267. 2歳の頃から知ってる
突然現れた俺と有希に、愛莉は酷く驚いていた。
だが、心配になってつい来てしまったと正直に打ち明けてみたところ、彼女も彼女で少しホッとしたように肩を撫で降ろした。
解決云々ではなく、彼女がいま必要としている要素をどうにか俺たちで賄うことが出来たという現実に、似たような鼓動のリズムを刻む一方である。
それと反比例するように、元より無表情を貫いたままの長瀬弟は憮然とした態度をいっそう露骨に表している。
俺と有希が一緒に居るという事実も含め、何故ここにいるのか。関係無い奴らは引っ込んでいろと、口にされずとも言いたいことの八割は伝わる。
「……取りあえず、どうなった?」
「……向こうの親御さんも来てて、私が謝って、一応には解決……なのかな。大会近いから、学校もあんまり大事にはしたくないって感じだったし……」
「そうか……」
二人で出て来たところを見るに、後に引くような状況でも無いのが幸いと言ったところ。しかし、それはそれ。これはこれ。
ともかく、この問題児のやさぐれた態度をどうにかしないことには腹の虫も収まらない。どんな権限があって横入りして来るのかと言われたら、その通りではあるのだが。
「マコくんっ、どうして……っ!」
「有希には関係無いよ。話したってどうにもならないし」
目線も合わさずぶっきらぼうに答える長瀬弟。連れない態度に、有希も口を塞ぎおずおずと立ち退く。
「廣瀬さん……っ」
「後で話はしてやっから。今だけ我慢しろ」
「はいっ。あのっ、よろしくお願いしますっ……」
少し涙目の彼女を宥めるよう頭を撫でる。
彼女自身、取りあえず様子を見に来たは良いものの、どう振る舞えば良いのか分からなくなっているようだし。一旦身を退かせるのが賢明だ。
「場所を変えよう。その辺に座れる店あんだろ」
「……えぇ。アンタにも聞いといて欲しいし」
「ちょっと、姉さん。この人は関係な――――」
「私が、必要だって言ってるの。真琴は黙って」
存外に強い口調のおかげか、姉が姉たる所以か。怒りの色を滲ませた愛莉の言葉に、長瀬弟はすっかり委縮し口を噤んでしまった。
それでも、俺を睨め付けるような不快交じりの視線が止むことは無い。
お前の言いたいことは、まぁ、分かるよ。
本当なら、俺が口を出していい問題じゃない。
けれど、愛莉が必要だと言ってくれた手前、俺だって易々と引き下がるわけにはいかないんだ。思うことが無いわけでもないが、今回ばかりは余計な手出しを許して欲しい。
それに、俺もちょっとだけ怒っている。
それはきっと、お前も同じなんだろう。
本当なら、今この瞬間お前に寄り添うべきは、有希でも、俺でも、ましてや愛莉でも無い。もっと適した人間が、ここに居なければならない。
だからこそ、俺は見過ごすことが出来なかったのかもしれない。
お前が抱えている怒りの根源は、実は全く違うようで、結構似ている。そんな気がしたのだ。
* * * *
有希と駅前で別れ、すぐ近くの喫茶店へ腰を降ろす。相も変わらず長瀬弟は不満を露わにしていたが、氏を強引に隣へ座らせ、注文のホットコーヒーの到着を待たず話を切り出した。
「一応、おおまかな流れは聞いたけどさ。でも、信じてないから、あんなの。真琴が一方的に手出しするような子じゃないって分かってるし。理由があるんでしょ?」
「…………別に。なにも間違ってないけど。ちょっと余計なこと言われて、ムカついたから、殴った。それだけだよ」
「アンタが喧嘩慣れしてないことも、ちょっと叩かれたらすぐ泣くような弱虫だってことも、2歳の頃から知ってるのよ。今更言い訳しないで」
毅然とした愛莉の態度に、長瀬弟は居心地悪そうに口元を歪めた。初めて二人で居るときには見えて来なかったけれど、やはり愛莉は俺が思っている以上にしっかり姉をやっている。
こんな愛莉を知らなかったわけでもないけれど。なんなら似たような立ち位置で、彼女に叱られたのだから。だからこそコイツの煮え切らない態度が苛付くし、同情もしてしまう。
「……余計なことって、なに言われたのよ?」
「…………試合に出れもしないのに、練習に顔出すのがウザいから、辞めろって。それで、お前らが下手くそなのが悪いって言い返して……それで、ちょっと……っ」
間違ったことじゃないにしろ、言い過ぎな感は否めない。俺みたいな年がら年中相手を煽り倒していた人間が言えたモンじゃないけど。
ただ言い分が真実であるのなら、先に因縁を付けて来たのはそのクラスの奴ということになる。恐らく、サッカー部の同期なのだろう。
「結局、最後の大会も出られないの?」
「……資格が無いんだってさ。登録できないって」
「やっぱり、そうなのねっ……」
確か長瀬弟は、クラブチームから中学のサッカー部に移籍ではないにしろ、所属を変えていたという話だ。
時期が時期なら、大会への登録に支障がある。年度を跨がないと選手登録が出来ないというルールがあったはずだ。
愛莉が話していた「取りあえず所属はしている」というのはそういうことか。つまるところ、試合に出れないのに実力では抜けているコイツへの妬みがそもそもの原因と。
中学生の精神年齢じゃ、言わんとすることも分からんでも無いけどな。それにしたって、幼稚な考えではあると思う。コイツにしても好きで甘んじているわけでもあるまいに。
「ごめんね、キツく当たっちゃって。でも、正直に話してくれて嬉しいわ。真琴が悪くないって分かっただけで、十分よ。私が今度、学校にちゃんと抗議しに行くからっ」
「いいよっ、そんなの……どうせ同じようなこと言われるんだし。それに、もういい。サッカー部も辞める。どうせあと半年で卒業だし……っ」
「でも、一人で練習って辛いわよ? 私も経験あるけど……やっぱり、レベルは仕方ないにしても、ちゃんとチームの練習に混ざるのって、大事だと思う」
「…………なら、どうしろっていうのさ」
「簡単よ。放課後、ウチに来ちゃえばいいの。フットサル部に。別に中学生が練習参加しちゃいけないなんてルール無いんだし、ねっ?」
同意を求めるようにこちらを窺う愛莉。
が、そう簡単に話が運ぶわけも無い。
「……でも、この人がいるんでしょ」
「この人、じゃないでしょ。年上なんだから」
「嫌だね。同じピッチに立つのも御免だよ」
「ちょっと、真琴っ!!」
今度は面と向かって拒否されたか。
だからなんだとは思わないけど、ここまで来るとコイツも意地を張っている。最も、それは違うと俺が言ったところで、聞く耳も持たないだろうが。
「姉さんがいるなら良いかもって思ったけど、やっぱり無理。姉さんはこの人の何が良いのか知らないけど、自分は信用できない。信頼も。自分には、ただ上手いだけでそれしか無いって、そういう風に見える。一番嫌いな奴だよ。アイツらとなにも変わらない……っ」
「だからっ、ハルトはそんなんじゃ……ッ!」
「もういいよ、もう、いい。姉さんも一緒だよ。自分のこと、なんにも分かってくれてない……分かってるフリしているだけだ。自分のことは、自分で何とかする」
「真琴っっ!!」
生死の声を振り切り、その場から立ち上がる長瀬弟。あれだけ全幅の信頼を寄せている姉の言葉も、もはや耳には届かないようであった。
「買い物頼もうかと思ったけど、やっぱりいいや。そんなにこの人が良いなら、家にも帰って来なくていいから。母さんの世話も自分一人で十分だよ。好きなようにすればいいじゃないか。自分より……この人の方が、大事なんだろっ……!」
「……そんな言い方っ!!」
声を荒げる愛莉。一触即発の空気が店内に漂う。
ここで何もアクションを起こさなかったら、嘘だろう。俺には見えている。これは、ただの姉弟喧嘩ではない。
下手したら、この姉弟の運命が決まってしまうかもしれない。そんな局面を迎えている。恐らく愛莉もそれを予感していて、きっと一人ではコントロール出来ないと、彼女なりに分かっていて。
だから、俺がここにいる意味がある。
それが彼女からの信頼だとすれば。
間違っていても構わない。
声を挙げる、ただそれだけの必要性。
「愛莉。あんま都合の良い嘘ばっか付いてやるなよ。だからいつまで経っても気付かねえし、直す気にもならへんのや」
「…………ハルトっ……?」
「貴方も、余計なことしないでくださいっ! アンタのせいで姉さんも…………とにかくっ、これはウチの問題なんですっ! 邪魔しないでくださ――――」
「邪魔なんはどっちやねん、ダボが」
伝票を捻り潰し、不快な引っ掻き音と共に椅子を立つ。やや見上げる格好のソイツは、少し怯えているようにも窺えた。
愛莉より低く、瑞希や比奈よりは高い背丈。なのにどうしてか、あまりにも小さく映るその身体。
また、似たような奴を見つけてしまった。
不思議な縁か、或いは過剰な因果か。
どうしてこう、分かりやすく集まるものかな。
ようやく分かった。
俺がコイツに苛付いている理由。
お前も似てるんだよ。
あの頃の、どうしようのない俺にそっくりで。
顔見てるだけで、イライラして仕方ねえんだ。
「詳しい事情なん知らん。けどな、お前がチームメイトから嫌われてんのは、お前が上手いからでもなんでもねえ。それどころか…………飛び切り下手くそなんだよ、お前みてえな奴」
「教えてやるよ。身体だけは暖まってんだろ」
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