412. Boyhood 2-7
週末、舞洲トレーニングセンターのグラウンドは午後9時まで解放されている。ユース、ジュニアユースの選手たちがコート一面を自由に使えるようになっており、度を過ぎたものを除いて居残り練習も許可されている。
担当者が着いていれば、プロ選手が使っているトレーニングジムを利用することも可能だ。クラブ直属の下部チームに与えられた特権の一つでもある。
もっともジュニアユースの選手たちは「ユースの選手たちと一緒に残るのは気まずいし、迷惑を掛けそうだから」というなんとも言えない理由で敬遠している者も多い。
内海らもそんな選手たちと同様、普段はプロが利用している施設を我が物顔で使うのがどうにも居心地悪く、従来の練習後はすぐ帰宅することが多かった。
「ほら。やっぱり入っていくで」
Aチームの監督を中心とした練習後のミーティングが20分ほどで終了。内海、大場、南雲の三人は小田切の助言を聞き入れ陽翔の後を着けることにした。
話に聞いた通り、陽翔はすぐさまユースのフィジカルコーチに声を掛け、数名のユース選手らと共にクラブハウスのなかへと消えていく。小田切もそのうちの一人であった。
「よし、後を追うでッ!」
「ちょ、待ってってば亮介!」
意気揚々とクラブハウスへ突撃する南雲と、特になにも考えていなさそうな大場を内海が慌てて追い掛ける。
クラブハウスには下部の選手たちが共有で使用しているロッカールームがあるが、それ以外の施設にはほとんど立ち入ったことが無い。
なんせ平日ともなれば、トップで活躍するプロ選手があちこちにいるのだから。内海を筆頭にアンダー世代の人間にとっては畏れ多い世界だ。
「お、やっとるやっとる」
「ねえ、なんで覗き見? 一緒にやらせてくださいって言えば普通に入れて貰えるんじゃ……」
「アホっ! 練習であんだけ走らされたあとに筋トレなん出来るかッ! ワイはヘトヘトなんや……っ!」
「ちょ、亮介、声がっ……!」
内海の心配は的中し、三人の影に気付いたユースのフィジカルコーチがドアの付近へ歩み寄って来る。
三人も良く知る存在だ。ユースの練習で選手たち以上に声を張り上げ、鬼軍曹として知られている厳しい男である。
「おっ、お前ら例の一年坊主やなッ! ちょうどええ、見とるだけやトレーニングにならへんしな、いっちょ付き合えや!」
「いやっ!? あの、ワイは!?」
「ええからこっち来い! おーいお前らッ! 新入りが来よったで! 仲良くしてやりいや!」
強引にトレーニングルーム内へ連行される三人。そんな彼らの姿を眺めるユースの先輩たちが、メニューをこなしながらケラケラと笑みを弾き軽口を叩く。
「で、どれがやりたい? 今ならランニングもバーベルも空いとるし、使いたい放題や。まぁ言うて中学生やからな。そこまでキツイのはやらせねえが」
「あれ。てっきり問答無用で走らされるかと」
「んなわけないやろッ! フィジカルトレーニングはな、一人ひとりの身体に合ったペースでやらな意味無いわ!」
随分失礼な大場の物言いに内海は肝を冷やしたが、肝心の鬼軍曹はそんな彼らの心配を他所に大口を開き豪快に笑い飛ばす。
「財部ちゃんお墨付きの三人やからな。名前は覚えとる。内海に大場、南雲やったな。心配すな、お前らだけちゃう。ジュニアユースのひよっこでもしっかり専用のメニュー用意してやってるから」
「でも、ここを使うのは希望制なんじゃ?」
「そら当たり前や。上昇志向の無い連中に無理強いしたところで、なんの意味もあらへんからな。扱かれたい奴は扱く、嫌な奴は来ないで結構!」
「いや、別にワイもやりたくて来たわけじゃ……」
南雲の呟きは見事にスルーされる。
続けて鬼軍曹はこう語った。
「あれやろ。まだ身体の出来てないうちは筋トレせん方がええとか、思っとるんやろ? そら最悪や。古い考え方やな。そらまぁ、過度な負荷を掛ければ関節やらなんやら影響も出るわ。逆に怪我もしやすくなる」
「だがしかし、個人の成長具合と時期に合ったトレーニングを積めば、成長ホルモンもドバっと出て効果覿面ちゅうわけよ。まさに最先端の育成システム、ワールドスタンダードや!」
勢いのある物言いに大場と南雲はウンウンと頷くばかりであったが、こればかりは一人冷静。
この人に最先端だなんだと言われても信憑性に欠ける気がするのは自分だけだろうか。無論、当人を前にそんなことはとても口に出来ない気弱な内海である。
「ちゅうわけで、サクッと走り込みでも行って来い! ほら、そっちで廣瀬も走っとるやろ。同い年で高め合うのも大切や。ほれ、行った行った!」
鬼軍曹に促され、三人はちょうど人数分の空きがあるランニングマシンへ向かわされる。
一足先にトレーニングを始めていた陽翔は、慌ててやって来た三人を見るや否や、露骨に不機嫌な表情を浮かべた。
「…………冷やかしなら間に合っとるで」
「いっ、いやいやいや……そうじゃないって。まぁ、陽翔が普段どういうことしてるのか気になったってのはあるけどさ。でも、追い付きたいって気持ちも嘘じゃないし」
「……あっそ」
それほど興味を示さず、すぐに視線を外してしまう陽翔。これはこれでいつも通りの陽翔だと、何故か無性に安心してしまう内海であった。
「えぇーコウちゃんホンマにやるん……?」
「ここまで来てそれは無いだろ亮介……ほら、良いからやろう。僕もスタミナ無いのは自覚してるし、良い機会だよ。身体も細いしさ、ずっと興味はあったんだよね」
「クゥー……! 今日ははよ帰ってTNJ48のライブDVD見ながら豪勢にやるつもりやったっちゅうに……!」
「えー南雲くんあのアイドル好きなの? ブサイクばっかりじゃん。趣味悪いね」
「酷すぎんッ!?」
軽口もそこそこにランニングマシンを使いこなす三人であった。徐々に振動と騒音を増していくマシンとは裏腹に、口を閉ざし真剣に走り込みを行う。
スイッチを押して、ローラーの回転速度を速める内海。すぐ隣、真顔のまま走る陽翔の様子を伺う。
「…………速いね。陽翔」
「別に。フツー」
「普通って……マラソン並みだよねそれ?」
「このペースに慣れな、試合でなんも出来へんわ…………一試合の平均走行距離は12キロ。このスピードで走り続ければ、絶対にバテたりせえへん」
「12キロって……それプロの平均でしょ?」
「はぁ? なに言うとるんやお前」
薄手のトレーニングウェアから滝のような汗を流しながらも、表情一つ変えず振り向く陽翔。心底不思議そうな、あまり見たことの無い素朴な瞳をしていた。
「お前、なんのためにジュニアユースでやっとるんや。近道選びたくてセレゾンおるんやろ。プロ入った後の想定せんと練習でもしとるんか?」
「いや、そういうわけじゃ……ッ」
「同世代や話にならん。二つ三つ上でも同じや。今から一回り年上相手に戦うイメージ身に着けな意味無いやろ」
「……そっか。意識が高い、って言い方も失礼だよね。陽翔にとってはこれが当たり前の努力だし」
「努力? アホ言うな。こんなんが努力やったら世の中ドログバとマケレレで溢れ返るわ」
何故敢えてその二人をチョイスしたのか、内海には到底理解にも及ばなかったが。冗談を飛ばす性質でもない。
陽翔は本気でそう考えている。
それだけは、内海にも分かったのだ。
負けず嫌いの血が騒いだのか。内海はローラーの速度を更に一段階引き上げ、陽翔のスピードに追い付こうと汗を流す。
そんな彼の姿を陽翔は鼻で笑い、黙々と走り込みを続ける。陽翔ももう一段階スピードを上げたことに、内海は気付かなかった。
本気の人間だけが住まう熱帯の魔境。
誰もが口を閉じ込め、己をイジメ抜く。
トレーニングルームには、今にも死にそうな顔で鬼軍曹に扱かれる南雲の絶叫が響き渡っていた。
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