144. 甘かったのは


 赤いユニフォーム、浦安の選手が向かって右へ攻め込む。


 コート中央の右サイドでボールを受けたプレーヤーは、一度センターサークル内にいた味方に一度ボールを預け、ゴールに向かってダイアゴナルラン(斜め走り)を行う。サッカーでもセオリーとされる、パス&ムーブの動きだ。


 ボールを預かった選手は、水色のユニフォームを来た相手チームの選手にプレスを掛けられる。が、実に落ち着いた様子でボールを少しだけ左足の方へずらし逆サイドへ展開。受けた選手はダイレクトでグラウンダー性のパスを中央に入れる。



 中には、サッカーでいうFW。ここではピヴォと称するが、相手とゴールを背後に背負いながらボールを受けようとする。愛莉の課題であるポストプレーだ。

 ここで彼がボールを保持することにより、味方の選手がより良い位置にポジションを取る時間が出来る。


 しかし、上手くボールを放さないと戻ってきた相手に奪われてしまう。有効ではあるが危険性も大いに伴うプレーである。



(さて、こっからどうするのか……)



 二人目のディフェンスがボールを奪いに寄せてくる。

 時間にして一秒も無いだろう。

 彼はどんな決断をするのだろうか。



 考える間もなく、その瞬間は訪れた。


 彼は相手のプレッシャーを受けながら、そのままボールを身体の向いた方向。つまり自分達の陣地に足裏を使いながら運んでいく。


 そして、一度右に切り返すような素振りを入れて、逆の左サイドにさきほどセンターサークルにいた選手にボールを預ける。


 彼はそのボールをトラップ。

 ゴール前へグラウンダーの速いクロスを送り込んだ。


 反応したのは、左サイドから中にボールを入れたプレーヤー。そのまま彼に着いていたディフェンスと並走し、そのボールに――――



「スルーっ!?」

「そう来たか……っ!」


 その選手はボールに触れるのではなく、背後からチャージを掛けてきた選手の勢いにそのまま押されるように避けた。


 完全にボールを受けた選手を潰す気でいたディフェンスは、自らの後ろを通り過ぎるパスに反応できず、「しまった」と言葉が伝わってきそうな深刻な表情を浮かべる。


 ボールはそんな彼をあざ笑うかのように…………。



『ゴォォォォーーーールっ!! 浦安、先制ゴォォォォル!! 決めたのは、稲原ァ!! プリーーンス、稲原ァァァァ!! ゲットォォォォ!!!!』


「きたぁぁーーっっ!! 見たっ、見た今のっ!! メチャクチャ綺麗な形っ!! すごーーい!!」



 爆音のように響き渡るBGMとアリーナDJの絶叫。

 すぐ隣、愛莉の興奮気味な言葉も耳に入らない。



 説明するのであれば、短く簡潔に。


 最後に決めたのは、ダイアゴナルランでゴール前に走り込んでいたあの選手。


 ポストで受けた選手に向かって行った二人目のディフェンスは、本来ならゴールを決めた彼に付いているべき選手だったのだが。


 ボールを奪えると見た彼は一旦マークを諦め、ボールを追いに行った。しかしボールを戻す前に一度入ったフェイントで、彼は自分の見なければならない選手にパスが渡ると瞬間的に感じ、マークを緩めた。



(でも、結果的にパスは後ろに戻った)


 地を這うグラウンダーの強烈なパスは、走り込んだ二人の選手と、一瞬マークを見失った彼の間を見事に抜け、ゴールポストの手前でフリーになっていた選手に渡ったというワケだ。


 ポストプレーを行った選手に付いていたディフェンスがどうにか阻止しようと最後にスライディングをかましたが、届くことはなかった。


 あまりに速いパスに、得点者もなんとか足を伸ばして力づくで押し込んだ、という感じのゴール。俺達の右側に陣取った赤いユニフォームの集団…応援団の方に駆け寄り、選手たちも続々と集まって歓喜の輪を作る。



「もしかして、今のが「ファー詰め」っていうの?」

「あー……確かにファーで受けたな」


 目を輝かせる愛莉は、いつのまにか手に持っていたメモ帳ようなものにシャーペンで何やら文字を書き込んでいく。


 

 ファー詰めとはその名の通り、ゴールの端。ボールの出所から一番遠い所に走り込んで、ボールを押し込むフットサルの鉄則ともいえるプレーである。


 サッカーとは違いオフサイドが無く、よりゴールに近い位置でプレー出来る。予め決まったパターンでゴールが入るのもフットサルの一つの醍醐味と言えよう。



 横から覗いてみると、長瀬は今のゴールの動きをせっせとボールの動きから選手の流れにまで丁寧に書き写し、ゴールに至るまでの手順を文字化し整理している。


 なるほど。一緒にいるとなんだか頭の悪いような印象を受けてしまうが、というか実際に頭は悪いのだけれど。


 こういう戦術的な解釈が非常に上手い。

 俺が説明と同じような解釈の文章が連なる。



「……やっぱり、上手いわね」

「あれがお前にも出来ればな」

「うっさい、分かってる……」


 先ほどのポストプレーは、まさに愛莉がお手本とするべきものだ。あれだけ効果的に時間とスペースを生み出すことが出来れば、フットサル部の攻撃の幅もかなり増えてくる。


 けれど、これが素直に参考になれば良いのだが……あまりレベルの高すぎるものを見ても、正直、彼女のためになるか分からない。



 舐めていた。


 三人のレベルにどうにかあと二人も追いついて来れば。なんて甘い考えをしていた昨日までの自分が腹立たしい。


 勿論、ロクなコーチングも無しにプロのレベルにまで到達できるなんてことは考えていなかったけれど。それでも、あのスピード。コントロール。フィジカル。


 そして、練習通りの絵を自在に描き出すデザイン力と柔軟性。どれをとっても、今の自分たちには届かないものばかりで。


 これが、大会に挑む上のノルマだとしたら。

 間に合うわけがない。一年どころじゃ足りない。



「どうすれば勝てるかしら」

「…………あ?」

「えっ、おかしいこと言った?」

「おかしいもなんも……」


 いや、コイツまさか。

 フットサル部がこれと試合する前提で話してね?



「私がポストプレー鍛えるのは大前提として……シュートを撃たせないのが一番となると、やっぱりハルトはフィクソに置きたいわね。落ち着いてボール回す時間も必要だし。ダイヤモンドより、ボックス型の方がパス回せるかしら」


 ……本気で考えていた。

 勉強って、そういう意味の勉強なのかよ。



「……マジで言うてんのお前」

「……そうだけど?」

「いやっ…………まぁ、なんも言わんわ」


 変なハルト、と一言呟いて、彼女は再開された試合に向けて視線を外す。その意識はめまぐるしくボールと人の動きに向いていて、俺のことなどどうでもいいとでも言うように。


 負けず嫌いなのは知っていたけど。

 そんな風に考えられねえよ。普通。



(…………甘かったのは俺だけか……)



 だからこそ、か。


 彼女とて、明らかなレベルの違いを分かっていない筈もない。それでも、本気で来年の優勝を狙っている。ただ試合を観に来ただけではないと、そういうことか。



(…………うっざ)


 浮ついていたのは、どっちだ。


 彼女のに応えるには。

 やることがあるのは、俺の方だろ。


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