252. わたしのことしか、考えちゃダメ


『お願いします。黙っててください』

『一生のお願いです』

『お願いします』

『お願いします』

『お願いします』

『許してください』

『お願いします』

『ケーキ食べ放題で手を打ちます』

『お願いします』

『お願いします』

『お願いします』



「お前のせいやからな」

「うん、分かってる……っ」


 比奈のスマートフォンへ送られる無数のメッセージを暫し眺めながら、顔を引き攣らせる二人であった。よくこんな短時間にこれだけ送れるものだ。限界を超えるとフリック入力も上手くなるのか。



「陽翔くんも、その、ごめんねっ?」

「いや、もうええけど……らしくねえな」

「……ビックリしちゃって、思わず……」

「思わずの範疇越えとるやろ」


 約束の時間に遅れてしまった俺に非があるのは違いない。


 が、幾ら悪ノリしがちな比奈とは言えど、琴音を追い詰めるような真似も珍しいと思った。純度100パーセントの悪意で無いのがまた恐ろしいところだが。


 なんというか、比奈にしてはラインを超えて来たな、と思った。言うて瑞希なんか、しょちゅうライン上で反復横跳びしてるようなもんだけど。あれはあれで問題がある。うん。



「本当に、違うんだよね……っ?」

「アイツの言うた通りや。コケただけ」

「…………そっか」


 理解はしたが、納得はしていないと顔に書いてあるようだった。事のきっかけとしては、何も間違っていないのだ。これ以上、余計な情報を付け足す必要も無い。


 何よりも、琴音がそう望んだことだ。

 フェアでないことはしたくない。



「……やっぱり、嫌な女だよね。わたし」

「…………え」

「あんなことしたら可哀そうだって、ちゃんと分かってるのに、分かってたのに、琴音ちゃんに嫌な思いさせちゃって……嫌われちゃったかな……っ」

「いや、それは万に一つもありえんだろ」

「でもっ……」

「だとしたらこんな文章送って来んわ」


 小学校来の付き合いである二人の関係性がどれほど親密なものか、そのすべてをこの数ヶ月で知ったつもりは無いが。少なくとも、琴音の比奈に対する愛着はそんじょそこらのものは一線を画す。


この程度のやり取りで喧嘩になったり嫌いになったりすることは無いだろう。むしろ比奈と距離を置くことを一番嫌がっているのは、他でもないアイツなんだから。



「……わたしも、初めてなんだ」

「…………なにが」

「琴音ちゃんのこと、羨ましいなって思ったことはいっぱいあるよ。わたしに無いものを、琴音ちゃんは沢山持ってるから。でも…………嫉妬しちゃったのは、初めてかも」


 複雑そうな面持ちと比例するように、指先を忙しなく絡める。明晰な彼女であっても、経験したことも無い感情に襲われ、正しい判断が出来ていないことは目で見るより明らかであった。



「わたしと琴音ちゃん、意外と趣味は被ってないっていうか……同じものを好きになることはあっても、取り合いになったりとか、そういうのは一度も無かったの。だからなのかな」

「一人間を趣味扱いすんな」

「だって、しょうがないんだもん」


 唇を尖らせ、らしくもない我が儘な装い。


「ズルいんだもんっ。陽翔くん、琴音ちゃんのことすっごい気に掛けてるし、でもわたしのことはそうでもないしっ。本当に、敵わないよ。妬けてくる。むかむかするっ」

「そう言われても……」

「今日のデートだって、わたしが一番最初に約束したのに。出来るだけ長くいられるように、遅い時間からってことにしたのに。そしたら、色々と先越されちゃうし。ダメダメ。陽翔くんも、琴音ちゃんも悪くないって、分かってるけど……わたしの問題だって、分かってるけど、ね」


 穏やかな声色こそ、いつもと変わらぬ大人しいものだが、その言葉のなかには自身の不甲斐なさと現状への不満がありありと見て取れた。



 お前もお前で、面倒な性格してるよな。

 その辺り、まだまだ変わらないか。


 フットサル部で一番我が強いの、もしかしなくても比奈なんだよな。やっぱり。なまじ中途半端に空気が読めるから、どうしても自身の優先度が低くなってしまうだけで。


 彼女が望んでいるものを、俺はほんの少しだけ知っている。それを彼女は有り体に一纏めしないだけで、なんとなく取り繕っているけれど。察しの悪い俺だって、気付くものはある。



 私の我が儘は、こんなものじゃない。

 一週間前、彼女はそう言った。


 我が儘のうちに入れてはいけないのだろう。勝手に重しを着けて、それが無くなった、見えなくなった瞬間を見計らって、そんな言葉で自身の心を騙しているようなもの。


 だとしたら、誤解を解く方法は彼女でなく、俺が持っているのかもしれない。

 決して同情なんかではなく、俺がそうしたいから、するまでだ。他の三人と何ら変わりはない。


 同じであることさえも、罪と言うのなら。残念ながら、俺にはもうどうしようも出来ないけれど。



「……で。どこ行くんや」

「……………琴音ちゃん追い掛けなくて良いの?」

「アイツとの時間はもう終わりや。今は、比奈」

「でも、わたしも琴音ちゃんに謝らなきゃ。ほらっ、せっかくだし、三人で色々見て回るっていうのは……」

「思ってもねえこと言うな」

「ひゃっ!」


 手持無沙汰の小さな右手を掴んで、強引に手繰り寄せる。


 なんでこう、比奈に限らず素直になれない奴らばっかりなんだろう。こんなことまで俺の所為と言われたら、堪らんわ。



 本当に、申し訳ないとは思っている。


 比奈がどう思っているかなど、俺には知ったこっちゃ無いのだ。いま、俺が抱いている想いは恐らく誰に対しても平等で、一切の差が無く、優劣の欠片も見当たらない。


 こうして彼女の手を取るのも。思わせぶりな態度を見せるのも。すべては俺が望んだことで、それ以上の価値は無い。


 そこに何らかの意味を見出したとして、俺は責任を取らない。取れないのだ。



 いくらでも恨んでくれていい。

 だから、自分を責めるのは辞めにしてくれ。


 思いつめた表情のお前より、呑気に笑っているお前の方が、俺はずっと好きなんだから。


 何かと策略しがちで、腹黒い部分も、全部ひっくるめて。この時間に限っては、お前だけが必要だよ。



「デート、するんだろ」

「…………うんっ……」

「なら、三人目は必要無いな?」

「それは…………まぁ、そう、だねっ……」

「行きたいとこあんだろ。連れてってくれよ」

「…………もうっ。ホントに、ズルいんだからっ」


 すると彼女は、繋がっていた手を離し反対の腕まで使って、さも自然な流れで俺の左腕を力強く抱き締める。所謂、腕組みというやつだろうか。


 愛莉や琴音には及ばずとも、控えめとも言い切れない、柔らかな二つの自己主張が生々しく伝わる。


 比較対象がバグってるだけで、比奈も中々に……いや、それは良いんだけど。良いこたないが。いま気にするべきはそこじゃない。



「じゃあ、絶対に離さないから」

「……好きにせえ」

「みんなから勘違いされても、知らないんだから」

「もとより覚悟の上や」

「わたしのことしか、考えちゃダメだからねっ」


 少しだけ頬を膨れさせて、上目遣いでじっくりと瞳を捉える比奈。見慣れない光景に、平然を装うにも労力が伴う。


 なんだこの、可愛い生物は。

 ホントに勘違いしてるよ。


 なにが琴音には敵わないだ。お前にしかない武器、しっかり持ってんじゃねえか。



「ほんとに、ほんとに知らないんだからっ。陽翔くんがどれだけ嫌がっても、ぜったいに離さないから。逃がさないから。覚悟しててよねっ」

「逃げねえよ、どこにも」


 出会ったときから変わらない、この世のすべてを慈しむような、優しい瞳。ようやくいつもの彼女が戻って来たようで、少しだけ安心した。


 けれど、俺が知っている比奈は、もうきっと、ここには居ないんだろう。


 でも大丈夫だ。寂しさを感じる余裕も無いくらい、お前とのデートにワクワクしてるんだから。



「漫画部と文芸部が共同で展示してて、そこに行きたいの。こういうの、陽翔くんしか分かってくれないと思うし。いいよね?」

「……欲しいものでもあるのか」

「分かってるんでしょ?」

「なんとなくな。言いたくはねえ」

「逃がさないよ、絶対に」


 不味いな。やっぱり不安になって来た。

 自重する気無いなコイツ。


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