138. 笑ってやるからな


 ヘラヘラしていると良く言われる。


 あたしとしては、自分がそんなメチャクチャ笑っているという自覚は無いのだけれど。みんな「いっつも楽しそうだね」とちょっと呆れ顔で笑い掛けてくる。


 もちろん、心の底から笑っていることに違いは無い。そんなみんなの姿を見て、あたしも嬉しくなる。



 嫌でも笑わなきゃいけないとき、あるでしょ。


 みんなSNSとかで笑っても無いのに「草」とか「www」とか書くじゃん。あれと同じなんじゃないかなって。どーいう感情で文字打ってるんだろうね。ウケる。



 でも、そんな人たちをあたしは笑えない。


 いつも笑顔で居れば、周りの人もいつの間にか笑顔になっているんだよ。そんなことを言って、あたしの頭をニコニコ撫でてくれたのは、お父さんだった。


 本当によく笑う人で、実際にお父さんの近くにいる人たちはみんないっつも笑顔で、楽しそうに毎日を過ごしていた。あたしも、そのうちの一人。


 お父さんみたいな人になりたかった。

 ただ、そこにいるだけで。

 周りのみんなを笑顔にする。


 バレンシアオレンジみたいな、澱みの無い色。

 そんな人に、あたしはなりたかった。



 お父さんが段々笑わなくなったのは、あたしが中学生になるちょっと前くらいからのこと。家に帰ると、いつも満面の笑みで抱き締めてくれるお父さんが、暗い顔をしていた。


 あの人とはいつも喧嘩をしていた。


 笑顔が可愛いところが好きなの。

 そう言っていたけれど。正直信じてない。


 若い頃は良かったわ。でも、この歳になるとああいうところが、私にとって重荷になることがあるの。いつの日か、あの人はそんな風に愚痴っていたけれど。

 

 ぶっちゃけ、あの人がお父さんの傍で笑ったり、微笑みかけるような姿を一度も見たことが無い。性格も正反対って感じだし、なんであの二人が夫婦なのか今でもよく分からない。


 夫婦、だったんだよね。


 2年と少し。

 あの日から、あたしたちの時計は止まったまま。


 早いな。あれからもう、そんなに経つんだ。



「うへーっ……海近だと夜は寒いなぁー……」

「素足丸出しじゃ寒いだろ、そりゃ」

「いいんだよっ、可愛いだろっ!」

「まーな」

「うわっ、変態だ」

「わざわざ褒めてやったのにおかしいやろ」


 真顔でツッコんでくるハルの表情は、いつも変わらない。なにを考えているのかも良く分からないし、なんだったらなにも考えてないのかもしれないけど。


 変な奴だなって、いっつも思う。

 それに付き合うあたしも、よっぽどだけどな。



 あたしたちを鏡で映すのだとしたら。

 きっと、あの二人とよく似ている。


 けれど、唯一違うのは。ハルはあたしのことを、絶対にほったらかしにしない。


 少なくとも、お父さんの前で都合の良い台詞を並べて。仕事で居ないときばかり見計らって男と浮気するような。


 外では「元気で素直ないい子なんです」と綺麗事並べて。家では「邪魔だから外で遊んでいなさい」と蔑ろにするような。


 そんな人じゃない。ハルはあたしのことも。

 みんなのことも、平等に見てくれている。



 お父さんの代わりに、なろうとした。

 あたしはあたしなりに、あたしの笑顔で。

 家族を元気に出来ればいい。そう思った。


 けれど、あたしが笑うたびに、お父さんは辛そうな顔をしていた。あの人は、あたしが一日の出来事を報告すると、面倒くさそうな顔して、話半分で聞いていた。


 あたしが頑張れば頑張るほど。

 家族は、壊れていったんだ。


 本当は、とっくの昔から壊れていたのかもしれない。もう、それが事実かどうか確かめる方法は、この世には存在しない。



 桟橋を色とりどりのライトが照らしている。

 こんなに煌びやかな世界で、あたしは。


 このまま一体になって消えてしまいそうで。

 どういうわけか、隣を歩くコイツの方が。


 よっぽど輝いて見えて。悔しくて、堪らない。



「ねーっ、最後にもう一回だけ写真撮らない?」

「……おー、別にええけど」

「じゃっ、海をバックして……ほらっ、入って」

「こうか?」

「もっと寄って!」

「はいはいっ……さっさと撮れよ」

「笑えや! つまらん顔しやがってよッ!」

「注文多いなっ……こんな感じか?」

「うわっ、キッモ!! やっぱいい!」

「そろそろ泣くぞ」



 滅多なことでは笑わないハルを無理やりにでも笑わせようものなら、ありえんくらい引き攣った笑みにしかならない。そんなこと、とっくに知っている。


 けど、笑って欲しいんだよな。

 例えそれが、作り物でも。


 そうすれば、あたしも嬉しいから。

 ほんとだもん。ホントに、ホントだもん。



(…………羨ましい、な)



 分かってるよ。

 ハルは、笑わなくたって、心から笑ってるって。


 今日、あたしと過ごした時間を楽しかったって言ってくれたこと。それが嘘じゃないって、分かってる。だって、表情変わらない癖に、分かりやす過ぎるんだもん、ハル。


 逆に凄い気がする。

 言葉たった一つで、感情さえ操る。

 ボールの扱いよりそっちのほうが天才だよ。



 笑顔だけが。元気だけが取り柄のあたしにとって、ハルはまるで正反対なやつ。はじめは、いっつもつまらなそうな顔して、なにが楽しくて生きてるんだろうなって。ちょっと思ってたけどね。


 でも、違うんだ。ハルは、ハルの思うように。

 自分の意志で。自分の感情で生きている。


 あたしとは違う。


 その他大勢に混ざらなければ。

 誰かに支えられなければ、生きていけない。


 あたしなんかとは、違う。



 笑わなくたって。思ってもいないことを言わなくたって。余計なものを取り繕わなくたって。


 ハルは、そこにいる。

 あたしたちのなかに、いつも居る。


 あたしみたいなやつを、八方美人って言うらしい。なるほどなってカンジ。マジで、馬鹿みたい。



 あのとき、もっと素直になれていたら。


 ただ、思ったように。感じたままに。

 ハルみたいに、生きることが出来ていたら。



 喧嘩しないで。

 もっと仲良くして。

 二人のそんな姿、見たくない。


 そんな風に言うことが出来たなら。

 違う未来が待っていたのかな。



「この写真、グルチャに上げていい?」

「やめろ。遊んでただけと思われんだろ」

「えーっ? 間違ってないじゃーん」

「そうだけど、そうじゃないだろ。一応」

「……じゃっ、二人だけの秘密にしよーね」

「ん、そうしとけ」

「スマホケースみたいになっ♪」

「マジで辞めてくれ……っ」


 ほらっ、やっぱり分かりやすい。

 本気で照れてるって、顔に描いてあるんだもん。


 隠そうったってそうはいかないんだよっ! ハルの考えてることなんて顔を見りゃすぐに分かる! 


 つまりそういうことなのだよっ! 考えなくても分かってしまうのだ! だからそれで十分っ!



 そう。


 それで、十分なんだ。

 

 優しい言葉も、作り物の笑顔も。

 いらないよ、なんにも。


 ただ、あたしのことを見てくれているなら。

 それだけで、十分だよ。ハル。


 

「…………やっぱ下手だなー」

「あっ? 化粧の話?」

「いや、違うッつうの。つうか今日してねーしっ」

「……いらねえだろ。別に」

「いいんだよっ。髪色と釣り合い取れねーからっ」

「そんなもんかねえ……」


 駅が近付いてくる。

 二つも通り過ぎたら。

 あたしたちは別々の方向に別れる。


 本当は、全部、全部言ってしまいたかった。

 あんな風に誤魔化したのも、あたしの悪い癖だ。



 ねえ、ハル。


 やっぱり嘘だよ。

 見てくれていればいいなんて。


 あたしだけ、見てくれないかな?


 そしたらさ。もっと素直になれる気がするんだ。

 あたしのなかの嫌いなあたしも。


 心から、笑えるって。

 そう思うんだけど。ダメかな。



「…………やっぱ、化粧要らないかな?」

「辞めとけ辞めとけ。ありのままが一番ええ」

「…………ふーん。まっ、考えとく」

「今から頼ってたら秒で老けるで」

「そういう余計なことは言わんで宜しいッ!!」


 心を見透かすような一言に、つい荒んだ反応。


 これだから、困るんだよなあ。

 もう、我慢できなくなっちゃうじゃん。ばか。



 勝負だよ。もう、勝手に始めるし。


 ハルが笑うか、あたしが素直になるか。

 どっちかが勝つまで、やめてあげないから。


 こんな理不尽な勝負、ハルとしかやらないから。

 どっちが勝ったって。あたしが負けたって。


 あたしは、笑ってやるからな。絶対にっ。




「あっ」

「どした」

「電車賃ない。貸して」

「お前な」



 今だけは、もうちょっと甘えることにしよう。

 こんなしょうもない時間も、やり取りも。


 あたしにとっては、本物の幸せだからさ。


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