377. こんなところで


 変わらずちぐはぐなやり取りではあったが、微小の改善を携えて残る六人と合流する。ノノたちが取ってくれた席はホーム寄りのバックスタンド最前列であった。


 横に八人並ぶのも野暮と踏んだのか、前後二列で四人ずつ座れるように取ってくれたらしい。芝生とプレーヤーが目と鼻の先にまで迫る、専用スタジアムのなかでも群を抜いた特等席だ。ノノは俯瞰で見るより接近派なのか。趣味が合うことで。



「ハル? どったの? 座らん?」

「…………あぁ。いや、ちょっとな」


 思わず見惚れていた。

 一面に広がるグリーンが、あまりに眩しくて。


 試合開始直前とあって水でも撒かれているのだろうか。鼻孔を突き抜ける淡い土木の香りが目頭にまで伝うようだった。季節も季節なので、ちょっとだけ肌寒いけれど。


 ここでプレーしたのも何年前だったか。確か小学生の頃、何かの大会で訪れたんだっけ。まさかあの頃は、この街で暮らすことになるなんて考えもしなかったな。



 でも、覚えていた。


 芝生の匂い。スタンドからの距離。

 少し痛んだ座席。純白のゴールマウス。


 忘れる筈が無い。芝生を駆け回る瞬間だけが、俺が俺であり、生きる理由だったのだから。筆舌に尽くしがたい高揚感は、いつどんなときも俺を奮い立たせてくれる。


 こんなにも美しい光景を自ら忘れようとしていたというのだから。とんだお笑いだ。一度でも踏み入れたのならば、そこはもう俺にとって故郷も同然。ならば知らずのうちに込み上げて来た左胸の暖かさも、きっと必然だったのだろう。



「陽翔くん、なんだか嬉しそう」

「……そうか?」

「うん。ちょっと幼く見えるかも」

「だとしたらこのダセえコートのおかげやな」

「えー? 似合ってると思うけどなあ」


 いつの間にか左隣には比奈が座っていた。

 油断も隙も無い。いい雰囲気だったのに。



「ハルト。サンドウィッチ作って来たから、食べる? ていうか食べて。荷物になっちゃうから」

「え。あ、おん。ありがと」

「あー。愛莉ちゃんまた胃袋掴みに来てる」

「いっ、いつものことでしょっ!」


 今度は右隣の愛莉から強引にお手製の昼食を手渡される。ここ最近何かと押しの強い二人に囲まれて、昔を思い出す余裕も無い俺であった。


 いつものことって。

 なんのフォローにもなってないから。

 もうちょっと上手く隠せや。



「あ、出て来ましたよっ!」


 真後ろに位置取った有希の言葉に釣られてピッチに目をやると、両チームのウォーミングアップが始まろうとしていた。そうか、もう試合開始まで30分と少しか。


 気付いたら後ろの席にも、吹奏楽部含めうちの生徒が大勢集まっているな。お揃いの水色のジャージで声援を送るのは、メンバー入りしていないサッカー部の連中だろうか。



 すぐ近くまでやって来たサッカー部員たちが、キャプテンである林の号令を合図に頭を下げる。同時に客席からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。


 スタンド組の部員からが大半だが、意外にも女子からの黄色い声援も少なくない。何だかんだで山嵜では有数の強豪部なだけに、レギュラー入りともなれば人気も出るんだろうな。知らんけど。



「あ、葛西センパイもいるんですね」

「滑り込みで昇格したらしいな」

「ノノがマネやってた頃は普通にレギュラーでしたからねえ。一試合ポカしただけで即B落ちは流石に可哀想でした。ノノもなまじ知識あるだけに、ハンチョウの考えてることはよう分からんですよ」

「ほーん……」


 フットサル部の存在に気付いたオミが手をかざし声援に応える。ちょっとプロっぽい仕草してんじゃねえよ。一昨日教室で爆睡して説教喰らってたとは思えん。


 しかし一年の間でも浸透してるんだな。ハンチョウ。基本誰でもウェルカムのノノにまで良く思われてなかったって、いよいよ顧問の仕事してるのか怪しいわ。



 こうして眺めていると、キャプテンの林に坊主の菊池。オミに茂木と、サッカー部の知り合いも結構増えて来たな。つっても数える程度だけど。


 見覚えのある顔も多い。二年生もかなりメンバー入りしているんだな。授業でチンチンにしてしまった谷口と、牧野と……アイツ名前なんだっけ。ささなんちゃら。思い出せねえ。



「ねーハル。あたし全然詳しくないんだけど、相手強いの?」

桐栄トウエイ学園やろ。まぁまぁちゃうん」

「県ではトップクラスですね。全国ベスト4が最高成績で、今年はU-18リーグの二部なので、かなり強いと思います」


 瑞希の質問に真琴が代わりに答える。



 桐栄トウエイ学園といえば、プロ選手を何人も輩出している全国屈指の強豪校として、サッカー好きには有名な私立男子校だ。


 真琴の言うU-18リーグとは、プロの下部組織と高校のサッカー部がごっちゃになって行っている全国リーグを指している。一部から三部まであって、そこから下は地域ごとに枝分かれするシステム。


 一部と二部はユースチームがほとんどを占めていて、高体連組は数えるほどしか参戦していない。

 つまり桐栄学園は、プロ育成機関とも互角にやり合えるだけの実力を持ったチームというわけだ。



 去年の春、一回だけ当たったな。

 あのときはお互い一部所属だったから。


 スコアは覚えてないけど、たぶん勝っている。

 なんせ去年の春季リーグ、優勝してるし。


 来年はアイツらも、この桐栄学園と同じ二部リーグなんだっけ。トップチームも懲りずに降格しちまったし、落ちていく一方だ。古巣と呼ぶには烏滸がましい立ち位置だが、それはそれで寂しさもある。



「まっ、山嵜とのレベル差は歴然やな」

「ほーん…………で、あの人知り合いなん?」

「あっ?」


 瑞希がピッチ上の誰かを指差している。


 どうやら桐栄学園の選手たちもこちらのスタンドへ挨拶に来ていたようだ。パラパラとベンチへ戻っていくなか、何やら俺に向かって大声を上げている人間が一人。


 誰や。よく見えん。眼鏡掛けよ。



「おいっ! 廣瀬っ! 廣瀬ちゃうかお前ッ!?」

「……………………ああっ。南雲ナグモじゃねえか」

「お前っ、こんなところでなにしとるんやッ!?」



 黒髪短髪の硬派な印象の選手が多い桐栄学園メンバーのなかでも、比較的垢抜けたサラ髪が特徴的な喧しい男が俺を指差して絶叫している。



「だいたい分かるだろ。観に来たんだよ」

「んなこと聞いとるんちゃうわっ! お前っ、セレゾン辞めてなにしとんねんっ! は? なんなん!? お前いま山嵜通っとるんか!?」

「まぁな。お前、昇格断ってわざわざ桐栄行ったのかよ」

「えっ!? まっ、まぁなっ! 憧れの都会生活謳歌しとるっちゅうわけよっ! って、話逸らすなっ! お前この一年なにしとったんや!? まさか山嵜でスタンド組とか言わへんやろなっ!」

「おいっ、亮介! 行くぞっ!」

「あぁはいはい、いま行くわっ! ちょっ、おい廣瀬っ! お前試合終わったら顔出しいやっ! 聞かなあかんこと仰山あるんやこっちは!」

「おーい! 早くしろ亮介ー!」


 チームメイトに引っ張られピッチに戻っていく。

 俺たちのやり取りを皆興味深そうに眺めていた。



「御知り合いですか」

「まぁ、向こうでのな」

「随分と喧し……声の大きい方ですね」

「フォローになってねえよ」


 馬鹿正直な琴音はひとまず置いておいて。


 そう。知り合いだ。一応。

 少なくとも友達ではないけれど。



 南雲亮介ナグモリョウスケは中学までのおよそ六年間、セレゾン大阪の下部組織で共にプレーしていた元チームメイト。


 身長こそ低いがスピードと技術のある攻撃的なサイドバックで、世代別の代表歴もある所謂セレゾンの黄金世代。関西でも名を知られていた選手だ。


 俺や内海らと共にユースへの昇格が内定していたが、直前で断りを入れ関東の高校に進学してしまい、それきりだったのだ。


 まさか桐栄に進学していたとは。

 それもこんなところで会うなんて。



「……めんどくせ」

「なに、そんな嫌な奴なの?」

「そういうわけじゃねえけど……なんとなく分かるだろ。コテコテの関西人なんだよアイツ。とにかくノリが合わん。チームメイトならともかく、友達は名乗りたくねえ」

「そういうアンタもコテコテでしょ割と」


 愛莉の指摘は全力でスルーするとして。

 面倒だな。後でこっち来るのか。逃げたい。


 そういや、何だかんだ初めてだな。こっちに来てから向こうの知り合いに出くわするの。


 峯岸はあくまでプレー面のことしか知らないし、言い換えれば当時の俺をよく知る唯一の人間というわけだ。


 となると、尚更コイツらとは引き合わせたくない。余計なこと吹き込まれそうで。



(綺麗な思い出だけってわけにはいかねえな……)



 やはり、避けては通れない道だ。

 芝生の上には俺の全てが詰まっている。


 良いことも、悪いことも。思い返すと、後者の方がよっぽど心当たりがあって。



 いつまで引き摺ってるんだよ、俺は。


 なにが楽しみにしていた、だ。

 未練タラタラの癖に、カッコつけやがって。


 

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