49. You'll Never Walk Alone.
クローゼットから服を取り出し着替える。
カバンを引っ提げ飛び出した外の世界は、思いのほか薄暗かった。もしかしたら、途中で雨が降り出すかもしれない。けど、そんなことも気にしていられない。
必死にいつも使っている原付を探すのだが、どういうわけか姿が見当たらない。だが、すぐに思い出した。故障して修理に出していたんだ。
あるのは早坂家から貰い受けた、あまり乗り心地の良いとは言えないママチャリだけ。それでも、今の俺には十分すぎた。
この世界のすべてが、俺の背中を強引にでも後押ししている。
そんな気がした。
ほんのちょっとだけ。
試合開始時間まで、もう20分を切っている。原付であの学校まで15分は掛かる距離なのだから、どう足掻いても間に合わない。
でも、そんなことはどうだっていい。
俺は、行かなければならない。
行かなければいけない、理由がある。
学校に向かう大通りに出るまで、1分も掛からない。近くに高速道路のジャンクションがあって、相変わらず道は混雑している。
大量の車を避けるように、もはや歩道に寄せることも無く自転車を爆走させた。
けたたましく鳴り響くクラクションも。
その身を守る信号も。
今となっては、目にも耳にも入らない。
ただひたすらに、前だけを。
その先の未来だけを見据えて、足を動かす。
「なんなんだよッ、クソがッ……!!」
練習にも出ず、自主練をするわけでもなく、ずっと甘やかしてきたツケが回っている。エアロバイクなんて昔はよく筋トレでやっていただろう。体力だって誰にも負けた記憶は無い。
なのに、足は思うように動かなくて。
何十キロもの重りを付けているような感覚さえ。
不甲斐なさを嘆いている余裕すらなかった。
何も考えず、ゴールを目指せ。
勿論、それはゴールだけど、ゴールではない。
その先にある、もっと大切な何かを手に入れるために。
(辿り着くだけが、ゴールじゃ、ねえっ)
昔の俺、もっと言えば、数分前までの俺に言い聞かせたい言葉だった。
いつだって結果を求めて、自分のために走り続けて。けれど、それはいつしか目標ではなく、ある種の課題のようなものになっていて。
そこに至るまでの過程や、辿り着いた瞬間の喜びも。
いつの間にか、見失っていた。
憧れていた。華麗なシュートを決めて、大観衆の称賛を浴びる彼らの姿に。気付けば、その資格を失っていた。
初めから、ずっと変わっていなかった。俺はただ、喜びを与え、与えられ、共有することのできる、あの空間に、憧れていたのだ――――
「……もっと動けええぇぇェェェオラァァ゛ァァァァーーーーッッッッ!!!!」
スピードを緩めることも無く、豪快に左カーブを曲がる。信号は、やはり見ていなかった。
その姿は大多数から見ればただの迷惑な自転車乗りで、それ以上でも以下でもない。大声で絶叫する俺のことを、イカレた奴だと誰もが指を指して笑うのだろう。
けど、どうでもいい。
必死なところを見られて、なにが悪い。
笑われたって、構わない。
「廣瀬さん!?」
坂道に掛かる曲道を右折しようとしたその瞬間、思いもよらぬ人物に名前を呼ばれる。角のスーパーの前に、制服を着た可愛らしい少女、早坂有希が立っていた。
慌てて自転車のブレーキを握るが、あまりのスピードに少しばかりのオーバーラン。息も絶え絶えの俺に、彼女は心配そうな面持ちで声を掛けてきた。
「どうしたんですか!? まさか、私のお迎えに……っ!?」
「いや、そのっ……はぁ、ハァ……お前こそ、なんでここにいるんだよっ。スクールバスなら最寄りから出てるだろ……?」
「あっ、えと、それは……バスの乗り場が分からなくて」
あまりにも彼女らしい答えだった。そういえば、今日は学校説明会だと言っていたな。
生憎、彼女を案内する余裕は無さそうだ。
悪いことをしてしまった。
「地図を見ながら歩けば辿り着くかなぁって、それでここまで来たんですけど……」
「……歩いたら一時間は掛かるぜ。しかもこの坂を上るんだぞ」
「わぁ。これは、ちょっと辛いですねっ……」
視線の先には、果たしなく続く長い坂道が、待ち構えるかの如く佇んでいる。普段なら原付で楽々と進めるこの坂が、今となっては、あまりにも大きな障害に見えて仕方ない。
「……えと、その感じだと、私のことを追い掛けてきたとかじゃ……ないですよね?」
「悪い、全然通知見てなかった……」
「いやっ、あのっ、それはいいんですっ。でも、なんでそんなに急いでるんですか?」
「……これから試合でな。寝坊しちゃったんだよ」
「えぇ!? 当日にダメですよそれは!?」
嘘にはちょうどいい。寝坊したのは本当だけど。
目をかっ開いて仰天する有希だったが、次の瞬間には、なにか思い出したのか掌をポンと叩く。
「フットサル部に戻ったんですね!」
「えっ…………あ、あぁ。まぁ、な」
「やっぱり! わたし、絶対にそうだって、思ってました! あんなに辛そうに話してたから……きっと、本当は仲直りしたいんだろうなって! やっぱり、廣瀬さんは廣瀬さんですね!」
何をもって俺が俺なのかサッパリ分からぬ。相変わらず、有希の頭のなかで俺はどういう人間だと思われているのか。
(……まぁ、それでいいのか)
結局、そんなものだ。
自分がどう思われているかなんて、自分自身ではどうしようもなくて。
誰かに預けてみるのも。
また一つの勇気なのかもしれない。
どう繕ったって、俺は俺。
あとは勝手に、なんとやら。
「……ありがとな、有希」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「お前のおかげで、一歩踏み出せた。ありがと」
「よっ、よく分かんないですけどっ、お役に立てたのならさっ、幸いでごじゃいますっ!」
おもっきし噛む。
たかが頭を撫でる程度で動揺しすぎだろう。
前までならこんな風に、素直に誰かを褒めたりなんてしなかったのだろうな。俺が変わり過ぎたのか、有希が凄いのか。分からないけれども。
……本当に、久しぶりだ。
ありがとう、なんて。
「悪い、有希。試合始まっちまうわ」
「あっ、はいっ! 何時からなんですか?」
「……あと5分」
「ううぇぇっ!? はっ、早くしないと! 私とおしゃべりしてる場合じゃないですよっ!」
「あぁ。もう行くよ。新館裏のテニスコート、正門からすぐ入れるからっ! 暇なら来いよっ!」
「は、はいっ!! 応援しますっ! 頑張ってくださいっ、廣瀬さんっ!!」
彼女の方に振り向きもせず、再び自転車のペダルを踏み始める。本当に時間が無い。全力で漕いだところで、開始時間には間に合わないかもしれない。
けど、不思議なもので。絶対に間に合うという、確固たる自信が、そこにはあった。根拠はない。ただ、そんな気がしていた。本当にそれだけだった。
重い足並みも、もう気にならない。それどころか、交通量が減ったおかげか、身体はむしろ軽く感じるくらいで。誰もいない見慣れた通学路を。真っすぐ、ひたすらに真っすぐ漕ぎ進める。
世界から、音が消失してしまったかのようだった。自身の息遣いのみが鼓膜を支配し、それ以外のモノはまるで不要だと。そう言わんばかりに、静寂が真昼のアスファルトに覆い被さっていた。
(なんか、入場口みたいやな)
それなりに良いスタジアムだと、ピッチに入場するときは階段を上ることになる。坂を駆け上っていくこの感覚は、なんとなくそれに似ていた。
だとしたら、その先に待っているものは、いったいなんだろう。
大勢の観客?
一面緑の綺麗な芝生?
センターサークルか?
(どれも、違う)
入場して、一番最初に見えるもの。
そんなの、決まっているだろう。
俺の前を歩く、仲間の姿だ。
歌が。
闘う者を称え。
そして共に歩んでいくと、そう誓う歌が。
どこからともなく聞こえてくる。
俺にしか聞こえない。
俺たちにしか、聞こえない歌だった。
「…………When you walk……through a storm
(嵐に出会っても)」
「hold your head、up high……♪
(上を向いて歩こう)」
【And don't be afraid of the dark. 】
そして暗闇を恐れてはいけない
【At the end of a storm is a golden sky】
嵐の向こうでは黄金の空と
【And the sweet silver song of a lark. 】
ヒバリの甘いさえずりが待っている
【Walk on through the wind, 】
風の中でも歩こう
【Walk on through the rain,】
雨の中でも歩こう
【Tho' your dreams be tossed and blown. 】
たとえ夢破れても
【Walk on, 】
歩こう
【walk on with hope in your heart 】
歩き続けていこう、希望を胸に
【And you'll never walk alone,】
そう、あなたは一人じゃない
【You'll never walk alone. 】
あなたは一人じゃない
Walk on,
walk on with hope in your heart
And you'll never walk alone,
You'll never walk alone――――
You'll Never Walk Alone
1945 Carousel(lyrics-Oscar Hammerstein II)
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