73. なっ!!
試験が終わった。四日間に渡って机に座り続けるという、恐らく人生で初めての経験であった。
学生の癖に戯けたことを。などという叱責は大いに受け付けるし、なんならそのまま吐き捨てる。
回収されていく回答用紙をボンヤリと眺める。教室中の誰もが、苦役からの解放を革命者のように手を挙げ喜んでいた。
土日を挟んで、僅か一日の登校の末に待っているのは、長すぎる休暇以外の何物でもなく。
夏休みの到来を歓迎する、という気分でもない。
なんなら理解にも及ばなかった。
俺にとって夏休みなんぞ「そろそろ合宿や長期遠征が始まるな」程度の合図でしかなく、どちらかといえば学校からグラウンドへ向かう怠惰なサイクルをぶち壊す、ネガティブなイメージに過ぎない。
「どうだった?」
「まぁまぁ」
「てっきりテストでも寝るのかと思ってた」
「流石に弁えるわ、それくらい」
「でも、陽翔くんだからなあ」
隣の席で活発に笑う
もはや、抵抗する必要もないだろう。その笑顔の裏になんの思惑も兼ね備えていないことを、この数ヶ月、嫌というほど思い知らされた。
高校生ともなると席順なんて大した問題でもなくなるようで。試験に備え久しぶりに教室へ荷物を置こうとすると、席が変わっていることを彼女に教えられた。
好きな者同士が、好きなところに固まっている。だから、俺の席がいよいよ左後ろ端に追いやられたことも。その前後を可憐な美少女二人が埋めていることも。割かしどうでもいいことであった。男子生徒たちのささやかな希望を除いて。
「ところで、コイツをどうしよう」
「あーっ……声掛けて大丈夫かな」
「スルーされるよかマシだろ」
前の席に突っ伏す栗色のストレートヘアーを、デコピンで軽く小突く。
いたっ、と小さく漏らした彼女の心中はいかに。少なくとも、この程度で怒りを溜めるほど、元気ではないだろう。
「手応えはどうだ」
「……まぁまぁ響いた」
「んなこと聞いてんじゃねえよ、分かるだろ」
「ならっ、聞くなっての!」
涙目で振り向いた絶世の美少女。
この一週間。いや、準備期間に入った先週から、真っ当な笑顔を見た試しがない。推薦入学と聞いていたものだから、右脚のパワーと成績だけはと勝手に思っていたけれど。
「……忘れましょう、こんなことは」
「補習だけは勘弁しろよ」
「それは多分、大丈夫っ……」
「信用ならん」
「ハルトがちょっとでも勉強手伝ってくれたら、こうはならなかったわよっ!」
んなこと言われても。俺だって、この学校のレベルに到達するまで何の努力もしなかったわけではない。ボールの蹴り方ならともかく、方程式や古文の理論まで教える義理は無いのだ。
「まぁまぁ……せっかく夏休みになるんだし、嫌なことは忘れよう。ねっ?」
「そうよっ。私は過去を振り返らないんだから」
「はいはい。じゃ、行きますか」
「超イライラする。また当てていい?」
「やってみろや」
というわけで、本日よりフットサル部の活動が再開する。
ここ数ヶ月、ロクに動いていない時間の方が長かったのに。たった数週間、自由を奪われただけでこんなにも身体が疼いている。重症だ。俺も彼女も。
三人揃って教室を後にし、新館のテニスコートへ足早に向かう。
男子生徒から向けられる視線。或いは死線とも呼ぶべき渇望、憎悪の嵐には依然として辟易していたが、俺にどうしろと。そろそろ危ない連中から「調子乗ってんじゃねーぞ」的な何かがあってもいい頃だ。
談話スペースに到着すると、既に臨戦態勢の瑞希が待ち構えて。
「ハルうぅぅぅぅぅっっっっ!!!!」
いなかった。
「うわ、ちょっ、なんだよ暑苦しいなッ!」
「ヤバイ! マジでヤバイ終わったっ! 補習確定ッ! 死んだッ!」
「えっ。あ、はい。そうですか」
「なんでそんな軽いわけっ!? 部活出れなくなっちゃうかもなんだよッ!?」
「想定の範囲内、と言いたいのでは?」
「ひどいよくすみぃぃぃぃんっっ…………あっ、あったかい」
と言いつつ胸元に突っ込む辺り、当人もさほど問題視しているわけではないのだろう。
しかし、偏差値がさして低いわけでもないこの高校に、いったいどうやって入学できたのか。
なにせ60点以下で宿題増量。半分以下で補習が確定するからだ。他の高校と比べてどうかなど知ったこっちゃないが、個人的には辛いラインだと思っている。
馬鹿の権化である瑞希と、秀才の手本とも呼べる琴音が同じ学校の生徒。人生って不公平だよな。ホント。あと胸部のサイズとか。
「分かるわ瑞希っ……! 試験なんて所詮は紙の上でしか判断できない欠陥モデルよっ!」
「あぁ、長瀬なのに、長瀬なのにぃぃっっ!!」
「暑苦しいな……」
美少女が制服姿で抱き合う光景は悪くないとして、この居心地の悪さよ。あと、そのコンビネーションはどうか普段から発揮して頂ければ幸いです。
「えーっと、じゃあ、どうしよっか。練習する?」
「せっかくテスト終わったんだから遊ぼうよー」
比奈の助け舟を全力でブン投げる瑞希。
ならフットサル部じゃなくてもいいだろ、とツッコミの一つも入れたいところだが。今更、野暮な話か。友達が居ないのは、俺に限ったことではない。
「なんのために此処おってんお前」
「そりゃあ、みんなでどっか行こうかなと」
「沢山の方に誘われていたのに、わざわざ断って私を連れて来たんです」
「そーゆーことっ! あたしはなっ、あんな`ありなしげんしょう`な奴らとではなく、お前たちと青春を謳歌したいわけであってな!」
「……有象無象って言いたいのかな?」
「恐らく」
黒髪コンビのツッコミも冴え渡る。
現代文も赤点だな間違いない。
「ほらぁ、ハルが居なかった頃にちょっと遊んだりしたけどさ。でもハルは居ないわけじゃん」
「死ぬほど馬鹿っぽい言い方やめろ」
「つうわけで、練習もいいけどっ。あたしはハルも含めこの5人で、こう、なっ!」
「な?」
「なっ!!」
「勢いに頼るな」
そんなわけで、さっさと試験のことなど忘れ遊びに行きたいご様子の瑞希さん。どうしよう。いや俺は良いとして、愛莉はボール蹴る気満々だっただろうに。
「……まぁ、そうね。今日ぐらい遊んでもバチ当たらないかしら」
「えぇ……ちょっとは気にしろて」
「いいじゃんいいじゃんっ! どうせ補習でも夏休み中なんだからさっ!」
「先のことを考えてもしょうがないよねえ」
「気分転換ということなら、悪くない提案ですが」
あぁ、終わった。
極めて真っ当な思考回路の二人すら賛同してしまっては。
「……確かに、ハルトと部活以外の話で絡んだことがあまり無い。いま気付いた」
「おせえおせえ」
「じゃ、そうしましょ。ハルトが決めて」
「……えぇ……」
勝手に話を進める愛莉。
急にそんなこと言われてもどうしろと。
同世代と遊んだりとか、したことないんだよ。普通に。しかも女子相手となると尚更……割と何も思い付かないんだけど。
やめろ、やめろ。どいつもコイツも。
期待した眼差しで俺を見つめやがって。鳥肌立つわ。
「…………かっ……カラオケ……とか……?」
「いいねいいねっ! じゃ上大塚行くか!」
他の意見を出すまでもなく、瑞希が音頭を取る。いや、マジで言ってんの。多分だけど行ったことないんだけど。どうしよ。
……こういうのが、今の俺に必要なのか、なぁ。分からん。経験なさ過ぎて分からん。かといってコイツらに任せるのが死ぬほど怖い。
「ほらっ、行くわよハルトっ!」
「お、おーーっ……」
「あはは。タジタジだね陽翔くん」
「助けて、比奈」
「やーだ♪」
「琴音さん」
「私にどうしろと」
味方がいない。
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