まずはこの状況を説明しなければ……ッ!



「ほー。見た感じお二人でデートですか。そうですかそうですか……ノノがストイックに汗を流している間、お二人はイチャイチャしていたと……」

「待て、ノノ。話を聞け。確かにデートはしていた。それは認めよう。だがお前や他の面子をわざと省いたわけではない。偶々タイミングが合ったのが比奈というだけでそこに他意は決して無い。お分かり? お分かりだな?」

「いやまぁそれは良いんですけど…………完全にチューしてましたね? 割と序盤から見てましたけど、超絶イチャイチャしてましたよね? なんならこのままセンパイの自宅か綺麗なベッドのあるお城へ行く流れでしたよね??」

「ノノちゃん、違うっ、違うのぉ……っ!」


 頬を真っ赤に腫らし大慌てで否定する比奈。流石にこの状況を見られたのは彼女といえどメンタル的にキツイものがあるらしい。


 突然の来訪で面食らう俺たちにノノも呆れてしまったのか、大きなため息を挟むと両手を広げこう続けるのであった。



「お二人がどこでなにしていようとノノの知ったことではありませんが……公衆の面前ではお控えいただきたいところですねえ。はい」

「み、みんなに言わないっ……?」

「いやぁ、まぁ別に言い触らすようなことでも無い…………あっ、いや、待ってください。そうですね。やっぱ言います。裁判掛けます」

「ちょっ、辞めろやテメェッ!!」

「なんだか無性に言い触らしたくなって来ました! さぁーて、誰か暇そうにしている人はーっと!」

「ばっ……待てノノッ!!」

「よくよく考えたらセンパイたちの弱みを握るまたとないチャンスでした! ノノちゃんうっかりうっかり☆ いやぁオフの日はスイッチ入るまで時間掛かるから困っちゃいますね~~!!」


 意地悪気にニヤニヤ笑いながら高台を離れていくノノ。不味い、このままではアイツら全員に今日のことが……。



「比奈っ! 奴を捕えろッ!!」

「もおおぉぉなんでこうなるのぉぉ……!」

「ダラダラすんな走れっ!!」

「もおおっっ!!」

「あっ、愛莉センパーイ!! ノノいま江ノ島にいるんですけどぉぉ!! すっごいもの見ちゃったんですよーー!!」

「よりによって愛莉は辞めろッッ!!」



 ……生死を掛けた追走劇は道中ですっ転んだノノを確保することでどうにか事なきを終え、晩飯(しらす丼大盛り)を奢ることで一旦手打ちとなるのであった。


 翌日、ノノがあっさりと約束を破り鎌倉・江ノ島へ遊びに行ったことがバレ残る連中にドヤされたこと。

 いつの間にか三人で出掛けていたことにされ、不貞腐れてしまった比奈を慰めるまで相応の時間を要することとなったのはまた別の話である……。


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