325. もう逃がさない
「……え、な、なにっ? どういうことっ?」
「ペアリング……っつったら分かるか?」
「えっ……そーゆーの、普通カップルで……」
「ただのプレゼント言うたら、店員にだいぶ白い目で見られたけどな。まぁ、ええやろ。バレンタインにも友チョコとかあるやん。それと一緒」
「…………でっ、でもっ……!」
渡したときからずっと着けてくれていた、ピンクゴールドのリングとそれを見比べて。彼女にしては珍しく、おろおろと落ち着きの無い様子だ。
言いたいことは分かる。ただリング一つ渡すだけでも結構な事件だとは思うし、それもお揃いのデザインともなれば、彼女が言い淀んでいる理由も大いに察しが付くところ。
けれど、そういうことじゃ、無いんだよな。
「……指輪にしたのはホンマ偶然やけどな。まぁ、メチャクチャ質の悪いこと言ってる自覚はあるけどよ……なんか、欲しかったんだよ。お前と同じもの。アクセとか着ける柄ちゃうやろ、これなら違和感もねえだろうし……スマホカバーは琴音に取られちまったからな」
物に頼っている間はまだまだだと、それくらい分かっている。
でも、何か一つ。まるで正反対の俺とお前が、確かな絆で結ばれていることを証明してくれる。そんなものが欲しかった。
不器用な人間だと、いくらでも笑うがいい。馬鹿にしてくれたっていい。こうでもしなければ、俺はお前を繋ぎ止める自信が無いのだ。
「…………ありえないんだけど。こんなの、絶対勘違いすんじゃん……分かってるそういうの? 下手したらプロポーズだよ? ねえっ」
「……ところが、俺なんだよな。これが」
「…………ハァー。ほんっともう……分かってないなぁ、女心ってゆーかさ……こんなの……こんなの嬉しいに決まってんじゃん……っ!」
重ね合わせた掌に、再び涙が伝った。
それが悲しみの涙でないことを、切に願う。
「……変わらねえよ。このままや、俺たちは。勝手に成長した……? 馬鹿言ってんじゃねえよ。俺やって、ギリギリのところで必死こいて生きてんだよ。合わせんのはお前の方やろ」
「…………はぁー。なんも言えねー……っ」
「友達でも、恋人でも、家族でも。なんでもええ。お前がどうなりたいかなんて、俺の知ったこっちゃねえんだよ。だから…………その辺に居ろ。ずっと。勝手に離れてったら、俺から追い掛けてやる」
「…………なんそれ。さいてーかよ。ヤバいこと言ってるよハル。結局これも、ぜんぶ保険じゃん。あたしの気持ちガン無視してる」
「知るか。んな奴に気ィ取られてる自分を恥じろ」
「…………あぁー、ここでガッツリ言い返せない自分がニクイ……っ! やっぱあれなんかなぁー、あたしちょっとマゾっ気あんのかなぁーっ……!」
涙を袖で拭って、無理やりに笑顔を作る。
それが偽りでないことを、俺は知っている。
構いやしない。例え強引なものだったとしても。
彼女は、自分の意思で笑おうとしている。
他に、なにが必要だというのか。
「…………絶対に外さないからな。覚悟しとけよ」
「おう。俺もそのつもり」
「どこに着けても、あたしの自由でしょ?」
「…………ん。まぁ、一応な」
なら、こっちがいい。
そんな風に呟いて、彼女はリングを付け替える。
「…………いや、それは不味いやろ」
「なんで? あたしはそーゆー風に受け取ったんだけど。良いじゃん、サイズ一緒なんだしさ。みんなの前では反対にしとくから」
左手の薬指で輝くピンクゴールドを前に、瑞希は心底嬉しそうな様子でニヤニヤと笑う。あまりの恍惚に、緩んだ口元が一向に引き締まらない。
「……ねー。ねーねー、ハルぅー。もうちょっとさぁ、自分の置かれてるじょーきょー、確かめた方が良いんじゃない?」
「…………はっ?」
「だっていま、あたしの部屋で、あたしと二人っきりなんだよ? カギまで掛かっててさぁ、ヤバくない? しかもそんなタイミングで、指輪。指輪だよ、指輪っ! こんなのもう、あれしかないじゃん」
「…………いや、だからそういう意味じゃないってさっき」
「それは、ハルの考えでしょ? あたしは違うんだよなぁ~。あー、もう完全に勘違いした。そーゆーことね。はいはい。もう勘違いしっぱなしだから。残念でしたっ」
先ほどまでの甘ったるい空気から一転。随分と底意地の悪い笑みを浮かべ身体をブラブラと横に揺らす。
まるで普段、俺や愛莉を茶化すときと同じような仕草だが……いったいどういうつもりだ。それに今の台詞……俺の考えなど知ったことではないとでも言いたいように。
「んー……じゃあ、いっこ確認していい?」
「……な、なにを?」
「ひーにゃんと、そーゆーことしたの?」
「…………どういうこと?」
「あぁー、はいはい、分かった。まどろっこしい言い方はやめよー。で、ヤッたの? えっちした?」
「……………………いや、んなわけねえだろ」
「え、待って。今の微妙な間なに?」
正確に言えばそのような関係でないことは明白なのだが、完全には否定し切れない微妙なラインに足を突っ込んでいる手前、瑞希に追及のチャンスを与えてしまう。
グングンと顔を接近させて来る彼女に、思わず身体を仰け反らせてしまう。
って、あれ。待て。
このままだと俺、瑞希に押し倒され――――
「はいっ、捕まえたぁっ!」
「げえっ!?」
「にっふふーっ♪ 逃げらんないよぉ~?」
手首を固定され、身動きが取れない。上から覆い被さる彼女の、不敵な笑みばかりが映る。
…………え? なにこの状況?
もしかしなくても、襲われてない?
目が、目がヤバイんすけど瑞希さん。
完全に捕食者のソレなんですけど?
「あたしのよそーでは、たぶんキスまでは行ってると思うんよね。だって観覧車から降りて来たとき、めっちゃひーにゃんくっ付いてたし、ハルもヘラヘラしてたし。うん。それは間違いないっ」
「…………の、ノーコメントで……」
「まーいいけど。でも、ひーにゃんと付き合ってるわけじゃないんでしょ? だったらさぁ……あたしもハルにキスしたって、なんの問題もないよねっ?」
「いや、それとこれとは完全に違う話……!」
「はい。黙って。ハルにべんめーのよちねーから」
人差し指で口元を抑えられる。そこにどんな武力的行使があるわけでもなかろうに。ついぞ口は回らなくなってしまう。
相も変わらぬ舌っ足らずで。
子どもっぽさの抜けない彼女の声。
なのに、どうして。
下から見上げているからなのか。
どうしてこんなに。あの、瑞希なのに。
どう足掻いたって、瑞希なのに。
切れ長の瞳が、こちらをジッと見つめている。
油断しなくとも、気付けば吸い込まれていた。
「だめ。もう逃がさない」
無様にもポッカリと開いた唇へ、滑らかな感触が伝わる。肩まで伸びた鮮やかなゴールドに顔ごと包まれ。あまりの輝きに、思わず目が眩んだ。
不器用ながら必死に舌を伸ばし、口内を所狭しと侵食する。似たような惰性と気怠い慕情に苛まれた部屋は、秒針の刻みを除いて、一切の不純を寄せ付けない。
再三の追撃を繰り出したのち、ゆっくりと顔を引き離す瑞希。二人を今もなお繋ぎ止める粘り気の強い透明な糸が、俺たちの関係をいかに表しているか。
歓びと不安定の入り混じったような。
少し下品なくらい大袈裟に口元を歪ませ。
躊躇いなく、それを断ち切った。
何度でも繋いでみせる。
そう言わんばかりの、妖しげな笑み。
「しよ。ハル」
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