250. 期待せずに待ってます


 女子更衣室へぬいぐるみとプラカードを叩き込み戻って来る琴音。


 涼しい顔をしているが、ぬいぐるみを二人で抱き抱えたここまで道のりが、まぁまぁエレクトリカル味のあるパレードというか、子ども向けの珍道中であったことだけは予め記しておこう。



 新館の二階には更衣室とダンススタジオしか無いので、それらしい催し物を置くことも出来ず。文化祭の最中では最も閑散とした場所だ。そもそもこの二日間は在校生以外、入ることも出来ない。


 一階の柔道場や剣道場、アリーナでは昨日に引き続き軽音部のライブやチア部の発表で盛り上がっているのに、二人だけが冷めやらぬ熱気から取り残されてしまった感覚だった。


 台風の目のなかで迎える、束の間の平穏。



「ん、有希?」


 メッセージが届いていた。確か友達と合流して一緒に回るみたいなことを話していたな。本当は昨日来て、俺と写真を撮りたかったらしいけど。模試か何かでどうしても外せなかったとか。



「早坂さんですか」

「文化祭来とるって」

「……会いに行かれないのですか?」

「山々やけど、お前と居るし」


 夏祭りでも二人きりで出掛けているし、わざわざ琴音との時間を割いて会いに行くのもどうかとは思う。今回は有希からのお誘いが無かったんだし。


 まぁ、気を利かせてくれているんだろうけど。サラッとこういうところで意識させて来るから、テクニシャンだよなぁ。自覚があるのか無いんだか。



「早坂さんとはその後、どうなったのですか?」

「別に、なんも。今まで通り」

「……告白されている身の上でしょう、貴方も」

「アイツが今のままでええ言うたんやから、俺からはなんも出来ねえよ。気軽にはいとも、いいえとも言えねえし」

「…………そう、ですか」


 やや気だるげに返したその言葉をどう受け取ったのかまでは分からないが、どこを見る様子でもなくボンヤリとした曖昧な目線を寄越し、肩の力を抜く琴音。



「なんや、ご不満か」

「そういうわけでは…………ただ」

「ただ?」

「…………陽翔さんも、分からないんですか?」

「……なにが」

「所謂、恋愛沙汰といいますか」

「まぁ、経験無いしな」


 有希からの告白が人生史上初めての体験だったわけで、俺自身、誰かのことを明確に好きだと感じたことも無い。とことん縁の無い人生を送ってきた自負がある。だからこそ、置かれている現状にひたすら困惑しているのも事実なのだが。


 もしかしたらフットサルの連中に抱いている気持ちが、まさにそれなのかもしれないし、そうでないかもしれない。


 有希に限った話ではない。きっと俺は、フットサル部の誰かから同じように想いを伝えられたとしても、やはり似たような返事をしてしまうのだろう。


 だから状況的には、琴音と一緒だ。

 これを恋とも、愛とも呼べるか疑わしい。



「……重い物を持って疲れてしまいました」

「え。あ、おん」

「少しソファーで休みましょう」

「別にええけど……言うてそんなに時間無いで」

「構いません。私の時間でもあるんですから、それをどう使おうが私の自由です。貴方が先ほど仰ったことですよ」

「……まぁ、そりゃそうだけど」


 更衣室のある二階のフロアには、普段フットサル部が占領している談話スペースと似たソファーが何列か置かれている。主に運動部が練習後にたむろしているテリトリーだ。


 現状、誰かが使う様子も無いので、俺たち以外に利用者の影は一つも見当たらない。ゆっくり身体を休めるには丁度いい環境ではあるが。



「……座らないんですか?」

「……じゃあ」


 促されるままに彼女の横へ。

 肩がほんのりと触れ合う、微妙な距離。


 …………いや、なにこの時間。

 休憩するにしたって、一向に休まらんぞ。



「……なんやこっち見て」

「貴方こそ、なんですか」

「なんもねえけど」

「それは私も同じです」


 取りあえず座ってみたは良いものの、お互い何をするわけでもなく、ただ来もしない電車をベンチに座って待つような、生産性の無い時間が刻々と過ぎていく。


 彼女がどのような意図を持ってこうしているのか、いよいよサッパリ理解不能だった。


 何も考えていないとすれば、そうかもしれないけど。この人、案外ノープランで生きてるし。



「…………不思議ですね」

「……え」

「人間とは、本能的に他者とコミュニケーションを取ろうとしてしまう生き物なのです。必要性が無くとも、気付かぬうちに口を開いてしまいます。日本人なら猶のこと、空気を読むという観点において、コミュニケーション能力は何よりも重視されます」


 突然人間の心理に触れ出す琴音さん。

 なんの話だ。急にインテリぶるな。



「フェスティンガーという心理学者の研究によると、人間の取るコミュニケーションは、道具的コミュニケーションと、自己充足的コミュニケーションの二つに分かれるそうです。例えば、私が貴方に「座ればどうですか」と促したのが道具的コミュニケーションで、今こうして、私がなんてことないことを話しているのが、自己充足的コミュニケーションということになります」

「……へー」

「興味無さそうですね」

「んなことねえよ」

「顔に書いてありますよ」


 ぶるっていうか、実際本当にインテリなんだけどな。仮にも成績だって学年トップだし。フットサル部じゃこういう姿、ほとんど拝めないけど。



「で、それがどうしたんだよ」

「その仮説は、実に正しいと思います。ただ、最近少し疑わしいものでは無いかと思うようになってきました」

「なんでまた」

「……貴方とこうして、何もせずに居ると……それだけで、コミュニケーションを取っているような、そんな気になります。言葉の持つ力は侮れませんが……貴方と共有している時間においては、それすらも野暮ったく感じてしまうといいますか」


 相変わらずどこを見て喋っているのか分からないぼやけた視線を飛ばしているが。彼女の言いたいことは、おおよそ半分ほど理解できる。


 例えば、瑞希のように隙間という隙間を埋めるよう言葉を発するタイプとは異なり、琴音との間には……なんだろう。言葉にしなくても分かり合える何がか、確かに存在するように思う。


 それはそれで、結構心地良い時間だったりするから、また不思議で。優劣があるわけでは無いのだが、こうして彼女の隣に居るだけでも、妙に安心してしまう。



「私の場合、これは比奈でした。いえ、それもどうでしょう。あの子もあの子で、なにを考えているのかよく分からないときがありますから。だからこそ、貴方の存在には違和感ばかり覚えるのです」


 こうも論理的に捲し立てられると、褒められているのか貶されているのか。


 一応、褒めて貰っているということで良いのだろうか。つまるところ、何を言いたいのだコイツは。



「目に見えないものなど、なんの当てにもなりません。私は、知っています。言葉ほど物を言う概念が存在しえないことを。それ故、私がいま覚えている違和感を、説明することは出来ません。する気にも、なれません」


「…………もう少し、時間が必要だと思います。私が動くべきか、貴方から教えて貰うべきか。それすらも分かり兼ねますが……これが俗に言う、モラトリアムであるとするのならば、それもまた悪くないと。そう思います。明確な答えも分からずに、回答用紙を埋めるのは愚の骨頂ですから」


 頭では分かっていると、そう自分に言い聞かせているようだった。後は意志さえ、口さえ着いて来れば、全てが解決すると。


 彼女の言い分は、あまりにも遠回り過ぎて今一つ的を射ない。けれども、俺と似たようなことを考えて、そこから先の回答に行き詰まっていることだけは、なんとなく分かって。



「あと少しで良いんです。私に、猶予をください」

「…………別に、なんも急かしてねえよ」

「それでも、良いんです」

「…………ご自由にどうぞ」


 まるきり同じセリフを、琴音だけではない。全員に返してやりたかった。


 分かっているフリして、分かっていないのも。先に動こうとして、動かれてしまうのも、いつも俺の方だ。癇に障る。



「分かんねえなら、考えるしかねえよな」

「…………はい。その通りです」

「俺も、考えるからさ」

「……期待せずに待ってます」


 答えを出さなければならない。

 少なくとも、彼女には必要だった。

 その時は、確実に迫っている。


 人を想う大切さも、愛おしさも、何一つ知らずに生きて来た俺も。琴音も。たった数ヶ月じゃ、圧倒的に時間が足りていない。俺たちはまだまだ、学ばなければいけないことが沢山ある。


 それでも、どうしたって時間は止まらない。

 明確な答えも分からず、回答しなければならない。


 あまりに心地良いこの空間が、ひらすらに幸福で、何よりも邪魔をしていた。それが良いものか、悪いものかもハッキリしないまま。日々は過ぎていく。



「…………なんだか、眠くなってしまいました」

「奇遇やな。俺も落ちそうだわ」

「……比奈との約束には、まだありますよね」

「多少な、多少」


 こちらの了承も得ず、頭ごと身体をぐだりと寄せて力無く体重を預ける。それも似たようなもので、彼女も同じように俺からの圧力をなんの抵抗も無く受け入れた。



 釣り合わない身長。似ても似つかない影。

 それでも、歪な形のまま、バランスを取り合う。


 偶々、上手いことハマっているだけかもしれないけど。それでお互いが、こうして身体のみならず心さえも休めることが出来たなら。


 なにを急ぐことも無く。俺たちは、自然とこのままで、答えに辿り着けるかもしれない。


 その先が間違っていたとしても、お前と一緒に間違えることが出来たなら、悪くない結末だと思う。



「…………ちゃんと起きてくださいね」



 そんな言葉が薄らげに聞こえて、やがて意識が遠のいていく。真横で愛おしそうに目を細める彼女の綺麗な顔と、左腕を力強く絡める温かさばかりが頼りで。


 幾ばくかの勿体なさを心残りに、浅い眠りに落ちる。似通った規則正しい寝息が、脳裏で重なった。


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