27. お姉さんビックリ☆
引っ張ったまま皆がこちらの様子を確認できない、階段の踊り場まで走り抜ける。
手を離し、峯岸を壁側に追い詰める。傍から見れば余計な勘違いをされてもおかしくない構図だが、無論そんなつもりも無い。それどころか、焦りとある種の恐怖で頭はいっぱいで。
「痛ってぇな、無理やり引っ張んなっつうの。まぁ、そういう強気な態度は嫌いじゃねえけどな? ただ最初は年上がしっかりリードして」
「黙れ。それ以上、無駄口を叩くな」
「…………へぇー。となると、本当にあの廣瀬陽翔か。お姉さんビックリ☆」
舌を出すなブッ飛ばすぞ。
「…………なんで知ってんだよテメェ」
「サッカー観るの趣味なんだよ。特に育成年代。世代別のワールドカップもしっかり拝見させて貰った……へぇ~、近くで見ると案外美形だなぁ」
懸念していた予想が、最悪の形となって表れてしまった。いくら俺の名前が「一定のレベル」では知られていたとしても、まさかプロにすら掠らなかった人間を、それも一介の教師が知っているなんて思わないだろう。
これは不味い。
あんなこと、アイツらが知る必要は―――。
「いやぁ、となるとおかしな話さね。廣瀬くん」
「……なにが」
「浅い知識で申し訳ないが……」
そう言って肩の埃を手で叩き、着ていたワイシャツの皺を伸ばす。
仕草一つ一つが、なにか俺の考えていることを全て見抜いているような。底が見えない、理解し得ない恐怖を感じさせた。
「少なくとも私が知っている限り、廣瀬陽翔っつう選手は今後の日本サッカーシーンを間違いなく背負う、十年、いや二十年に一人の『原石』だった」
「……そんな時期もあったかもな」
否定はしなかった。
でも、過去は過去だ。今は違う。
「忘れもしない、17歳以下の世代別ワールドカップ……ただ一人、14歳でメンバー入りを果たしチームの攻撃の核としてベスト4入りに貢献。ブロンズシューズ賞、アシスト王、勿論ベストイレブンにも選出」
「……忘れたわ、んなこと」
「まだまだあるぞぉ? そのままユースへ昇格して、クラブユース選手権でもMVPに。15歳でトップチームの練習に参加して、高校一年にしてプロデビューの噂も立っていた。出場すれば歴代最年少記録……の、筈が」
「…………」
「デビュー戦直前のユース大会で、危険なタックルを喰らい負傷退場……その後、一切の音沙汰なし。ここまでが私の知っている廣瀬陽翔という選手の経歴。なにか相違点は?」
「無い」
なにが浅い知識だ。
一句の漏れも無く解説しやがって。クソが。
絵に描いたようなドヤ顔でこちらを見つめてくる。その様子と言ったらなんとも愉快気で、無性にブン殴りたくなるほどだ。
煮え返るような腹の不具合をなんとか無視し、ゆっくりと言葉を選ぶように、俺は話を切り出した。
「なら分かる筈や。わざわざ話さなくたって」
「ん。さしずめ、そのときの怪我が長引いたんだろう。しかし納得行かないな。今だって私も引き摺りながらそれなりの距離を走ったじゃないか」
「……怪我ならとっくに治っとる」
「なら、どうしてこんなところに?」
あぁ、ついに。
この半年間、一番言われたくなかった言葉。
わざわざ自分から引き出すような真似を。
「色々あったのも、話したくないのも分かるさ。でも私もファン心理ってモンが働くわけで……なっ?」
「なっ? って」
「どうしても無理か? 先生だってそりゃあ……話したくないことの一つや二つはあるけどね」
嫌、とかそういう問題でもない。
もっと根本的なところなのだ。
理由なんて大事でも無い。
本能と言えば、少し聞こえは悪いけれど。
つまりは論理的になる以前に。心が拒んでいる。この足が元通りに動くことは、二度と無い。それだけ。ただ、それだけのこと。
「ねぇ二人ともー、内緒話とかやめよーよ~」
金澤を先頭に連中がやって来てしまった。
まぁ、ちょうどいいタイミングか。
「あぁ、悪い悪い。廣瀬があまりにもイケメンだったモンでよ。今のうちに唾付けておこうと思って」
「なっ……なな、なに言ってるんですか先生っ!? ハルトはそんなカッコ良くないですから!!」
「そうか? 髪整えれば普通にクールガイだろ」
「違いますっ! 絶対にッ!!」
とてつもない望外の角度から撃たれた。
酷いよ長瀬さん。その言い草は看過出来ないよ。
そんなことより肝心の峯岸だが、適当に誤魔化している辺り、先の話を口外する気は無さそうだ。まぁ大人として当然の責務だとは思うが。
ただそれ以上に。いや、だからこそか。
なんだろう。上手く説明出来ないけれど。
長瀬の前で、この話をしたくない。
何故かは分からない。
長瀬だけには知られたくない。そうも思う。
「で、部活だっけ?」
「あっ……は、はいっ! それで、ど、どうですか? 先生、顧問とか興味無いですか……!?」
峯岸の問いに全力でキョドリながら答える長瀬。俺への罵倒は淀み無いのに普通のお喋りは出来ないのおかしいだろ。はよ直せその悪い癖。
「フットサルねえ。面倒なところに目を付けたモンだ……良く面子集まったな」
「あとは顧問の先生だけなんです。どうですか?」
「んー。真面目な倉畑のお願いなら聞いてあげたいところなんだけどなぁ。ちょっと色々ねぇ」
そう言って、俺の方へ目配せする峯岸。
なんだ、俺のせいだってのかよ。
まぁ分からなくも無い。
彼女は教師である以前にファンでもある。
俺に言いたいのは、つまりそういうことだ。
「考えてはおくよ。せっかく新しいこと始めようってのに、大人の事情に振り回されるのも可哀そうだからな」
「それも良いのですが、先生。貴方はまず、風紀委員の会議に出席するところから始めてみては」
「分ぁーったって! そこんとこ楠美信用してっから良いんだよっ! ほら、もう下校時間だ、生徒は帰った帰った」
手を振り階段の方へ追い払う。長瀬は終始納得のいかない顔をしていたが、チャイムの音と共に「取りあえず行こうか」と全員を引き連れていった。
俺と峯岸の二人が残る。
彼女の顔は、あまり見たくない。
「まっ、アレだ。今度ゆっくり聞かせてくれや。溜まってるモンもあるだろぉ?」
「アンタの世話にはならねーよ」
「はっはっは。教師が頼れって言ってんだよ。素直に甘えろ」
階段下の長瀬達を見つめるその瞳には、思いを馳せるような哀愁。いったい何を考えているのか、見当も付かない。
「……ここが正解だと思うのなら、それでも良いさ。でも、どうなんだよ?」
「正解?」
「自分のことは自分が一番分かっている筈さね。アレか? それともまさか「女の子に囲まれて嬉ちい~」とか思っちゃうタイプ?」
「かもしれねえぜ」
「ハッ。良く言うよ」
峯岸に背を向け、さっさとその場を去るつもりだった。
不愉快だ。彼女に全てを見透かされていることも。分かり切っている答えに、答えを出せない自分も。全てが苛立って仕方なかったのだ。
「残念やったな。あの頃の廣瀬陽翔は死んだ。ここに居るのは平凡な男子高校生、廣瀬陽翔だけや」
まるで捨て台詞だ。
自虐的になる前に階段を降ろうとする。
「どうかな。私には、ここにすら居ないように見えるよ。廣瀬」
そんな峯岸の言葉は、聞こえない振りをした。
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