63.だから、今だけでいい
最前線の長瀬へくさびのパス。ダイレクトで折り返し、再びボールが戻ってきたところで右サイドの瑞希へ展開。
サイドからの崩しと言う点で、2点目と似たような形になる。ここに来て球持ちが良くなってきた瑞希なら、単独でも崩し切れるか。左の足裏でゆっくりとサイドに向かい、突破の機会を窺う。
瑞希と対峙する相手は、今日何度も彼女にブチ抜かれている。かなり警戒しているようで、ドリブルだけは絶対に許さないと腰を下ろし、臨戦態勢だ。
対する瑞希も、やはりここに来て疲労の色が濃く見える。何度も突破するチャンスはあっただろうが、スリッピーな足元に気を取られ仕掛けられない。
なんとか状況を打開しようと、コーナー付近に向かって走り出す。
今度はボールを持つ瑞希の内側。
ホルダーを追い越す、インナーラップだ。
(メッチャ痛ッッ!! アカン死ぬッッ!!)
痛覚が無くなって来たとか、嘘もいいところだ。依然として右脚には痺れるような痛みが走り続けている。
止まるわけにはいかない。
休養は、十分に貰った。
皆、あれだけ無理をしてくれたのだ。
俺がやらないで、どうする。
疲労困憊の甘栗は、俺のことをついに追い掛けることもままならない。これで俺にパスが渡れば、一気にフリーになれる。
ただ、当の瑞希は俺にパスを出すことをかなり躊躇っているように見えた。それもそうか。こんな般若みたいな顔でパス要求されたら怖いわ。
まぁ、まだマシだ。
必死なのを自覚しているだけ。
「良いからっ、出せッ! 殺すぞッ!」
「脅しかいっ!」
観念したのか、右足でポイッとボールを寄越す。
さて、ここからどうしたものか。セオリーなら、ダイレクトで瑞希に預けてワンツーで抜け出しセンタリングというところだが。
中央の長瀬には、林がしっかりマークに付いている。かなり強引に身体をぶつけられ、シュートまで持っていくのは彼女でも難しそうだ。
まぁ、でも、価値はあるか。
(物は試し)
右足でグラウンダーのクロスを上げる。
なんとか先に触れようと身体を投げ出す長瀬だったが、流石、強豪校のキャプテン。足だけ上手く伸ばして、つま先でクリアに成功する。
セカンドボールを回収したのは、現時点で最後方の倉畑だった。たどたどしくはあるものの、しっかりボールをトラップし、前を向く。
その間に俺は中央に移動し、彼女と長瀬の中間のような位置に入った。
(……ん?)
違和感を覚える。
倉畑にマーカーが居ないのだ。
相手のフィールドプレーヤーは、勿論こちらと同じく4人。林は長瀬に付いていて、甘栗はようやく帰陣し瑞希に付いた。で、先ほどまで瑞希を見ていた奴が俺の傍にいて……。
(囲まれてる?)
先ほどまで倉畑を見ていた奴も、俺に付いているのか。となると、左サイドには広大なスペースが生まれるわけで。
「行けるぞッ、倉畑っ!」
「……ふえっ?」
「パスじゃないっ! お前が決めろッ!」
そんな俺の叫び声を聞いても尚、相手は彼女に近付こうとしなかった。
コイツら、舐めてるな。倉畑のこと。
そのまま彼女は左前方に向かってドリブルを開始。やはり拙い動きではあるが、確実にゴールへと迫っていく。ようやく元のマーカーが距離を詰め出すのだが、それにしてもまだ差がある。
分からんでもない。2失点目に関しては、倉畑のミスは非常に目に付きやすいものだった。誰から見ても「クリアに失敗した」という形にはなったわけで。
それに、この試合を通じてサッカー部も薄々感じているのだろう。「彼女が唯一の初心者だ」と。
(それはどうかな)
この試合で、最も冷静にパスを回していたのは、どこの誰だ。確かにディフェンスでは、あまり役に立たなかったかもしれない。フィジカルの差もある。
パスカットに光るものはあるが、あくまで攻撃では大きな脅威にはならないと。そう思い込んでいるんだろう?
左脚を大きく振り上げる。
淀みのない、美しいフォームだ。あれだけ素振りの練習をしていた彼女なら、利き足で無いことなど、関係ない。
そう、初心者だ。
初心者にしか生まれない強みもある。
まったくの未経験であった彼女には、利き足によって生まれる、キックの差がほとんどない。
つまり、基本に忠実に。しっかりミートさえすれば。
その左脚から放たれるシュートは、極めて脅威的なモノとなる――――!
「惜っっしい!!!!」
吐息交じりの瑞希の叫び声がコートに木霊した。
真っすぐ蹴り出されたボールは、ゴールに向かって中々のスピードで飛んでいく。
前にいたディフェンスや、俺、長瀬、林らがブラインドとなり、相手ゴレイロは直前まで反応できていなかった。
それでも辛うじて右腕を伸ばし、シュートを防ぐ。いち早く反応した長瀬がそのままゴールに叩き込もうと、右足を振り抜いた。
しかし、ここも林。身体でブロックされる。ボールはゴールラインを割ろうとしていたが、DFが上手くコートに残した。
なかなか展開が切れない。
これじゃ俺たちだってシンドイ。
(こっからカウンターはッ、死ぬッッ!!)
絶対に阻止しなければならない場面だった。既に後方では甘栗が動き始めている。ロングパス一本通されてみろ。間違いなく一点モノだ。
今にも蹴り出しそうな相手に、もはやゴレイロの如く身体を大きく開いて止めに掛かる。
どこでもいい。
今度こそ、真っ当なところに当たってくれよっ!
「ブホェっっ!!」
「ハルっ!?」
顔面でも良いとは一言も言ってねえ。クソ。
飛び込んだ勢いと、衝撃でバランスが取れず。まぁまぁの時間を宙に浮いていた。無論、着地など取れるはずがない。派手なアクション映画のやられ役のよう。
ともかく、ボールは自陣まで届くことはなく。再びコート中央に零れ、これを瑞希が難なく回収した。二次攻撃と行きたいところだったが。
身体が思うように動かず、立ち上がれない。
三人でのパス回しを余儀なくされたことで、ポゼッションのリズムは大きく崩れる。徐々にオフェンスラインが下がり、倉畑にボールが渡ったところでプレッシャーを受け、ついに奪われてしまう。
「……クソったレがあぁぁ゛ァァーーッッ!!!!」
もはや自らの意志ではなく、限りない使命感のようなもので身体を動かしていた。
サイドを侵略する相手選手。
後方から長瀬、倉畑が懸命に追い掛ける。
それでも、ダメだ。間に合わない。
撃たれるッッ!!
「おおおおおおおおおっっっ!!!!」
「止めたあぁぁぁぁあーーーーっ!!」
「ナイスキーパーっ!!」
歓声は、天からの贈り物に等しい。
いや、違う。これは運でもなんでもない。楠美琴音の、必死の努力に裏打ちされた――――完璧なセービングだ!
力の限り伸ばした右手が、地面を這う強烈なシュートを辛うじて弾き出した。
だが、ボールは依然、コートのなか。零れ球に猛然と詰め寄るのは、最後の最後までストライカーとしてのエゴを崩さない、甘栗。
もはや本能だった。
振りかざされた右足。
ほぼ同じタイミングだった。
今にも交錯しそうな、俺の右足。
衰え切った反射神経と激痛のおかげで、もう動かないと思い込んでいたそれは、想像以上にボールのすぐ近くにまで届きそうだった。
そして世界は、ゆっくりと進み出す。
あと少し。あと少し。もうちょっと。
まるで人生のよう。
届きそうで届かない夢に必死こいて喰らい付くその様は、まさに理想を物語る若者みたいで。
付け加えると、その夢とか希望というやつは、たいてい現実にはならない。
でも、それで良い気がした。
叶わなくたって。成功しなくたって。
大失敗、惨敗。いくらでもすればいい。
合理性、現実的、可能性なんて言葉が笑い飛ばす。
「前に進むことが大事」
だから、今だけでいい。
俺の右足よ。
もう少しだけでいい。
もうちょっとだけ、高く。
高く、上がってくれ――――――――
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