178. おう。愛してる


 Herenciaのキックインで試合が再開される前に、選手の交代が行われる。もう一人の女性選手と、3番が交代し再び11番がコートイン。


 そちらに気も止めず、呆然と瑞希を見つめ続ける市川ノノ。

 心ここにあらず。

 そんな気の抜けた顔をしていた。



「…………なんなんですかっ、ほんとに……っ」


 先ほどの瑞希の言葉に、思うところがあったのか。だが、心情を問い質している場合ではない。次のプレーに集中しなければ。



「……みんな、必死なんだよっ」

「……ッ……!?」


 そのまま市川ノノのマークに着いた比奈が、ぼそりと小さな声でそう呟く。ハッとした様子で振り返った彼女と目も合わせず、比奈は言葉を続けた。



「市川さん? だよね。わたしなんかより、ずっと上手いよ。チームで一番へたっぴなのも、本当のこと……でもフットサル部が勝てば、それで十分だからっ」

「…………こんなところで勝って、なにになるんですかっ」

「分かんないよ。でも、これがわたしの全部だから」


 疲労の色は濃い。

 呼吸もままならず、口が空きっぱなしだ。


 だがその瞳には、静かなる闘志が宿っている。



「……ふーん。そんなに陽翔センパイを取られるのが嫌なんですねっ。まぁー、ノノのあまりの可愛さにセンパイが靡いてしまうのはっ、これはもどうしようもないことだと思いますけどっ!」


「別に良いんですけどねっ! この試合に勝とうが負けようが、ノノが陽翔センパイを勧誘するのは決定事項ですからっ! てゆうかあ、あんまりそういうところ見せると、センパイも引いちゃ――――」



「陽翔くんを、舐めないでッ!!」



 聞いたことも無い、大きな声だった。


 俺でさえこれだけ驚いているのだから、真っ隣りで聞かされた市川ノノの衝撃も相当なものであっただろう。コート内外の連中も、比奈を注視している。



(……いや、俺……?)


 正直、何故に瑞希や比奈がここまで市川ノノに対し、ストレスを溜めているのか、正直良く分かっていなかった。


 確かに比奈はほぼほぼ面と向かって下手くそ呼ばわりされているし、愛莉もファール紛いのプレーでチャンスを潰されているのだから、分からんでもないのだけれど。でも、怒っているポイントは多分そこじゃない。


 俺と市川ノノの会話の聞き耳を立てていたにしても妙に引っ掛かる。確かにこの試合においては厄介な存在であることに違いは無いが、なにもそんな怒ることも。



「何が何だか、という顔をされてますね」

「……琴音は分かんのかよ」

「当たり前じゃないですか」


 ゴール前に立つ琴音が、そんな風に耳打ちする。

 

「単純なことです。市川さんは、陽翔さんの存在を明らかに軽んじています。露骨に見下しています。舐め腐っています。だから怒っている。そういう話です」

「……そうか?」

「気付かないのだとしたら、鈍すぎです」


 少し怒ったように唇を尖らせる。


 いや、ごめん。舐めてるというより、茶化されるというのは分かったんだけど。なんだろう。女性陣は男の俺には感じ取れない何かを受信しているらしい。



「いいですか。陽翔さん。人間は、全てにおいて理由付けが必要なのです。何故、そのような決断に至ったか。どのような過程を経てそこに辿り着いたのかが、何よりも大切なのです」

「……お、おうっ……」

「市川さんは、貴方の決断。貴方が経て来た過程を丸々無視しています。何故、貴方がフットサル部に身を置いているのか。そしてこの試合に、どのような覚悟を持って挑んでいるか……」


 と、いうことはお前もちょっと怒ってるのか。

 まあ、嫌な気分じゃないけど。



「…………まぁ、ありがと」

「構いません。それより、先ほどのプレーですが」

「めっちゃ助かった。流石は守護神やな」

「……あれくらい、当然ですっ」

「えらいえらい」

「撫でないでくださいっ。気が散りますっ」


 自分から話を振っておいて、その反応は如何なものか。ほんのりと頬を染める彼女に、つい試合中であることを忘れそうになる。


 相変わらずその真意はやや分かり兼ねるが、ともかくフットサル部がどこかしらで一致団結し、より結束を固めているのは間違いないようだ。


 そして、先陣を切った彼女も。

 不敵な笑みを引き連れて、こちらへやって来る。



「ハルっ」

「ん、なんや」

「あたしにありがとーは?」

「おう。愛してる」

「分かってんじゃんっ☆」


 水滴交じりの、乾いたハイタッチ。

 そして、次の一言は。もう決まっている。



「――――決めるぞ」

「ハッ。たりめーっしょ」



 試合が再開。


 ボールは一度、Herencia陣地へと戻る。

 再び組み直し。

 システムは、先ほどと変わらない。


 交代で入って来た11番は、愛莉のマークに付いていた3番と比べれば守備に若干の難がある。3番の疲弊も相当なレベルだろう。決めるなら、今しかない。



「比奈っ、暫く無理するな。その辺り立っとけ」

「ううんっ、大丈夫。まだ走れるっ!」

「いやっ…………とにかく、立ってろ」

「……っ? う、うんっ、分かった」


 気合十分の比奈ではあったが、既にランニングフォームはガタガタに崩れている。これ以上、無理をさせるのも禁物だ。それに、ただ休ませているというわけでもない。



「言っただろ。無駄走りは、しない」

「……必要な時だけ、フルスロットル、だねっ?」

「そーゆーこった」


 準備は整った。

 さあ、先制と行こうじゃないか。



 前線からプレスを掛ける愛莉と瑞希。Herenciaも、だいぶ消耗しているようだ。元々、自陣でボールを繋ぐタイプのチームでは無いとはいえ、明らかに精度が下がっている。


 パスミスが生まれ、敵陣でボールがラインを割った。キッカーを名乗り出て、ゆっくりとボールに歩み寄る。


 その際、面々にサイドラインに置かれたボトルで給水するよう促した。すぐには蹴り出さず、自分もボトルを手に取る。


 蹴る用意が出来てから4秒以内、だからな。

 まだ準備できてないから、これは問題無い。



「…………分かりませんねえ」

「ああ? まだなんか用?」

「いえっ……気になると言いますか……っ」


 市川ノノがこちらに近付いて、ポツリと漏らす。

 瑞希に言われたことがまだ気になるようだ。



「お前さあ、なんのために今日試合やってんの」

「なんのためって……まぁ、楽しむため?」

「へえ。なら、チームメイトはどうやろな」

「……はいっ?」

「疲れとらんの、お前だけやで」


 その言葉に身体をビクつかせたと同時に、市川ノノはハッとした表情で周囲を見渡す。まさか、気付いていなかったとは言わせない。


 事実、Herenciaの体力は、底を尽き始めている。


 交代要員を交えながらとはいえ、基本的には13番と市川ノノを残して大半のディティールを守備に費やしているのだから、当然だ。


 勿論、フットサル部だって消耗は凄まじい。比奈をはじめとして、愛莉も、瑞希も、琴音でさえ、暇を縫っては膝に手を付いて呼吸を整えている。俺だって余裕綽々というわけではない。



(でも、条件は同じじゃない)


 オフェンスとディフェンス。

 より疲弊するのはどちらか?



 ディフェンスとは、言い換えれば我慢するということだ。肉体的にも、精神的にも擦り減らされる。ましてやカウンター一発勝負のチームなら。


 13番だって既に肩で息をしている。後半、ほとんどの時間を俺へのマークに費やしていたからな。


 まあ、捕まえ切れていたかと言えば、何とも言えないところだが。



 で、お前はどうなんだよ、市川ノノ。

 ボールが絡まないとき、ずっと歩いてるよな?



「まあ、お前はええ選手や、それは認めるわ」

「はあっ……それはどうもっ……?」

「が……決定的に足りないモンがある」

「ノノに足りないもの……っ?」


 なら、教えてやろう。


 お前がこれだけの自由を許されている、唯一の理由。それをこの試合で、一度でも証明したか?



「――――結果や」



 素早いリスタート。

 ボールは反対、左サイドの瑞希へ。


 今度は、こっちが証明する番だ。

 そうだろ、みんな。


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