332. 悪趣味が過ぎる


 時間を忘れ唇を交わし続けた。覆い被さる身体を支えるように二つの柔らかな恵みを優しく受け取る。慎ましやかではあるが、彼女が俺と正反対の性質を持っていることを証明するには、あまりに十分な代物だった。


 薄灰色の湯気と有り余る水分でほんのりと湿ったその部分を強く握り締めるたび、彼女は何度も身体を小刻みに震わせる。



 息苦しさを覚えたのか、口元を離れた彼女は大袈裟に呼吸を乱し、これ以上無いほどの慈しみを滲ませ悠然と微笑む。


 可愛いとか、綺麗とか、魅力的とか、そんなありふれた言葉では説明が付かない。この世で最も美しいモノを目にしている気分だった。どれだけ称賛の声を並べようとも事足りない。



 いかなる宗教も信仰するに値しない。

 けれど、今だけはその存在を信じる。


 目の前で微笑む彼女は、女神そのものであった。



「…………もう言い訳できないよね」

「……かもな」

「このまましちゃおっか?」

「こんなところで良いのかよ」

「だって、我慢できないしっ……」


 辛抱の足らないお転婆な女神だ。

 いじらしく視線を逸らす姿さえ、あまりに美しい。



「……ハルも辛いでしょ?」

「…………流石にちょっと」

「……ハルのも、見せて?」


 拒絶しようにも理由が見当たらない。

 甘ったるい撫で声に導かれるまま、腰を浮かす。



「うわ…………や、やっぱおっきい……っ」

「やっぱってなんだよ」

「…………二回目だし」


 嫌なことを思い出した。夏合宿で似たような状況に陥ったときも、一番隠すべきところをアッサリ晒してしまった。あのときよりも距離はだいぶ近いけれど。


 まるで自重する気の無い哀れな主張を、瑞希はひと時も目を離さずジッと見つめている。囚われていると言った方がより的確だ。



「ちょっと怖くなって来たかも……っ」

「無理するなよ。手、震えてるぞ」

「こ、ここでビビったら女が廃るっていうか……」

「むしろ正常な反応だと思うけどな……」

「だ、だめっ。ちゃんとするっ。てゆーか、ふこーへいだしっ。あたしばっかしてもらって、ハルになんもしないとかっ…………そーゆーの、嫌だし」


 必死に自分を後押ししようと真っ当な理由を並べているようだが、いざその場面となるとビビり散らかしているのは明らかであった。手は震え、挙動も落ち着かない。


 とっくのとうに理性もクソも無いこちら側とすれば、このまま彼女の顔を強引に掴んで手繰り寄せることも出来た。しかし、ここまで露骨に動揺されてしまうとそれも躊躇われる。



「…………ぁ、ぁぅ……っ」

「……おい、瑞希……?」

「やっ、ヤバイ、ヤバいってこれ…………メッチャ怖いのに、なんか、勝手に吸い込まれるっていうか……頭クラクラしてくるっ……」


 恐怖と情動の狭間で大いに揺れ動いている様子であった。


 事実、彼女の宣言通り頭はグラグラと上下に揺れ、勢いのまま水面に叩き付けられてしまいそうだ。



(…………んっ……?)


 そう、揺れまくっている。

 何がって、頭が。間違っても俺の方じゃない。




「…………もう、むり……っ!」

「…………ハッ?」

「ぁぅぅううぅぅ~~…………っ」

「ヴェっ!? ちょっ、瑞希ッ!?」


 一際大きな稼働とともに、彼女は顔面を思いっきりお湯のなかへと叩き込む。


 てっきり本能に打ち負けたとばかり思っていた俺は、突然の謎過ぎる行動に派手なリアクションを取ることしか出来ない。


 …………いや、待て。これもしかして……。



「……………………のぼせたぁ……っ」

「おいっ! 瑞希っ!」


 ブクブクと泡を立て水上に戻って来た瑞希は、比喩無しに今にも死にそうな顔をしていた。


 確かに結構長いこと浸かっていたけれど……そんなことあるかよ。



 既に出来上がっていたものだとばかり思っていた彼女の美しい瞳は、グルグルと渦を巻いて今にも眼球から飛び出して来そうだった。あからさまに紅潮した頬も、単に湯あたりが原因らしい。


 全身の力を抜いて体重を預けて来る。人一人を支えようものならそれなりの労力を伴うものだが、肩を掴んで支えた彼女の身体は羽根のように軽くて。中に必要な臓器が全て詰まっているのかどうかさえ疑わしい。



 その瞬間、俺はすべてを悟る。

 足りないものが多過ぎたのだ。俺も彼女も。


 神の思し召しにしては、ちょっと悪趣味が過ぎるのでは。



「うごけねー……」

「ほら、運んでやるから。そのままでええ」

「んー……たすかるぅー……っ」

「ったく、慣れねえことするから」

「ハルに言われたくねーっつうの……」

「ええから。動くなよ」

「わーい……お姫さまだっこぉー……」


 こんな調子では事を致すにも不十分であろう。

 ガックリと項垂れ、必要な手順を済ませる。


 脱力し囁きにも満たない声をあげる彼女の身体を持ち上げ、風呂場から抜け出す。滑らないように足元へ神経を使うばかりで、一糸纏わぬその身体を堪能する余裕など到底ありはしなかった。



 ただ熱にやられたというわけでもないだろう。

 ずっと無理をしていたのだ。


 勿論俺だって、多少なりとも思うところはあるけれど。生殺しも良いところだ…………いよいよその気になったというのに、こんな終わり方。


 比奈との一件といい、タイミングが良いのか悪いのか。今回に限っては間違いなく後者だけど。



 まったく、気紛れな女神も居たものだ。

 その気にさせて置いてきぼりは、お前も一緒か。



「……はるぅー…………っ」

「そのまま寝とけ。朝までな」

「へへっ…………あんがとねー……」


 意識もおざなりに、腕中で笑顔を蕩けさせる。

 あまりに幸せそうで、怒るに怒れない。



 ……取りあえず、いいか。


 お前とそんな関係になるのも悪くないし、望めるのであればそうしたいし、そうしたかったところだけれど。意識朦朧の人間を襲うほど悪趣味ではないので。



 やっぱり、瑞希。

 お前と共に歩んでいく道のりは。


 これくらい締りが悪くて、どうしようもなく不出来で。ちょっとだけ馬鹿らしい、この程度の適当さがちょうど良いのかもしれないな。



 それとも、少し後悔しているか?

 大丈夫だ。心配は要らない。


 これからも、俺の傍に居てくれるのなら。

 何度だって確かめられる。そうだろ、瑞希。



「……可愛いな、お前。ホンマに」



 耳元でそっと囁いた照れ隠しの拙い告白は、きっと届いていない。こうして穏やかな寝息を立てているうちには、永遠に。


 それはまた、起きてからでいいか。

 これからいくらでも伝えられるし。



 すっかり湯冷めしてしまった。なのに、不思議と寒気を感じないのは何故だろう。ホッとしたようで、どこか名残惜しい。なんとも定義し難い気持ちを、今だけは取り敢えず押し殺すとしよう。



 …………まぁ、でも、うん。

 やっぱり、ここまで嘘は付けない。


 ちょっとだけ。

 ちょっとだけ勿体ない気がしている……。


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