249. 可愛いっつったら可愛い


「…………重たくねえの?」

「そっ、それなりに……っ!」

「でしょうね」


 お目当ての品をゲットしビンゴ大会を後にしたは良いが、抱き抱えたペルシャ猫モチーフの巨大ぬいぐるみは、前方への視界を真っ向から遮る。


 フラフラとした足取りでどうにか進もうにも、人混みの網に引っ掛かり思うようには運ばない。



「だから、俺も持つって」

「とても有難い申し出ですがっ、ぬいぐるみを二人掛かりで持ち運ぶなど、周りからどう見られるか分かったものでは……っ!」

「今更やろ」


 下手したらどこかの出し物の宣伝か何かだと既に思われてる。


 そもそも、依然として「人を待っています。声を掛けないでください」プラカードを外そうとしないお前が言えた口なのか。どちらにせよ目立ってるんですが。



「普通に危ないだろ。前見えてねえんだから」

「……それは、まぁ……」

「ほらっ、こうすりゃ楽になんだろ」

「あっ、ちょっ……!」


 可愛らしくも凛々しさに溢れるペルシャ猫にしろ、どうしたって土下座をしているわけで。横長の身体を倒してしまえば、その情けない顔を大衆の面前に刺すことも無くなる。


 不格好な面持ちであることに違いは無いが、このぬいぐるみが生を享受した瞬間より受けている辱めに比べればなんてことは無いだろう。



「どこか置かねえと。歩くにもひと苦労や」

「……普通に、このまま持って帰りますけど」

「あ?」

「今日の目的は、このぬいぐるみを手に入れる以外にありませんから……申し訳ありませんが、バスの停留所まで付き合ってください。あとは一人で運ぶので」

「いや、このあとどうすんねん」

「ですから、特に予定はありません」


 なんの臆面も無く言い切るんじゃない。


 まさか、本当にこれだけが目的で俺を誘ったんじゃないだろうな……琴音だったらあり得ないとも断言できないのがアレだけど。



「なんや。俺と一緒に居るのもイヤってか」

「そういうわけじゃありませんけど」

「なら、帰らせん。ぬいぐるみなん、取りあえず更衣室にでも置いておけばええやろ。比奈との約束まで結構あるし、もうちょっと付き合えよ」

「……しかし、私と何をするというんですか?」

「別になんでもええやろ、適当に見て回れば」

「……それで、楽しいんですか?」


 一瞬立ち止まった彼女は、ぬいぐるみに顔を埋めるようにして。けれども目線だけはほんのちょっとだけこちらへ寄越して、いじらしく様子を窺いに掛かる。強く押し付けた胸元でペルシャ猫も心なしか嬉しそう。


 なんだその、男を興奮させるためだけに生み出されたみたいな装いは。無自覚でそういうことやるな。興奮するだろ。



「その……私から誘っておいて、こういうことを言い出すのも良くないことだと思いますが…………私のようなつまらない人間と居ても、陽翔さんは楽しくないのでは……っ? せっかくの文化祭なんですから、それこそ比奈もですけど……愛莉さんや、瑞希さんとの時間を大事にした方が良いのでは……」


 また、そんなこと言い出して。

 放っておくとすぐにこうなるなお前。


 そうか。ここ最近、あんまりお前のこと褒めてやってないもんな。俺だってわざわざ何度も言いたかないけど、そろそろヤキ入れてやっか。



「なにいじけてんだよ。可愛いな」

「かっ、可愛くは無いです……ッ!」

「可愛いっつったら可愛いんだ、よっ!」

「あっ……かっ、返してくださいっ!」


 強引にぬいぐるみを奪い取り、一旦地面へ。勢いのまま首に掛かっていたプラカードも取り外す。取り乱した彼女を制するように、バコン、と頭部へ軽い一撃。



「ふにゅっ」

「さっきも言ったやろ。俺が、お前のために時間使ってんだよ。ならその間は、お前をどう扱おうが俺の自由や。黙って付き合え。ええな」

「…………その言い方は、ズルいです……っ!」


 隠すものさえ無くなり、真っ赤に染まった頬を無防備に曝け出す。視線だけは逸らそうにも、必要以上に詰めてしまった、近すぎる距離感故、それが叶うことも無い。



「こういうこと、皆さんにもやってるんですか」

「いや? 琴音だけ」

「そ、そうですかっ……まぁ、そのっ……私は比較的、寛容なので……あまり、誰彼構わずこういったことはしないように……お、お願いします……っ」


 まるで「自分以外にはこんなことするな」と言わんばかりの口ぶりである。そういうところが、お前ホンマにさ。なんなんだろう。好き。



「新館行くぞ。荷物纏めっから」

「はっ、はい……分かりました……っ」


 代わりにプラカードを首に掛け、ぬいぐるみを背中に乗せる。これが結構重たいんだけど、この二つを手に持っている以上は何も始まらないというか、そんな気もして。


 空いた左手で琴音の右手を掴み、再び廊下を進み始める。


 力無く握られた右手の握力は、まだまだ本調子とは行かないまでも、ひとまずその意志だけは確認出来たようで、少しばかり安心した。



「わぁぁぁーーっ! ねこちゃんだぁぁ!!」

「ぬうぉっ!?」


 が、前に進もうとした瞬間、背中へとんでもない圧力が掛かり危うくバランスを崩し掛ける。ギリギリのところで立ち止まり、後ろへ振り向くと。


 そこには、見知らぬ幼稚園児くらいの女の子が、背中のぬいぐるみを羨ましそうに眺めながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねる姿が。



「いーなーいーなー! ねこちゃんほしいー!」

「…………お知り合いですか?」

「いや、幼稚園児は流石に……」


 恐らくドゲザねこの姿が目に入って、反射的に飛び込んで来てしまったようだ。周りに保護者らしき大人も見当たらない。


 よほど気に入っているのか、右手を差し出してグイグイと引っ張って来る。来るのが分かっているからこそ問題は無いが、中々の強引さだ。


 欲しいのか、このぬいぐるみ。

 でも、土下座してるんだぞ。猫とはいえ。



「なんでおじさんぬいぐるみもってるのー? おじさんなのにっ! あはははっ!!」

「いやっ、おま、おじさんて」

「この子の年齢なら、そうも見えるのでは?」

「おかしいやろ制服着とるやんけ」


 あまりにも純粋で無邪気な一言に若干凹んでいると、琴音はおかしそうに口元を押さえ、吹き出すように笑う。


 どうやら先ほどまでの緊張は、すっかり解けてしまったようだ。幼女の力は偉大である。


 すると琴音は、幼女と同じ背丈の位置まで屈んでその子の頭を優しく撫で、聞いたことも無い優しい声色で語り掛ける。



「駄目ですよ。この子は彼の物なんですから」

「えぇー!? やだぁぁー!」

「人の物を勝手に取るのは、泥棒ですよ」

「でも、欲しいもんっ」

「仕方ないですね……お母さんはどこに?」

「えっとねー、あっちー!」

「そこの教室……2年D組です。読めますか? もしかしたら、同じものが置いてあるかもしれません。お母さんに相談すれば、貰えると思いますよ」

「わぁぁっ! おねえちゃん、ほんとにっ!?」

「はい。きっと手に入ります」

「わかった! ありがとねおねえちゃんっ!!」


 幼女は元来た道へと駆け抜け、後ろから歩いて来たお母さんと思わしき女性に抱き着いた。


 危機は去ったか……幼女とコミュニケーション取るスキルは持ち合わせていない。無理。


 立ち上がった琴音は、ニコニコと笑いお母さんの服を引っ張る幼女を遠目に眺めながら、少し複雑そうな表情をしている。



「悪いことをしてしまいました。同じ景品が用意されているとは限りませんから……でも、こればかりは譲れません。そこまで人間、大きくないので」

「いや、それが普通やろ。琴音は悪くねえよ。幼女の頼みが全部通るほど世間甘かないで」

「そうですね。小さな子どもは何処ででも重宝されて然るべきですが、度を超えれば政治犯を悉く処刑し子どもに権力を与え過ぎた、ポルポト政権のクメール・ルージュのようになってしまいます」

「その例えはまったく分からん」


 謎の豆知識はどうでもいいとして。


 少し、意外な一面だな。いつも鉄仮面の如く同じ表情をしている琴音が、あんな優しい顔を見せるなんて。そりゃ幼女を前にすれば誰だって気も緩むかもしれないが。



「子ども、好きなんだな」

「えぇ。まぁ、それなりには」

「でも敬語使うんか、やっぱ」

「癖ですから。小さな子どもに限った話ではありません…………両親相手でも、似たようなものです。小さい頃に付いた癖って、中々抜けないんですよ」

「…………琴音?」

「このドゲザねこまで奪われたら、堪りません」


 ただ穏やかな面持ちで母親と幼女を眺めているだけでは無かったことに気付いたのは、そんなフレーズを耳にした直後だった。


 慈愛に満ちたその大きな瞳は、どこか一抹の羨ましさのようなものを孕んでいるようにも見える。


 それこそ彼女の言葉通り受け取るのであれば、自分には持っていない何かを、あの家族は持っていると。そんな風に訴えているようで。



「行きましょう。また狙われたら大変です」

「…………そうだな」


 先を歩く琴音の背中を、ジッと見つめていた。


 俺の前でだけは、表情をコロコロと変えてしまう彼女。しかし、すぐに元通りになってしまう、不思議な造り。


 彼女のすべてを知っているわけではない。だが、その一端をほんの僅かな出来事の間に垣間見てしまったようで。長い黒髪で遮られた小さな背中が、少しだけ寂しそうに映った。

 

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