79. ってことだよねっ!


「では、くれぐれも浮かれずに。学生としての本分を忘れずに夏休みを過ごすこと。いいな? はい、じゃあこれで解散。また夏休み明けに」


 担任の言葉が途切れるのを待たずして、教室中から椅子と床の擦れる音が散乱した。雑多に埋め尽くされたこの空間では、響き渡るチャイムの音など少しも聞こえない。



「よく耐えました。えらい」

「は。なんや急に。終業式とHR出たくらいで」

「それが出来なかったから褒めてるんだよ~」


 子どもをあやすような甘ったるい声で刺激する比奈の片手には、学生鞄ただ一つ。眼鏡と合わさった夏服のブラウスが似合い過ぎな彼女から、スポーティーな匂いは一瞬たりともやって来ない。



「ね、試験結果見に行こうよ」

「えっ……なに、張り出されんのこの高校。ウザ」

「そっか、陽翔くん試験初めてだったんだっけ。確かに今どき珍しいよねえ」


 それなりの偏差値を誇る私立高校なら、まぁあり得ないことも無いか。名前と点数がバーンと張り出される、アレね。嫌なシステム。



「だいたい補習があるなら成績表に書いてあんだろ」

「補習がある人はそもそも名前が載らないからねえ」

「ギリギリ赤点逃れた奴が逆に晒されるパターンか」

「そういうことっ」


 仮にも進学校という触れ込みではあるわけだし。

 ダメな奴は押し込み、綱渡りの奴は晒し上げと。上手いことやるもんだ。


 俺の不真面目な授業態度(教室にいないから出席も何もないけど)にほとんど口出しすらしない、放任主義的な在り方から考えても、落ちぶれた奴はトコトン落ちてどうぞ、みたいなスタンスなんだろうな。


 まさに現代社会の縮図。地獄絵図とも言う。



「じゃ、行くぞ愛莉」

「やだ」

「お前の馬鹿にしたくて仕方ねえんだよ」

「喧嘩売ってんの? アァン?」


 明らかにテンションダダ下がりのお前がいるからわざわざ野次馬根性働かせてるんだよ。むしろ光栄に思え。



 廊下は既に、試験結果の張り紙を中心に人だかりができていた。

 この調子では自分の名前を探し出すのも一苦労だろう。



「こんな時期にようわんさか集まるな……暑苦しい」

「べーつに赤点じゃないなら何位だって良いわよ、こんなの」

「まーまー。自分の立ち位置をしっかり把握するのも大事だよ?」


 張り紙を見終わった奴らが離れていく間を縫って、少しずつ目的に近づく三人。この辺りは、成績不振者のゾーンのようだ。流石にここは嫌だな。



「……あ、いた」

「お前早速なんだよ」


 かなり下の方に「86位 476点 長瀬愛莉」の文字。


 本当にギリギリで回避してる。下に10人くらいしかいない。パッと見だけなら才色兼備の愛莉なだけに、評判に響くだろこれ。



「良かったやん、二けた順位だぞ」

「120ちょいしか居ないんだから全然嬉しくないっつうの……あっ」

「え、なに」

「瑞希がいる」

「嘘やろ」


 愛莉の更に下を潜っていくと……あ、本当だ。確かに「98位 404点 金澤瑞希」とある。というか、補習組除いたら最下位かよ。逆にすげえ。なんという悪運。



「8教科で404点って……二教科だけ52点で、あとはジャスト半分ってこと!?」

「或いは一教科だけ54点とか……凄まじい豪運やな……」

「この点数で補習が一つも無いって、凄いねえ」

「見たか諸君ッ! あたしの超絶ファインプレーをッ!」

「いつの間におってんオマエ」


 気付かぬ間に合流していた、今年中の運を使い果たした女こと瑞希である。


 まさか補習すらも切り抜けるとはだれも思わんだろう。というか瑞希がちゃんと机に座って試験を受けたこと自体、俺にとっては結構な事件だからな。



「まさに神回避ッ! せんせーにも「こんな点の取り方は初めて見た」って褒められてたのだ!」

「褒めてない褒めてない」

「あたしもみんなとサマーバカンスを謳歌できるわけよっ! 嬉しいだろ!」


 本音としては「グッジョブ!」と親指でも立ててやりたいところだったが、思いっきり浮かれたその表情を見ていると、ついつい中指が勝手に動き出すという程度の心境であった。



「とりあえず、フットサル部はみんな大丈夫そうだね」

「えっ。ハル補習じゃないの?」

「んなわけあっか」

「ロクに授業出てない癖に点数だけは良いとか、ホント癪っ!」


 んなこと言われても、地頭の悪さを呪えとしか。

 口に出したら殺されそうなので言わんけど。


 少しずつ上位組の方に移動していくのだが、残る三人の名前はなかなか出てこない。見るからに秀才であろう二人はともかく……無いな。俺の名前。



「ハル、マジで補習組じゃないんだよね?」

「成績表になんも無かったし、そうなんじゃねーの」

「もう20位まで来たんだけど……こわ、なにハルト。きも」

「え、なに、ハルって頭いい感じなの? キャラと合ってなくない?」

「俺が勉強出来ちゃおかしいみたいな風潮どうにかしろよ」


 舐め腐っている。本当に。


 ともかく、上位20位以内に三人とも入っていることは間違いないようで。意外や意外。英語くらいしか自信なかったんだけどな。



「あ、いた! 12位ッ!? ハルの癖にッ!?」

「比奈ちゃんもっ! 11位だって!」

「わー。私、陽翔くんとあんまり変わんないんだ」

「……不服そうですね倉畑さん」

「えー。そーかなあ」


 口ではそう言うものの、露骨に目が笑っていない彼女であった。ごめんって。イヤもう、なんで謝んなきゃいけないのかはともかく、ごめんて。



「さーて栄えある第1位はっと……まぁ、分かり切ってるけどねん」

「あー……1位は決まりでしょ。うん」

「……やっぱり琴音なのか」

「去年から不動の1位だからねー。点数が点数だし不動もなにもって感じかなあ」

「……うわぁ。なにこのグロい点数」


 燦然と光り輝くは「1位 798点 楠美琴音」の堂々たる左端。一教科、一問だけ落としたというわけですね。怖い怖い怖い。人間じゃねえアイツ。



「というわけで琴音ちゃん、連続1位獲得おめでとうございまーす」

「あ、おったんお前」

「どうも……まぁ、当然の結果ですが。一度勉強したことですから。普通です」

「聞いたか長瀬。くすみんが喧嘩売って来たぜっ」

「一度でいいから言ってみたい台詞ね……っ」


 最近、二人でコソコソ喋ってること多いなコイツら。馬鹿同士、惹かれ合うのか。



「しかし、比奈とほぼ同じ点数とは。中々ですね」

「大したことねえよ。英語で稼いだだけだし」

「へー、得意なんだ。ちなみに何点だったの?」

「満点だけど」

「…………はい?」




 空気が、凍った。




「…………すみません。良く聞こえなかったのですが、もう一度言って頂いても」

「だから、満点。100点だって。あれくらいワケゃねーだろ」

「……えーっと……教科ごとの上位も出てるよね?」

「まさかっ、そんなはずは……!」


 慌てふためく秀才コンビの後に続いて、更に移動。彼女たちの言った通り、上位5名まで教科ごとに名前が出ている。そして、英語の順位はというと。



「…………うわ、ホントに満点だ……ハル、やば」

「あーっ……琴音ちゃんが落としたの、英語だったんだ……」

「陽翔くん。これはね、豆知識なんだけど」

「ア、ハイ」

「琴音ちゃんね。今まで全部の教科で1位を取り続けているんだよ」

「…………新たな伝説が誕生したと、そういうことか」

「あぁっ! くすみんがひん死の状態にッッ!!」




*     *     *     *




「よしよーし。こんなこともあるよねー。だいじょうぶ、大丈夫だよー」

「泣ーかしたー、泣ーかしたー」

「やーいやーい」

「じゃかあしいッ! オレ別に悪ないやろがッ!」



 琴音が回復するまでにこれまた結構な時間を要したフットサル部であった。


 今日こそ練習するつもりでいたのだが、彼女もこんな状態ではと解散の運びに。お決まりの談話スペースは琴音を励ましつつ、俺を罵倒する謎の空間となった。


 いや。気持ちは分からんでもないけど。

 謝るのも違うだろ。どうすりゃいいんだよ。



「……すみません。お見苦しいところを」

「いーんだよー。全部あの根暗パーマ男が悪いんだからねー」

「ゴリゴリに悪口やん……」


 なんとか会話ができるレベルまで回復した琴音。目元は少しばかり腫れている。負けず嫌い、とは聞いていたが試験の結果でこうもなるか。いやまぁ、元々は勉強一筋みたいな奴だったようだし。割と責任はある。間違いなく。



「なんか、ごめんな」

「いいんですっ……フットサル部の活動に熱を入れて、勉学が疎かになっていたことは事実ですから。私の問題です」

「いや、でもほら、仮にも女の子を泣かせてしまったわけでな……」

「童貞出すぎじゃねハル」

「お前は黙っとれボケッッ!!」


 多分、外野が煩いのが悪い。主に瑞希。


「にしても英語100点て凄いわね……」

「琴音ちゃんが間違えるくらいのレベルだからねえ」

「……もしかして、陽翔さんは帰国子女なんですか?」

「そういうわけちゃうけど……必然的に覚えたというか」

「あ~。代表なら海外で試合もするもんな~」


 海外で試合をすることも多かったので、耳馴染みがあるというだけだ。あと審判に文句言いたいがために覚えた節もある。



「もしかしてハルト、他の言語も話せるの?」

「スペイン語とポルトガル語はネイティブのお墨付きや。イタリアとドイツは日常会話程度くらいは……フランス語は分からん。あと関西弁」

「わ~。グローバルだねえ」


 いや感心だけで終わらせないで比奈さん。

 最後のはちゃんとツッコんで。



「あの辺の言葉って結構似通ったところあるよね」

「いや、なに分かった口利いてんのよアンタ」

「え? あたしクォーターだからスペイン語ペラペラだけど?」

「うざ」

「なんでそーなる」


 頬を膨らませる愛莉であった。語学力含めたらお前が一番馬鹿だもんな。仕方ないよ。だって馬鹿だもの。



「そっかー……海外かあ。行ったことないなあ」

「私も、日本からは出たことがないですね」

「縁が無いわねそういうの……ちょっと憧れるかも」


 俺だって旅行で行ったわけではない。なんなら観光とかほとんどしていないので、そこまで馴染みがあるということでも。


 世間一般で言う夏休みならこの期間に長々と遊びに行ったりするもんなのだろうか。まず俺は関東をよく知るべきだろう。どこまでが都心なのかとか全く知らん。



「…………旅行、する?」

「……え」

「いいじゃん。フットサル部で行こうよっ。おー、そうだそーだっ! 旅行しようよっ!」


 唐突に何かと思えば、瑞希は世紀の大発明と言わんばかりに手を挙げ立ち上がった。えぇ。いや、待て。この面子で、旅行? 俺に死ねと?



「わぁっ。それ、楽しそうっ!」

「でしょでしょっ! どうする!? 海外とか行っちゃう!?」

「えぇ……それはちょっと……」

「じゃあなに、くすみん! 日本なら良いって!?」

「……近場なら、良いんじゃないですか? あまり大規模なものは難しいですし」

「みんなで旅行なんて、すっごくワクワクする!」

「あ、そっか。ていうかそれって」




「合宿、ってことだよねっ!」




 でしょうね。

 え、なにこの展開。


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