313. それはそれで腹立ちます


 拍子抜けするくらい、普通の朝だった。


 何も変わらないルーティーンを潜り抜け、乗客数に見合わない本数の少なさで生徒の不満のタネとなっている混雑したスクールバスへ乗り込む。



 暇潰しで眺めていたスマホに、彼女からの連絡は無かった。意図せずとも同じバスに乗ることがあっても、わざわざ時間を合わせるような真似は今までだってしたことはない。


 それでも、何度も何度も彼女との個別トークのページを開いて、飾りの無い文面を入力しては、消して、書いて、消して。そんなことを繰り返しているうちに、山上の校舎へ到着した。



「おっはよーございまああああすッッ!!」


 バスを降りるや否や、後方から元気いっぱい通り過ぎて喧しいノノが一目散に飛び込んで来る。同じ時間に乗っていたのか。


 俺を見つけた途端ヤル気出すな。

 普段からやれそういうの。



「センパイセンパイっ!! 今朝のクラシコ観ましたかっ!? 前半3-1からの大逆転ですよッ! 後半から出てきてのハットトリック、痺れましたッ!」

「……いや、観てねえけど」

「なんですとおおォォォォッッ!? 仮にもサッカー好きがクラシコ見逃すとは何事ですかッ! 勉強不足ですよッ! 怠慢ですよッ!!」


 朝っぱらから大興奮の理由はそれか。

 喧しく騒ぎ立てるノノを尻目に、欠伸を一つ。


 ノノの言うクラシコとは、スペインの代表的なクラブ二チームによる伝統的なダービーマッチを差すものである。サッカーフリークのノノにとっても大満足の試合だったらしい。


 ……試合があること、知らないわけじゃなかったけど。正直、そんな場合でも無かった。というか、家に着いてから眠過ぎて速攻寝ちゃったし。普通に忘れてた。



「てゆーかっ、一緒に通話しながら試合観ようって前に約束したじゃないですかっ! なにノノとの約束破ってんですかッ!」

「無理言うとったろ。明け方4時に起きれるか」

「ノノパワーがあれば起きれますッ!」

「んだよノノパワーて」

「そりゃあ、ノノを愛おしく想う気持ちそのものですっ!」

「んなエネルギー要らんわ」

「ノノルギーでもですかッ!?」

「言い方の問題じゃねえよ」


 ちっとも比例しないテンションに頭を悩ませながら、そう長くも無い校舎への道のりを二人並んで進む。最近何だかんだ忙しそうで練習にも顔出してなかったからなコイツ。舞い上がるのも頷けるが。



「なんかセンパイ、上の空ですねっ。いっつもポケッとした顔してますけど。ノノの話、ちゃんと聞いてますっ?」

「…………あんまり」

「お悩みですかっ? ノノとの約束を忘れて物思いに耽るほどの深刻な悩みでしょうっ! そりゃそうですよねッ! ノノずーっと電話来るの待ってたんですからッ!」

「だから悪かったって……」

「理由教えてくれないと、許しませんっ!」


 プクーっと頬を膨らませ、不満げな態度を取る。

 その件に関してはあとで幾らでも謝るとして。


 今ばかりは、いつもと変わらない姿で接してくれるノノの存在があまりにも有難かった。決して昨晩出来事をマイナスに捉えているとか、そういうわけでもないんだけれど。



「あのさ。お前、今まで彼氏とかおったん」

「どしたんですか急に。精通でも迎えました?」

「とっくの昔に済んどるわ」

「まぁ、当然の如くノノはゴリゴリに年齢イコール居ない歴ですが。ちなみにまだ処女です。道具に頼るタイプですね」

「そこまで聞いてねえよ」


 実に下手くそな会話な導入だとは自覚していたが、望外な情報まで手に入ってしまう。俺が悪いのではない。ひたすらにノノの問題だ。



「往来で馬鹿なこと言うな。仮にも女やろ」

「仮にもって、ノノはちゃんと女の子ですっ! だいたい、話切り出したのセンパイなのに。で、それがどうかしたんですか? ノノ的にはこのまま学校サボって、センパイに諸々ブチ抜いて貰うのも吝かではありませんがっ」

「……よう前にして言えるなホンマ」

「別に隠すようなことじゃないですし。告白なら文化祭のときに済ませている筈ですが、まさか忘れたとは言いませんよねっ?」

「…………若干」

「うわぁ。傷付くぅ~」


 ノノ曰く、彼女のクラスでは俺が彼氏という設定になっているらしいが……本気だと言っていたのは、嘘じゃないのか。こんなところでステルス機能発揮されても困るんだけど。



「ほんと珍しいですね、センパイからそんな話するなんて。で、ノノがセンパイのことエターナルラブだということはお判り頂いたと思いますが、本題は如何なほどでっ?」

「…………いや、な。なんなんやろな、恋愛って」

「……え、もしかしてノノ、喧嘩売られてます?」


 若干の距離を取って謎のファイティングポーズの構えを見せるノノであったが、ここまで来てもうだつの上がらない様子のままの俺を見て、流石に思い直したのか。



「決めちゃいましたか、覚悟とやらを」

「いや、決まらんから悩んどんねん」

「考えるようになっただけでも成長ですかねぇ」

「言うじゃねえかノノの癖に」

「そんなノノに真面目な顔して相談してるのはどこの誰センパイですかっ?」


 それはその通りなんだけど。


 朝っぱらから顔を合わせたのは偶々だが、思いのほか適任な気がしていた。


 陳腐な脳ミソで生きているように見せかけて、ノノはしっかりと自己主張の出来る人間だ。彼女に限った話では無いが。



「何があったか詳しくは存じ上げませんし、別に興味も無いですけどっ。どーせノノのことじゃなくて、他のセンパイとのことで悩んでるのはだいたい分かりますしっ」

「…………まぁ、な」

「そーゆーところがセンパイの駄目なところですね、ほんとにっ! 仮にも場の流れとはいえ、正式にコクってるノノを相手に恋愛相談とか、空気読めなさ過ぎですっ!」

「それな」

「軽く流す癖も辞めた方が良いですよっ」


 別に流したくて流しているわけではない。

 ノノの気持ちも、理解はしているつもりだ。


 ただ今日この場に限っては、ノノがノノたる所以に頼りたくなってしまったというか。平場のお前だからこそ話せることもある。それも怠慢と指摘されれば、もう身動きも取れない。



「簡単ですよっ。好きだと思った瞬間に、恋は始まるんです。ちゃんとした理由とか、要らないんです。ノノはありましたけど。センパイ思いのほか頭固いんで、そーゆーところしっかりしてないと納得できない性質なのも、まぁ分かってますけどね。でも現実は、想像よりもずっと簡単です」


 昨日言われたことを、そっくりそのまま復習させられている気分だ。溺れるだけの感情が、さも正解であるかのように彼女も宣う。


 こうも続けて肯定されてしまえば、流れてるのも悪くないと考えてしまう自分も居る。偏に俺が悪くないと主張したいのも、個人的なプライドに過ぎないのだろうか。



「良いじゃないですかっ。ノノみたいなお情けで生きている人間が言うのもなんですけど、センパイってめっちゃ恵まれてますよっ。少なくともセンパイのこと好きでしょうがない人間が、目の前にこうして居るわけですからっ。甘えちゃっても全然良いと思いますよ?」


 恵まれているのは、今も昔も一緒か。

 それをどう扱うかも含め、すべて俺次第と。


 多少なりとも社会に馴染み得ないエゴイズムのなかで、みんな生きているのだろう。俺だけが指を咥えていても、なにも良いことなんて無いのだ。


 何も変わらない。

 恋愛一つとっても、同じことか。



「…………ええ女やな。お前」

「感謝の気持ちは熱い抱擁でお願いしますっ☆」

「それは無理。でも、フリなら教室までな」

「……ほえ?」


 上履きに履き替え再び合流すると、すっからかんの右手を掴んで校舎を突き進む。目指すは一年のフロア。ノノの知り合いと思しき後輩から熱い視線が飛び交うが、無視を決め込んだ。



「ちょちょちょっ、なんですか急にっ!?」

「オレのこと彼氏や言い触らしとんやろ。なら手ェくらい繋いでねえと、怪しまれんじゃねえか」

「いや、そのっ、流石に厚顔無恥に定評のあるノノとはいえ、こうも露骨にアピールするのは気が引けると言いますかっ……」

「知るかよ」


 ノノのクラスにまでやって来た。教室内のクラスメイトたちが、俺の姿を見てやいやい騒ぎ立てている。


 朝から教室にまで彼女を送り届ける、優しい彼氏。そんな風に思われているのなら、大方成功だ。

 


「まっ、マジでどうしちゃったんですか……っ?」

「こんなときくらい、ええ顔させろ」

「……まぁ、イヤではないですけど……っ」


 珍しく顔を赤らめていじらしい態度を取る。


 こんな姿がしょっちゅう見られるなら、抱き合わせのしょうもないエゴイズムも認めてあげられる気がする。お前だけに留まらないという点については、謝る気も無いけどな。



「……やっぱ気になります。なにがあったのか」

「それはまた後でな。ほら、行って来いよ。好きなだけ自慢して来い。あとで話も合わせてやっから」

「クッ……余裕綽々のセンパイもそれはそれで腹立ちますっ……! ほんとにっ、ホントにあること無いこと言い触らしますからねっ!?」

「好きにせえ。やりたいようにやりゃ」

「…………ああもうっ、いいから早くどっか行ってくださいっ! ノノのリビドーが溢れ返る前に、一刻も早くっ!!」


 胸元をドンと押して、その勢いのまま教室へ消え去る。照れ隠しというか、隠すつもりも無い分かりやすさだった。今日は俺の勝ちだ。



 さて、後輩を甚振るのもここまでにしよう。

 悪く思うな。お前だけが特別じゃないんだ。



『おはよ。ノノちゃんとラブラブだね』

『相手してやるから、教室で待ってろ』

『やった』



 忙しくスワイプさせた指先に、彼女も待っている。


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